第16話 ラム酒にまつわる秘密

 メアリーは十五歳の時からアレックスに恋していた。今年の秋が来ればもう四年になる。彼なら命名日には寂しい城内でメアリーに祝いの言葉をかけてくれるだろう。


 イリヤ城に帰った途端、二人の間の気まずい空気はとけてなくなる。メアリーは覇気はきをとり戻りして饒舌じょうぜつになり、アレックスはメアリーを「単なる妹の親友」として如才なく扱うはずだ。イリヤ城ではアレックスとメアリーの仲を気にかける者はいなかった。むしろトルナドーレ兄弟とメアリーの仲の方がみんなの関心の的だったのだ。


 ジョンはメアリーの特異な考え方や行動をあげつらってはからかうという悪い癖があった。メアリーは全く無視するか、達者な口で言い返してジョンを鼻で笑っていたが、本音では鬱陶しく思っていたはずだ。ところがなんとも厚かましいことに、ジョンは舞踏会の度にメアリー嬢のエスコート役に申し出るのだ。それが撥ね付けられると今度は宮中、一曲だけでも踊ってくださいませんか、と慇懃いんぎんな口調で誘ってくる。さすがのメアリーももっともな理由なしにダンスの誘いは断れなかった。


 メアリーは抜け目がなく、道化じみたところのあるジョンよりも弟のマティアスの方が好きだった。マティアスとは波長があったのだ。それに彼はメアリーの傷つきやすい自尊心も理解していた。


 ジョンも可哀想に!いつも弟よりも先にエスコートを申し出るのに、メアリーがエスコート役に選ぶのはマティアスの方だ。だが、ジョンはそんなことで落ち込まない。メアリーもいつか青二才のマティアスなど飽きて、大人の男の魅力に気づくさ、などと言ってたかを括っている。ほんの一歳違いなのだが。とにかく、ジョンの根拠のない自信のおかげで険悪な兄弟喧嘩を避けられたのだ。


 ある冬の日、メアリーとリリィは皇女の私室でぼんやりと、将来の夢や行ってみたい場所などについて語らっていた。外は雪が積もりに積もって、身をさすような寒さである。リリィは外の寒さなんか知らずに暖炉の近くの地べたに座ってぬくぬくとしている。


 不意に窓に何かぶつかる音がした。軽い音だ。メアリーが即座に立ち上がって、両開きの窓の近くに行く。また、何かが当たった。メアリーが怪訝けげんな顔をする。リリィはいきなり好奇心を覚えた。何か素敵なことが待っているような気がする。皇女の目が俄然がぜん生気を帯びキラキラと輝いた。


 メアリーは思い切って窓を開けた。

「いやだ」

 メアリーが弾けるような声を出す。同時にピューピューと音を立てて、寒風が部屋の中で吹き荒れた。思わずリリィが身をすくめたほどの寒さである。

 メアリーはかまわずこちらを振り返って笑みを浮かべた。

 すると窓の外から、白い雪玉が飛んできた。雪玉が赤い絨毯の上に落ちて粉々になる。

「来て、マティアスよ」

 メアリーがクスクス笑いながら言う。リリィがドレスのすそを持ち上げ、小股で窓辺に寄る。

 外を覗くと、中庭からマティアスが大きく手を振っているのが見えた。陽気な笑みを浮かべている。二人も手を振りかえした。

「何してるのよー?」

 メアリーが叫ぶ。

「君たち〈崖の家〉に来なーい?」

 マティアスが叫び返す。

「無理よー!こんな雪なんですものー!」

「ラム酒があるよー!君たちのために手に入れたんだ!船乗りの飲み物が欲しいって言ってただろ」


 リリィは思いがけないラム酒の登場に、居ても立ってもいられなくなった。メアリーもリリィも船乗りにこれといった理由なしに憧れていたのだ。

 マティアスの提案は魅力的だったが、危険すぎた。〈崖の家〉に行けば確実にアレックスに会えるだろうけれど、来る途中に雪に埋まって窒息死でもしたらシャレにならない。

 今度はメアリーが無茶を言う番だった。マティアスにラム酒を持って〈皇妃の館〉のリリィの私室に忍び込むように言ったのだ。マティアスは既に酔いがまわって高揚状態だったし、リリィだって二人を止めようとはしなかった。


 皇女の私室に侵入するのはわけないことだった。マティアスは怪しまれる身分ではないし、皇女の私室の前には衛兵が配置されていないのだ。厄介なのは私室にいつ何時なんどき人がやってくるかわからない、ということだろう。


 マティアスは大して苦労することもなく部屋にたどり着くと、少女二人の抱擁と嬌声で迎えられた。が、睡魔にやられてしまうのもあっという間だった。長椅子の上に毛皮の毛布をかけて寝かされ、後はメアリーとリリィがチビチビとラム酒を飲むだけだ。


「私、アレックスを愛してるわ」

 出し抜けに、メアリーが言った。リリィは驚いた。メアリーは酔っているに違いない。そうでなければ、アレックスへの恋心を告白できるわけがない。

 メアリーはうつむいて、男女の人魚が描かれた絨毯を睨んでいた。正気を失っているようにも見えた。ゾッとするほど暗い目をしている。だが、あまりに切羽詰まった様子で悲しそうなので、リリィは下手なことが言えなくなってしまった。


 メアリーはその晩のことを翌朝には覚えていなかった。リリィは敢えて思い出させようともしない。ただ胸の中に秘めて、メアリーの恋を見守ることにした。

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