第6話 吉報

 朝から着替えははかどらない。急ぐこともなかった。まだ夢の中なのだ。使用人がアビゲイルに言付かってイリヤ城から持ってきてくれたのだろう。シンプルなクリーム色のガウンに、かなり手間取りながら着替えた。


 階下の食堂に降りてゆくと、何やらジョンとアレックスが白熱はくねつした議論を交わしていた。もし武器を一つだけ携帯できるなら、弓矢か剣か。メアリーは呆れ顔だ。リリィはおおげさで無謀なこの議論がおかしかった。武器を一つしか携帯していない戦士なんて聞いたことがない。アレックスが弓派で、ジョンが剣派だ。リリィはジョンに賛成である。


 食卓にはパンと肉入りスープ、りんごや苺、チーズなど様々な料理が並んでいた。豪華な朝食だった。使用人がせわしげに出入りして、なくなった水やパンを足していっている。アレックスとジョンはだいぶ食べた後のようだ。ジョンは朝から麦者(ビール)など飲んで、饒舌をかましている。

 

 メアリーはさっきと打って変わって、まるで上の空だった。手にしたりんごにも少ししか口をつけていない。リリィはメアリーの隣に座って突っついてやった。

「どうしたの、浮かない顔して」


「今朝母がやってきて、戦争が終わったって言ったの」

 メアリーが憂鬱そうな声音で言う。


「あら、おめでたいことじゃないの。信じられないわ。それでどうしたっていうの?」

 リリィは思わず嬉しくなった。これで父の負担も少しは減るというもの。それに、もう身近な人たちが戦争に行って命を落とすなんて心配しなくていいのだ。


「父が帰ってくるの。そうしたらエル城に連れてかれて、あなた達と離れ離れになっちゃうわ」

 メアリーが悲痛そうな面持ちをした。


「そんなことってありえないわ。リーだって、今までアビゲイルもあなたも冬以外はイリヤ城に置いていたもの。どうして今頃そんなこと思いつくの?」

 リリィはメアリーの不安を払拭しようとした。


「そうだよ、メアリー。リーが君たちをエル城に連れて帰るなんてありえないよ」アレックスが横から言う。「父上だって君たちを必要としている。それに、仮にも連れ帰られるようなことがあっても、僕がエル城に通うさ。ジョンもリリィもついてくるだろう?」


「ええ、私は毎日っていうわけには行かないけど、できるだけ行くわ。あなたと離れ離れになるなんて考えたくもないもの」

 リリィが勢いづいて相槌を打った。 


「メアリー、君をイリヤ城から引き離すなんて罪作りだよ。もしそんなことがあったら俺がリーに抗議する」

 ジョンが珍しく優しい口調で言った。


 リリィとメアリーがイリヤ城に戻るともうお祭り騒ぎだった。戦地から帰ってきた男たちは勝利も逃して疲れた顔をしている。が、家族の姿を見るなり思わず顔をほころばせて、温かい抱擁を交わしに駆け寄ってゆく。


 皇女とメアリーも、馬に乗って城内に入場してくる騎士たちの中にある人を探していた。一人はジョンの弟マティアス・トルナドーレで二人目はメアリーの父リー・トマスだ。騎士や兵士が行進する通りは同じように家族を探す群衆でごった返している。女たちもみんなが血眼になって家族を探していた。


「いたわ!マティアス!」

 最初にリリィが黄色い声を上げた。

 リリィは安心した。


 マティアスは騎士たちに混じって、馬上で行進を続けている。リリィの声に反応してマティアスがこちらを向く。ずいぶんと日焼けしていた。


「あらマティアス……」

 メアリーが小声で言う。

 マティアスは二人に投げキスを送ると、口元をほころばせた。リリィも満面の笑みで投げキスを返す。


「追いかけていったら話せるかしら」

 リリィが夢中になって言う。


「さあ。私は残って父を待つわ」

 メアリーは蒼白い顔をしていた。リリィは途端に心配になる。


「私も残ってリーに一声かけるわ。マティアスは無事だってわかったんですもの。きっとマティアスの方から会いにきてくれるから」


「ありがとう」

 メアリーがすっかり色を失った声で礼を言った。リリィがなんてことないのよ、と言ってメアリーの背中をさする。それでもメアリーは堅い笑みを浮かべるだけだ。


 リーは片腕を負傷していた。傷口に化膿はなく、数週間で完治する見込みだ。リリィとメアリーで傷病室に押しかけ、リーとの会話を試みた。肝心のリーはむっつりと黙り込んでいて迷惑そうな顔をしている。


「パパが戻ってきて嬉しいわ」

 メアリーがやつれた顔に涙を浮かべて言った。リーが面を上げて、娘に一瞥くれる。だが、口はきかなかった。腕には大げさに白い包帯が巻かれている。


「怪我はひどいの?痛む?」

 メアリーがなおも気遣わしげな口調できく。


「少しな」リーが重々しく口を開いた。「だが致命傷ではない。心配なんてしてくれるな。なあ、俺は戦場から帰ってきて疲れてるんだ。お前も母親のところに行くといい。あいつもお前と話したがっているだろう。皇女だってここでは退屈なさる」


「退屈だなんてちっとも!普段からもっと話す機会があれば、と思っているんですもの。でも、あなたも疲れてらっしゃるみたいですから、言う通りにアビゲイルのところに参ります」

 リリィがすかさず言った。


 廊下に出ると、メアリーは小さくため息をついた。リリィが親友の腕を取って、速足で歩き出す。メアリーは見るからに落ち込んでいた。リリィだって、時々リーを扱いづらいと思う。口で是と言ったことを腹の中では非と思うような男である。皇女でさえこの感じ方だ。リーが父親ならさぞ苦労することだろう。


 アビゲイルは皇女の私室の隣の部屋にいた。たおやかな身振りで二人を迎え入れ、針仕事を進めながら世間話などする。平生通りの彼女である。美しく、背が高く、柔和で、艶やかな赤毛のアビゲイル。それでも、心に引っかかった。アビゲイルが疲れているような気がしたのだ。疲れているというか、怯えているような。


 乳母は伏し目がちに、流れるようにお喋りをする。二年前の凱旋のこと、メアリーの背丈の話、アレックス皇子の馬の話、最近やってきたお針子の腕が素晴らしい、とか。リリィが呆然と見つめていると、アビゲイルはしきりに瞬きして、せつな口をつぐんだ。


「ママ、話し過ぎよ」メアリーが言った。「退屈しちゃう。私たち、マティアスのところに行くわ。彼、無事だったのよ」

 リリィはアビゲイルの頬にキスして、メアリーとともに部屋を出た。廊下で二人はホッと一息つく。アビゲイルのお喋りには参ってしまった。病的なものがあったから。

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