第14話 状況報告
「お疲れ様です。ただいま戻りました」
俺が会社に戻ると、社内にはいつも通り社員がいない。
数日間この会社に出入りして気づいたことだけど、この会社内で相馬さんと社長以外の社員の姿を俺は1度も見かけたことがなかった。
「この会社は俺と相馬さん以外に働いている人がいないのかな?」
そう錯覚してしまうぐらい、社内には人がいない。
相馬さんの話ではみんな外出していると言っていたけど、段々とそれも疑わしくなってきた。
「(入社してから3日間この会社にいたけど、俺以外に働いている人がいるのかな?)」
みんなクリエーターのサポートをしていると言っていたけど、それが本当なのか疑わしい。この会社の社員が一体どこで何をしているのか、俺にはわからなかった。
「お疲れ様、橘君」
「相馬さん、お疲れ様です」
「帰りがやけに遅かったけど、どうしたの? もしかしてどこかで道草でも食ってた?」
「その事なんですけど‥‥‥」
俺は今日あった出来事ををかいつまんで相馬さんに話す。
話が進むにつれて徐々に相馬さんの目の色が変わっていき、俺が話し終えると彼女に両肩を掴まれてしまった。
「それで!! それで依子は何て言ってたの!!」
「そっ、相馬さん!? 落ち着いて下さい!? そんな肩を揺さぶられても困ります!?」
「ごめんなさい。ちょっと興奮してたわ」
あの冷静沈着な相馬さんがこんなに取り乱すなんて珍しい。
相馬さんの意外な一面を見て、俺は面食らってしまった。
「ここだと落ち着いて話せないから、一旦場所を移しましょう」
「どこへ行くんですか?」
「会議室よ。そこなら邪魔は入らないでしょう」
「わかりました」
それにしてもあの相馬さんがここまで感情的になるなんて思わなかった。
依子の事を心配する気持ちはわかるけど、さすがに取り乱し過ぎだろう。
いつもの相馬さんと様子が違う。
「(一体依子と相馬さんの間に何があったんだ?)」
俺にはそれが何なのかわからない。ただ2人の間にある確執が根深い事だけは、3日前のやり取りでわかっている。
「ここが会議室よ。橘君は入ったことないわよね?」
「はい。思っていたよりもずいぶん簡素な部屋ですね」
「そうね。会議をする事が目的の部屋だから、机と椅子とホワイトボード以外は置いてないのよ」
「なるほど」
「それより橘君も遠慮せずそこに座って」
「わかりました。失礼します」
俺は近くにあった椅子に座ると、相馬さんも俺の前に座る。
相馬さんの事をを間近で見て、俺は彼女のちょっとした変化に気付いた。
「(今日の相馬さん、なんだかいつもより疲れているようだな)」
目の下にはうっすらと隈ができており、心なしか顔がやつれている。
化粧でごまかしてはいるが、かなりの疲労が蓄積しているように見えた。
「早速で悪いんだけど、依子の様子をもう少し詳しく聞かせて頂戴」
「わかりました」
依子について話すのはいいが、俺からも相馬さんに聞きたいことがある。
それは相馬さんと依子の間にある確執だ。それについて部外者である俺が聞いていいのか、そんな葛藤に苛まれていた。
「どうしたの、橘君? そんなに思い詰めた顔をして?」
「何でもありません!? 気にしないでください!?」
「それならいいわ。改めて橘君に聞くけど、依子の様子はどうだった?」
「どうだったと言われても‥‥‥」
「そういえば橘君は依子と会うのは初めてだっけ?」
「はい」
「普段のあの子がどんな様子なのかわからないのに、いきなり依子の様子を聞かれても困るわよね。ごめんね、変な事を聞いて」
俺の気のせいだったらいいけど、依子の話題になると相馬さんの様子が一変する。
その鬼気迫る表情はまるで今すぐにでも依子と会わないといけないような、そんな強迫観念に駆られているように見えた。
「依子は私の事について何か言ってた?」
「相馬さんの事を言っていたわけではありませんが、今は出来るだけ会社の人間とは会いたくないようです」
「やっぱりそうなのね」
「やっぱり? どういうことですか?」
「それは貴方には関係ない事よ」
「関係ないって、一応俺が依子の担当マネージャーですよ? 少しぐらい依子の事について、教えてくれたっていいじゃないですか」
「確かに貴方は依子の担当マネージャーだけど、彼女のチーフマネージャーは私なの。だから今は黙って私の指示に従いなさい」
「‥‥‥‥‥わかりました」
そう言われてしまうと、俺はこの人に何も言い返す事が出来ない。
相馬さんは上司で俺は下っ端。納得はいかないけど、下っ端は上司のいう事を黙って聞くしかない。
「そうなると
「『明日も依子のマンションに行く』と言いました」
「依子は何て言ってた?」
「『わかった』とだけ言われました」
「そう。それにしてもよく依子が貴方の事を部屋に入れてくれたわね。どうだった? 年頃の女の子の部屋を見た感想は?」
「あれを女の子の部屋って言うんですか? 俺にはただのゴミ屋敷にしか見えませんでしたけど?」
「ふふっ。あの家に初めて入った人はみんなそう言うわ」
「相馬さんは違うと言いたいんですか?」
「違わないわ。あの家はどこからどう見てもゴミ屋敷よ」
「やっぱりそうですよね」
前任の相馬さんがそういうならそうなのだろう。きっと依子の家は昔から汚かったに違いない。
依子は一貫して汚くないと言い張っていたけど、俺の感覚に狂いはないようだ。
「相馬さんはいつも依子の家を掃除してるんですか?」
「いいえ、殆ど掃除はしてないわ。やったとしてもたまにゴミを出すぐらいよ」
「なるほど。参考になります」
わざわざ掃除機までかけて部屋を綺麗にする必要はなかったわけか。
清潔な部屋にする為とはいえ、もしかすると俺は余計な事をしてしまったのかもしれない。
「橘君は何かしたの?」
「あまりに部屋が汚かったので我慢できなくなって、少しだけ部屋の掃除をしました」
「よくあの部屋を掃除しようという気になったわね。過去に私もやろうとした事はあるけど、あまりにも大変だったから途中で挫折したわ」
「その気持ちはよくわかります。ただ俺は見ていられなかっただけですよ。あんないい家に住んでるのに、足の踏み場のないような所で生活をしているなんて、宝の持ち腐れです」
「橘君って意外とお節介焼きなのね」
「よく言われます」
以前バイトをしていた時、相馬さんと同じことを先輩達によく言われた。
その度に周りから同情されたことを今でも覚えている。
「状況はわかったわ。今日は依子の様子を報告してくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ帰りが遅くなってすいません」
「橘君は仕事をしてきたんだから、謝らなくていいわよ」
どうやら俺の帰りが遅かった事について誤解は解けたようだ。
本来なら依子の部屋に入った時点で相馬さんに連絡を入れるべきだったけど、部屋を片付けることに夢中でその事を失念していた。
「こんな事を頼むのは申し訳ないんだけど、明日も依子の家に行ってあの子の様子を見てきてもらえない?」
「いいんですか? 俺が1人で行っても?」
「もちろんよ。場合によっては直行直帰してもらって構わないわ」
「本当ですか!?」
「本当よ。ここにいる社員の殆どは配信活動や動画撮影の手伝いをしているから、直行直帰は当たり前なの」
「だから社内に人がいないんですね。納得しました」
予期せぬところで会社内に人がいない理由を知った。
何故こんなに人がいないのかずっと疑問に思っていたけど、そういうからくりだったのか。
「今はずっと家の中で引きこもってるあの子の事が心配なの。だから橘君、依子の事を頼んだわよ」
「わかりました」
それにしても相馬さんがここまで依子の事を心配する理由は何なのだろう。
依子はこの会社に所属するタレントだから、急な契約解除でもしない限り離れることはないのに。なんかきな臭いな。
「もし動きづらかったらスーツを着ていかなくてもいいわよ。取引先の会社に行く時以外、うちは服装自由だから」
「でも、相馬さんはいつもスーツを着ているじゃないですか」
「それは私が毎日取引先に挨拶をしてるからよ。普段会社内で働いている時は私服を着てるわ」
相馬さんの私服姿なんて想像がつかない。普段着ているスーツが似合いすぎて、他の格好をしている姿が思い浮かばなかった。
「色々と話し込んじゃったけど、とりあえず今日は帰りなさい」
「はい。今日は俺の話を聞いてくれてありがとうございました」
「こちらこそ依子の様子を話してくれてありがとう。あと橘君にはこれを渡しておくわ」
「これは何ですか?」
「君用の名刺よ。もし社外の人間と会う時はこれを使いなさい」
「わかりました。大切に使わせていただきます」
「そしたら今日は帰りましょう。遅くまで引き留めてごめんね」
「そんな滅相もありません。また何かあれば報告します」
相馬さんから名刺をもらい、俺は会議室を後にする。
それから帰り支度を済ませて会社を出た俺は、帰りの道中で依子の家に持って行くものを買い込み、明日の大掃除に向けて準備をした。
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ここまでご覧いただきありがとうございます
続きは明日の8時に投稿します。
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