命懸けの一位

牛盛空蔵

本文

 ある日の食卓で、草介は叔父についての話を聞いた。

「また徹也が変な研究を始めたみたいだな。大学を追い出されてからちっとも成長しない」

 草介の父は苦々しげにぼやいた。


 草介は成績優秀な高校二年生。

 どのぐらい優秀かというと、全国模試で常に全国二位をキープするほど。

 そう、常に全国「二位」。

 一位の是枝……是枝壮健の後塵を、毎回いつも拝している。

 永遠の二番手。

 彼は是枝がどういう人物か全く知らない。当たり前だ、模試のランキングでしか知らない存在を詳しく知っているほうがおかしい。

 しかし、草介にとっては、それはどうでもいいことだった。

 一位にもうすぐ手が届くという位置にあるのに、一位は絶対にその座を譲ろうとしない。

 草介の父は徹也に手を焼いているようだが、草介は是枝とかいう会ったこともない競争相手に、いつも辛酸をなめさせられていた。


 話を戻す。

「徹也叔父さんが、どんな研究をしているの?」

 彼はごく普通に話を振ったつもりだったが、返ってきた言葉は。

「脳を改造して、頭を良くする研究だそうだ」

 全く思いもしていなかった。

 草介の望みをかなえられるかもしれない幸運。

「脳改造……学力も?」

「そう言っていたな。学力も含めて、あらゆる脳の作用を底上げするらしい」

 まさに幸運。

 この研究は、草介の願いにこれ以上もなく合致している。

「ただ……あいつの研究はいつもそうだが、死のリスクがある」

「リスク……改造失敗とか?」

「そのおそれはないようだが、別の問題がある。改造を受けた実験動物は、脳の機能がどんどん上がり、物理的な限界を迎えて死に至るんだそうだ」

 命にかかわる手術。

「ふうん。変な研究をするんだね」

「全くだ。徹也は昔からそうだった。頭はいいのにおかしなことにばかり――」

 父の愚痴を聞きつつ、余計なことを言わず、草介はひとまず徹也のもとへ行くことにした。


 これまた運が良く、草介は徹也のメールアドレスを把握しており、どころかメッセージアプリも開通している。

 アポを取るのに苦労はなかった。

 そして彼は休日を使って研究所に向かった。

 研究所とはいっても、かなり人は少ないようで、その規模は小さい。

「やあ草介くん。私の研究の内容を知りたいんだって?」

「それだけではありません。頭を良くする」脳改造の研究、もし必要なら僕が実験台になります」

 言うと、徹也は目を丸くした。

「ほう! 私としてもそれはうれしいけれど、まずは座って茶でも飲みながら話をしよう」

 徹也はそう言うと、なにやらオシャレな機械からコーヒーをカップに注いだ。


 いわく。

 徹也は一度自分を追放した学界に返り咲くため、頭を良くする改造技術を研究している。

 完成に至ればノーベル賞も夢ではない。

 その改造技術はいまのところ、いわゆる学力も向上させるが、スポーツに必要な一瞬の判断や身体の感覚、創作的な能力、戦略の構築能力など多岐にわたって脳の性能を上げる。

 人類が一段階上のステージに至れるとのこと。

 しかし欠点もある。

 反動。

 これまで実験として脳改造したモルモットその他の実験動物は、確かに顕著な知能の向上が認められたが、いずれも改造後ほどなくして死に至ったという。

 脳の底上げに内臓や神経がついていけず、全身に最終的にすさまじい負荷をかけることになるらしい。

 人間の場合も、おそらくは一年かからずに死亡するとの見通し。

 寿命は最大で一年。それが改造の副作用だった。


 その話を聞いて、草介は即答した。

「改造を受けさせてください」

 またも目を丸くする徹也。

「いいのかい、寿命が一年未満になるんだよ?」

「それでも、僕は越えなければいけない壁があります」

 彼は全国一位、是枝壮健について話した。

「しかし……」

「お願いします。データは好きに取っていただいてかまいません。僕は一位を、どうしても一位を勝ち取らなければなりません」

 鬼気迫るほどの懇願。

「……そうか。きみにとって学力はただ大学に入るためだけのものじゃないんだね」

「大学に入れなくてもいい、僕は一位にならなければならないんです」

 普通の人間がみれば、彼はきっと異常なのだろう。大して意味のないもののために、輝かしいであろう未来と寿命を捨てる、愚かで本末転倒な、前の見えない人間に違いない。

 だが、周りがどうみようが、草介にとって一位を勝ち取ることは至上命題だった。全てを捨ててでも、その手中に収めるべき至宝だった。

「……そうか。分かった。兄さんと霧子さんの同意は……いや、どうせ取れない。だけどここでむざむざ治験の対象を取り逃す手はない。ご協力感謝する」

「よろしくお願いします!」

 二人は手を握った。


 改造自体はすんなりと終わった。

 全身麻酔のもとでの改造手術だったため、草介の眠っている間に改造手術が全部終わったのだ。

 彼が目を覚ますと。

「これは……!」

 世界の意味付け、空気の感覚、脳の処理する情報量、神経の受け取る微細な刺激、身体がどのようになっているかの感覚。

 全て、そう、全てが鮮明になっていた。

「どうかな」

 徹也の問い。

「素晴らしい、これなら一位になれる!」

 草介の心が躍る。

「あの是枝を越えられる、この力があれば、これなら絶対に!」

「それはよかった。まず落ち着いて、これからのデータの取り方とかを教えるからね」

 徹也は再び、彼を応接室に案内した。


 それからというもの、草介は勉強にこれまで以上に打ち込んだ。

 彼はもともと全国二位。分からない勉強は少なかったが、しかし、これまで以上に好調であった。

 一度読んだ情報が頭に残る。定着は恐ろしく早い。解法はすぐに頭に浮かび、頭の中の試行錯誤も倍速を超える。

 彼は、まるで自分が無敵になったかのような感触を覚えた。


 しかし、それでも是枝には勝てない。

「どうして……」

 ランキング一位には、いまも是枝の名前。

 念のため徹也に確認したが、是枝は少なくとも彼の世話にはなっていないらしい。

 つまり、是枝はもともと脳改造にも匹敵するほどの頭脳を持っていたのだろう。

 ――次は、次こそは負けない!

 彼の闘志はさらに燃え上がる。


 しかし負けは込む。

 手術を受けたのが五月で、いまは年明け後の二月。

 草介はもはや自分の寿命が長くないことを感じていた。

 おそらく今度の土曜の「虎口模試」が、彼が受けられる最後の模試になるだろう。

 身体に明らかに反動が来ている。

 まだ、死ぬわけにはいかない。一位の光を見るまでは。

 彼は今日も勉強机で参考書を開く。


 虎口模試の日。

 全てを限界まで感知し思考する域に達していた草介は、終わりのチャイムとともに、机から崩れ落ちた。

 生命の閉じる瞬間を、最期に彼は感じ取った。

 周りからみればあっけない死で、本人にとっては苦難の果ての寿命だった。


 一ヶ月後。

 虎口模試のランキング表の一位に、草介の名前は確かに刻まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

命懸けの一位 牛盛空蔵 @ngenzou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ