第9話 紡がれた絆

 マンションの中は複雑に入り組んでいて、気を抜いてしまうと迷いそうになる。

 俺が迷わないで配信者の部屋に行けるのは、ひとえに通路に張られている案内板のおかげだ。



「さすが高級マンション、防犯対策は万全だな」



 2つ目の電子ロックを突破したあと再度部屋番号を確認する。

 途中で何度も迷いそうになりながらも、なんとか彼女の部屋の前まで到達することが出来た。



「ここが例の配信者が住んでる部屋か」



 見た目はどこにでもある普通の部屋だ。だけどこの中に相馬さんが話していた子がいると思うと緊張する。



「そういえば相馬さんはあの子の事を依子って呼んでたな」



 よくよく考えれば、俺はあの配信者のフルネームを教えてもらってない。

 そんな状態にも関わらず、今までよく仕事が出来ていたと思う。

 改めてウチの会社のブラックさに辟易してしまった。



「あれだけ俺達に憎悪を向けていた相手というのは、一体どんな人なんだろう」



 あの子もウチの会社に翻弄されている犠牲者だとしたら、相馬さん達が話していた情報はあてにならない。

 俺が担当する配信者がどんな人なのかわからないが、ほんの少しだけその子に興味が湧いた。



「とりあえず会ってみればわかるか」



 彼女の家に備え付けてあるインターホンを押す。

 インターホンの音が鳴ると同時に、バタバタバタという足音がドアの向こう側から聞こえてきた。



「いよいよ噂の配信者とご対面か。いざ会うとなると、なんだか緊張してきた」


『ガチャッ!!』


「おっ、鍵が開いた!?」



 鍵が解錠されたのはよかったけど、中々ドアが開かない。

 一体何事かと思って見てたら、ドアの隙間から真っ白い肌をした細くて綺麗な手が伸びてきた。



「あの‥‥‥そんな所で何をしているんですか?」


「つけ麺。今手を出したから、つけ麺の容器を頂戴」


「いくら何でも、その隙間から受け渡すのは無理ですよ」


「なんでよ!! さっきつけ麺をくれるって言ったじゃない!! あれは嘘だったの!!」


「あげるとは言いましたけど、つけ麺の容器が大きいのでドアチェーンの隙間から渡せません」



 俺が買ってきたつけ麺の容器は大きいので、とてもドアチェーンの間から渡せそうにない。

 このマンションはこれだけセキュリティーが万全なのだから、ドアチェーンも腕が1本ギリギリ出せる程の隙間しかない。

 そんな所からつけ麺の容器だけを受け渡す事なんて不可能だ。このドアを開けてくれない限り、買ってきたつけ麺を渡すことは出来ない。



「それなら小分けにして渡せばいいじゃない」


「そういうことも出来ますけど、スープは袋に入っています。万が一受け渡しミスをして、スープがこぼれたら元も子もないですよ」



 呆れた。そこまでしてこの子は会社の人と会いたくないのか。

 この子と会社の間に何があったのか俺にはわからない。だけどこんな子供みたいな奴の為に俺は毎日ここまで通っていたのかと思うと、今まで頑張ってきたことが急に馬鹿馬鹿しいものに感じられた。



「はぁ」


「何でため息なんてついているのよ?」


「いや、何だかこんな事をしているのが急に馬鹿馬鹿しくなっただけだよ」


「ちょっとあんた!! 敬語じゃなくなってる!!」


「そりゃあこんな馬鹿げた行動を見ていたら、敬語なんて使う気が失せるだろう」


「はぁ!? 何を言ってるのよ!?」


「最初は気難しい所があるかもしれないけど、クリエーターだから絶対に尊敬する所があると思っていたよ」


「‥‥‥‥」


「だけど蓋を開けてみたらどうだ? 人に会いたくないからって、ドアの隙間から手を出して物を受け取ろうとする。こんなしょうもないことをする奴に、敬語なんて使う必要はないだろう」



 はっきり言ってこの配信者がやっている行いは小学生以下だ。

 正直これ以上付き合いきれないというのが、俺の本音である。



「俺はどんなに気難しい子でも、クリエーターならどこか尊敬するところがあると思ってたよ」


「‥‥‥‥」


「だけど今の君の行動を見てどう思う? 尊敬できる所なんて1つもないだろう」


「そんなこと‥‥‥」


「そんなことあるだろう。君だって尊敬するところが1つもない人に敬語なんて使わないはずだ。だから俺は君に敬語を使う事をやめたんだよ」


「そんなことをして、もし私がこの事を上の人に報告したら‥‥‥」


「別に上の人に怒られたっていいよ。そうなったら会社を辞めればいいだけさ」


「えっ!? でもあたしがそんなことをしたら、貴方の生活に支障をきたさない?」


「会社を辞めたとしても働き口はある。最悪日雇い労働でもすればいいだろう。それだけでしばらくは食いつないで行ける」



 今の会社を辞めた所で俺は前のような生活に戻るだけだ。別にこの業界に未練はないし何も問題ない。



「君もよく考えてほしい。俺は3日前に入社したばかりの新入社員なんだよ」


「貴方って入社してそんなに日が浅いの!?」


「そうだよ。社員研修もない、入った瞬間いきなりわけの分からない仕事をさせられる。そんな事をされたら、誰だってやめたくなるだろう」



 これが典型的なブラック企業といわれる会社だろう。

 いや、もしかするとこの会社はブラック企業と呼ばれる会社より酷いかもしれない。これならバイト生活をしていた方が稼げていたし、労働環境や福利厚生もバイトをしていた時の方が良かった。



「もしかして貴方、私の事を何も知らないの?」


「何も知らないよ。名前だってここに来た初日、相馬さんが呼んでいた名前を覚えていただけだ。君のフルネームを教えてもらったことはない」


「そうなんだ」



 ドア越しに彼女がぶつぶつと独り言を言っている声が聞こえる。

 もしかしたら彼女も俺の境遇に同情してくれたのかもしれない。



「貴方の事情はわかったわ。ずいぶん大変な仕事を押し付けられたみたいね」


「そう思うなら君の名前を教えてほしい。俺は君の事をなんて呼べばいいかわからないんだ」


「わかったわ。私の名前は二村にむら依子いこ。貴方の好きなように呼んでもらっていいわよ」


「そしたら相馬さんと同じように依子って呼ばせてもらうよ」


「ありがとう。そしたら私は貴方の事をなんて呼べばいい?」


「みんな俺の事を啓太って呼んでるから、そう呼んでもらえればいいよ」


「わかった。それなら私もこれから貴方の事を啓太って呼ぶ」


「あぁ、よろしくな。依子」


「こちらこそ。これからよろしくね、啓太」



 まさか俺と依子の自己紹介がこんなドア越しに行われるとは思わなかった。

 彼女も先程までとは違い妙にしおらしい。どうやら俺に対してある程度警戒心を解いてくれたようだ。



「(もしかすると彼女は俺に同情してくれたのかもしれない)」



 彼女もあの会社に対して思う事があるのだろう。

 だからこうして俺の話を親身に聞いてくれるのかもしれない。



「啓太は今の会社に不満はないの?」


「あるよ。正直な話、俺は何のためにこの仕事をしているかわからない」


「そんなはずないでしょう。相馬さんから私の事について、詳しい話を聞いてるんじゃないの?」


「何も聞いてないよ。この会社に入社してすぐ依子のマネージャーに指名されて、君と会って話すのが最初の業務と言われただけだ」


「そう‥‥‥」


「君のフルネームだってさっき初めて知ったよ。この前たまたま相馬さんが君の事を依子と呼んでいたから名前を知っていただけで、君について何も教えられていない」


「‥‥‥‥」


「なんなんだろうな、この会社。こんなことになるなら、バイト生活を続けてればよかった」



 今まで様々な職場でバイトをしてきたけど、こんな理解不能な職場は初めてだ。

 そんな最悪な職場が正社員時代に訪れるなんて皮肉なものである。これなら今まで通りバイト生活を続けていた方がよかったかもしれない。



「そんな環境にいて、啓太は辛くないの?」


「辛くないかと言われると、辛いな」


「だったら‥‥‥」


「だけど業務命令だし、お金をもらっている立場だから上の命令には逆らえないんだよ」


「貴方も大変なのね」


「まぁな」



 俺が彼女の相談を聞く立場のはずなのに、いつの間にか俺のお悩み相談会になっている。

 これではどちらがマネージャーかわからない。俺と依子の立場が逆転してしまったようだ。



「依子は俺達会社の人間と会いたくないんだろう?」


「うん。少なくても、は会社の人達と会いたくない」


「わかった。そしたらこのつけ麺は玄関に置いておくよ。俺はこのまま帰るから、あとで食べてくれ」


「いいの!? 今日啓太がここに来た目的は、私と会うことだったんでしょ!?」


「依子の言う通り俺は君と会うために来たけど、当の本人が会社の人と会いたくないなら今日は帰るよ」


「確かにその理屈はわかるけど‥‥‥」


「それに依子はさっき『は会社の人達と会いたくない』って言ったよな?」


「うん」


「今の言葉で少なくとも依子は会社との話し合いに応じる意志があることはわかった。だから相馬さんには依子の気持ちの整理がついてから話し合いをしたいって伝えておくよ」



 今の彼女の態度を鑑みるに絶対その方がいい。

 ここで無理矢理話し合いの場を持ったとしても感情的な言い合いになってしまい、建設的な話し合いなど出来ないだろう。



「それじゃあ俺は帰るよ。つけ麺は玄関の前に置いておくから、俺が帰った後温めて食べてくれ」


「ちょっと待って!!」


「えっ!?」


「そのつけ麺は2つあるのよね?」


「あぁ。そうだけど‥‥‥」


「私もお腹は減ってるけどさすがに2つも食べきれないから、啓太も一緒に食べよう」


「いいのか? 俺は依子が憎んでいる会社の人間だぞ」


「そうだけど‥‥‥貴方は私のことを何も知らないじゃない。だから貴方はあの会社の人だと思えないから、私は何とも思わないわ」



 一旦ドアが閉まると中からキーチェーンが外れる音が聞こえる。

 同時に今まで閉じられていた部屋のドアがゆっくりと開き、今まで俺と話していた配信者が姿を現した。



「お待たせ。早く中に入って」


「あっ!?」



 俺の目の前に現れた配信者の少女は、誰もが目を奪われる程見目麗しい容姿をした絶世の美少女だった。



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ここまでご覧いただきありがとうございます

続きは本日の19時に投稿します。


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