第7話 火のはぜる音、一夜の夢

 アレックスとジョンが火のそばにやってきて、妹たちの近くに立った。

「今夜寝てる間に人魚がやってきて、さらっていってくれたらいいのに」

 リリィがトロンとした目でつぶやく。体はぽかぽかと暖かく、眠たかった。いつになく穏やかな気分で、有史以来、戦争など起こったこともなく、これからだって永遠に平和なままなのだ、と言われても信じてしまっただろう。

 皇女は暖炉の中に揺れる炎を見ながら、海の深くで繰り広げられる冒険を夢見ていた。海の底深くでは、色とりどりの珊瑚の宮殿があり、その中には人魚の王様と王妃様が暮らしているはずだ。珊瑚の宮殿は変幻自在へんげんじざいで、部屋が増えたり減ったりするはずだ。宮殿の意志一つで、昼間の〈玉座の間〉は夜のダンスホールに様変わりする。鍵付きの部屋もなく、お姫様が宮殿の中に閉じ込められるなんてことはない。海の中に泣いている人魚はいなかった。乗馬代わりに、大きなタツノオトシゴに乗って鮫狩さめがに行く……


 人魚はイリヤ帝国を象徴するものである。およほ三百年前、当時国王だったトレドー・シャンディルが後継ぎを遺さずに死んだ。王朝の断絶が起こったのだ。トレドーは若くして死んだ。王朝の最後の王ということ以外は特に記憶に残らない王である。ところが彼こそが血で血を洗う戦争を引き起こした張本人だったのである。死後シャンディル家の血を継ぐ者がいないイリヤでは覇権争いが起こった。内紛は三十年近く続いた。熾烈を極めた内戦も終わりは突然だった。ある夏の日、一隻の船がイリヤの海岸に漂着する。男たちが船から降りてきて崖の上に石の砦をつくり始めた。その日の真夜中、また一隻、二隻と船が漂着する。船の中には女や子どもたちもいた。海の向こうからやってきて、民族ごと移住するつもりなのだ。夜明けごろ、砦に人魚の旗がなびいていた。

 それこそが帝国とリロイの名前の伝説の始まりだったのだ。リロイの一族は海の向こうに残してきた親戚と協力して貿易を行い、富を蓄積していった。前触れもなく荒れ狂う海もリロイ家には味方だった。


 リロイ家に生まれた者は二百年以上前のイリヤの繁栄と征服の話を誇りにしていた。リリィは人魚をかたどった王旗を見るたび、誇らしい気持ちでいっぱいになる。迷信深いことは嫌うアレックスでさえも人魚の話となると、絶対に軽んじることがない。それどころか妹に人魚の伝説を話したり、図書館に行ってわざわざ調べたりするほどだ。

「人魚にさらっていってほしいなんて、言葉にするもんじゃない」

 アレックスがそう言うと、まじめくさった顔をした。

「人魚にさらわれた人でもいるの?」

 メアリーが聞いた。

「僕の聞く限りではいないけどな」

 ジョンが何やらつまらなさそうな顔をする。人魚の伝説など信じていないのだ。普段は理性的なアレックスが人魚に夢中になっているので、余計気分が悪くなる。

「人魚は気まぐれなんだ。繊細な魔力の持ち主でもある」

 アレックスは親友の怪訝そうな顔にも気づかずに、話を続けた。リリィとメアリーが前屈みになって、アレックスの話を聞く。ジョンは首を振って、やれやれと思った。この調子では、アレックスの奴、一晩中人魚のことを話し続けるぞ。

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