第5話 火のはぜる音、一夜の夢
アレックスとジョンが火のそばにやってきて、妹たちの近くに立った。
「今夜寝てる間に人魚がやってきて、さらっていってくれたらいいのに」
リリィがトロンとした目でつぶやく。体はぽかぽかと暖かい。いつになく穏やかな気分で、
皇女は暖炉の中に揺れる炎を見ながら、海の深くで繰り広げられる冒険を夢見ていた。海の底深くでは、色とりどりの
人魚はイリヤ帝国を象徴するものである。およほ三百年前、当時国王だったトレドー・シャンディルが後継ぎを遺さずに死んだ。王朝の断絶が起こったのだ。
トレドーは若くして死んだ。王朝の最後の王ということ以外は特に記憶に残らない王である。ところが彼こそが血で血を洗う戦争を引き起こした張本人でもあったのである。王は子どもを残さず、後継者も指名しない。彼の死後すぐな覇権争いが起こった。以後、内紛は三十年近く続く。
だが、
それこそが帝国とリロイの名前の伝説の始まりだったのだ。リロイの一族は海の向こうに残してきた親戚と協力して貿易を行い、富を蓄積していった。前触れもなく荒れ狂う海もリロイ家には味方だった。
リロイ家に生まれた者は二百年以上前のイリヤの繁栄と征服の話を誇りにしていた。リリィは人魚をかたどった王旗を見るたび、誇らしい気持ちでいっぱいになる。迷信深いことは嫌うアレックスでさえも人魚の話となると、絶対に軽んじることがない。それどころか妹に人魚の伝説を話したり、図書館に行ってわざわざ調べたりするほどだ。
「人魚にさらっていってほしいなんて、言葉にするもんじゃない」
アレックスがそう言うと、まじめくさった顔をした。
「人魚にさらわれた人でもいるの?」
メアリーが聞いた。
「僕の聞く限りではいないけどな」
ジョンが何やらつまらなさそうな顔をする。人魚の伝説など信じていないのだ。普段は理性的なアレックスが人魚に夢中になっているので、余計気分が悪くなる。
「人魚は気まぐれなんだ。繊細な魔力の持ち主でもある」
アレックスは親友の
ジョンは腕組みして構えた。
ジョン・トルナドーレの
話題はリロイ家の英雄や人魚の伝説から戦場での思い出話に代わり、これには程度の差こそあれ、四人全員が興味を示した。戦争は日常茶飯事で、女の子でさえ、剣技や戦闘での名誉を重んじ、他国の愚かさと自国の正当性を信じている。リリィはもっと幼い頃、父に騎士にしてくれるよう頼んだこともあった。もちろん願いは叶わなかったが。皇女たる者が戦場に立つなど許されるはずがない。だが、父はアレックスから剣術や弓術を教わるのを止めはしなかった。メアリーの方は戦争よりもドレスや化粧に興味があったが、父親も出征する身なので、無関心でいられるわけでもない。
アレックスとジョンはすでに出陣を経験している。
度々話題に上がるのはエイダ王家との争いの戦局についてだった。国境沿いに流れるドゥーサ川の通行権について争っているのだ。
「お父様の見立てでは、もっと早く勝負がつくはずだったのよ」
リリィが難しそうな顔をする。
「そうだったな。最近では父上の軍も撤退を始めている」
アレックスが相槌を打った。
「ドゥーサ川の通行を諦めるなんて、お父様らしくないわ」
河川の通行は物品・食糧の輸出入に欠かせない。イリヤ城の脇を流れ、海まで続くドゥーサ川はイリヤが手放していいものではなかったのだ。
「諦めることはないさ。今まで通り、エイダもイリヤも河を独占することはないよ。癪しゃくだけど、奴らと戦場で顔を合わせないとなると、気分も晴れやかってもんさ」
ジョンは彼らしく楽観的だった。一度はこの戦いに参加したのだ。だが、祖父の頼みと皇帝からの命令あってイリヤ城に帰ってきている。リチャードもどうやら本格的にエイダとの戦争を終わらせるつもりらしい。
「イリヤがエイダに負けるなんて、ちょっと考えられないわ。あなた達のお父様、ドゥーサ川にはこだわりがないのね」
メアリーもそうは言ってみたものの、戦争には
リリィは欠伸をもらすと、気難しそうな表情をしたメアリーの手を取った。メアリーが表情を和らげ、親友の肩にもたれかかる。
「そろそろ寝る時間だ。お嬢さん方、今のうちに寝室に行った方がいい。こんなところで寝てたら風邪をひく」
アレックスがリリィの眠たげな顔を見ていった。
メアリーが隣の部屋から話しかけてくるのが聴こえる。だが、リリィも睡魔で
翌朝。目を開くとまず人魚が目に入った。天井に人魚の絵が描かれていたのだ。真珠の冠をかぶった王女と若者。二人の周りにも人魚たち。長い槍を手にしている。どうやら婚礼の様子らしい。周りの者たちが若い二人を祝福していた。色鮮やかな絵画だった。
陽の光が窓の隙間から差し込んでくる。リリィは瞼をこすりこすり、上半身を起こした。ベッドから出て窓を開ける。お昼前の陽光はまぶしい。寄せては返す波の音が聴こえた。気持ちのいい朝だ。
軽い足音が聴こえてきて、部屋の扉が開いた。メアリーが着替えもお化粧も済ませた、きっちりとした姿で立っている。
「おはよう。ゆうべはよく眠れたわ」
リリィがにこやかに言う。
「そう、それならよかった。ずいぶんお寝坊ですもの。朝食を知らせにきたの。早く降りてきてくださいな。アレックスとジョンはもう起きてるわ」
メアリーは早口で言いたいことだけ言うと、また階下へと去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます