第17話 赤毛のあの娘

「私にしてみたいことがあるとすればね、それは恋よ。侍女たちだってみんな恋してるのに、私はまだ一度もしたことがない」

 義兄との乗馬中、リリィが唐突に言った。

 昼下がり、太陽がまぶしくて目を細める。春の匂いがした。〈競技場〉近くの中庭の、道脇に黄色いたんぽぽの花が咲いている。リリィは横掛けの婦人用のくらには乗らず、またがって乗馬していた。馬のひづめの音と、腹にくる振動が心地いい。


「お兄さまは恋したことがあって?」

 リリィがはにかんで聞く。


 アレックスはいつにましてもハンサムだった。こんがりと焼けた肌と、優雅に馬を乗りこなす姿。太陽に目を細める仕草だっていい。

 皇子は最愛の妹と乗馬に来れて上機嫌だ。最近はリリィと過ごそうとしてもヘレナの邪魔が入ることが多い。皇妃はアレックスもリリィもそれぞれ別に憎んでいたけれど、二人が仲良くするのはもっと許せないことらしい。リリィはアレックスと一緒にいたことが伝わると、わざわざ皇妃本人に責め立てられるのだった。アビゲイルでさえ皇女がアレックスに会うのを止めようとする。


「恋は喜びや幸福よりも苦難の方が大きい。リリィの考えているようなものなんかじゃない。砂糖菓子のような……。全然違うんだ。こんなこと話してもわからないだろうけど!」

 アレックスの顔に苦痛のかげがよぎった。だが、リリィには兄が幸福そうに見えた。恋の痛みなど愛し愛されることの悦びと比べたらないも同じ、というように。進んで愛の生贄いけにえに身をささげていたのだ。


 リリィは胸が痛くなった。アレックスには愛するひとがいる。それもきっとメアリーではない……


「じゃあ今愛する人がいるのね?」

 さりげなく探りを入れる。

「いるかもしれないさ」

 アレックスが弾んだ口調で言う。まるで今恋していることを暴露しているのと同じ返事だ。

「逆にリリィにも恋してる相手がいるのかい?」


「まさか、いないわ。でも侍女たちが自分たちの恋人のことばっかり話すから」

 リリィがしどろもどろになって答える。なぜアレックスの質問がそんなに恥ずかしいのか分からなかった。恋した本人というわけでもないのに。


「それはちょっと興味深いな。侍女たちにそんなに秘密の恋人がいるなんて」

「あら、秘密にしてるわけじゃないと思うの。だって悪いことは誰も何ひとつしてないんだから。ねえ、お兄さまは侍女たちのうちだったら、誰を恋人に選ぶかしら。教えてちょうだい」


 アレックスが悪戯っぽい顔をした。妹からこんな質問がきたのが面白かったのだろう。

「みんな素敵なお嬢さんさ。彼女たちに交際を申し込んだところで、継母殿に差し止められるのがオチだろうけれど」

 アレックスはのらりくらりとして、中々なかなか答えない。


「仮定の話よ。たとえばメアリーなんか。可愛いし舞踏会では引っ張りだこじゃない?」

 リリィは親友の一番の秘密を露呈ろていさせるのではないか、と胸がドキドキした。うまくいけば恋のキューピッドになれるのだけど……


「メアリー?」

 アレックスの面持ちが変わった。おどけた調子がなくなって一瞬考え込むような顔をしたのだ。

「赤毛のあの娘……。そりゃあメアリーは魅力的だよ。残念なのは僕と親しすぎることくらいだなぁ」

「赤毛が好きじゃないの?今はメアリーだって金髪よ」

 リリィが悲しそうな声を出す。

「赤毛は好きだよ、母上の命に誓って。だけど、メアリーと僕は合わない。彼女だって崇拝者に囲まれて、相手はだ。僕のことは眼中にないし、別に魅了する必要もないだろ。ジョンなんて婚約者がいるのに彼女に熱を上げている」

 なぜかアレックスは後ろめたそうな顔をした。

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