第一章 第6話 僕らの狂気

それは、温かい日差しの朝である。

「さしぶりだ、栖都…」

朝には来訪者がいた。

ドアの外に立っている男は深井悟、しいなの父親だ。

頭が真っ白になって、増えた顔の皺よりその目のくまが目にふれる。

もし彼に会ったら絶対怒ってやろうと決めたが、その決心は一瞬で揺れた。

どう見てもこれは普通の研究者があるべき姿ではない。

「あ、きょ、教授?!」

「ああ、ちょっといいか?少し話したいことがある、ついて来てもらおう…」

「…はい」

これからもう会うことがないと思った人なだけで、本当に会ったら何を話せばいいのか。

わからないまま、彼について行った。

海から離れ、長い坂を登る。

そして着いたのは深井家。

「あの、一体何を…」

「しいなのことだ」

しいなの名前を聞いて、思わず体が強張った。

栖都は心の中からも少し黒い感情が湧いてきた。

彼女の病気がひどくなった時も、本当に帰ってこなかった。

彼女がどれほど自分の父親が帰るのを待っているのか、わかってるのか?

今すぐこの愚痴をぶちまけたい気持ちが胸いっぱいではあったが、しいなが関わることだ、栖都が知らない遺言かもしれない。

無理して我慢だ。

「…まぁ、すぐには教えられないことが多くってな、取り敢えず座って話そう」

家に入って、中は想像したいつもの様子と違う。

建材みたいなものがあっちこっちに散らばっている。

家政婦はしいなの死後すぐ辞めさせられたようで、その時で彼女が少し栖都に愚痴った。

悟教授は少し埃が見え始める皮のソファーに座り、栖都はその隣に座った。

しいなの病気を聞いた時と同じだ。

懐かしさと切なさが込み上げてきたところ、悟教授が語り始めた。

「しいなは死んでない」

「え?」

「いや、まだ死んでないの方が適切だろう」

「いや、でももう葬式まで」

「あれはだみだ」

いつもの悟教授だ。

いつも通りに要点しか言えない、理解しない人はいつも置き去りにする。

「詳しくお願いします」

「ああ」

それでも、聞けば答えてくれる。

「彼女の病気は人間の脳を遺伝子レベルで蝕むため、現代の医療…少なくとも100年以内だと無理だ」

「正面突破は無理と悟り、彼女には辛い話だが、元々コールドスリーブにする予定だった」

「…だった?」

「ああ、ある物に気づいたってな」

彼の語りはとても静かで、しんなに関わらなかったら眠そうなほどだ。

「“卵”のことだ」

教授はソファから離れて、お茶を淹れて、茶っ葉を少し蒸したら戻ってきた、

栖都の分はなし。

「念のため言っとこう、“150の卵”の事件は知っているな?」

「はい」

「あの事件はこの国…いや、現人類生活圏に大きな影響を及ぼした。しいなの病気もそうだが、あの事件もかなり手を焼いた、が」

「しいなの病気の手がかりとなったものが見つかった。そこで、俺は研究の舵を切った」

「それらは不審者とか、テロとかではないのか?」

「難しい質問だ。間違ってはいないが、彼らはただの被害者だ」

「続けてください…」

「そう言えば、お茶わすれたな。あそこに淹れてあるので、喉渇いたら勝手に飲んでこい」

「え…あ、いや。ありがと」

今それどころじゃないんだけど。

え?しいなは関わっているの?どういうこと?

そもそも、しいなは死んだじゃないのか?

もう二週間前のこと…それなのに…

それなのに…お茶などのむひまあるものか!

「美味しい」

ふぅ、いい茶葉だ。

「落ち着いたな?これからの話は、落ち着いて聞いた方がいい」

教授はお茶を一口飲んで、語り始めた

「世界が半分に切り分けられたのは“ゲート”の研究事故によって引き起こされたものだ」

「その副産物として、異界の化け物が少し侵入を許した」

「化け物は厄介極まりないが、生き物だ。その死に際、胞子のようなものをばら撒き、対処しきれなかったものが風に乗って拡散して、“卵付き”を作った」

「卵も彼ら自身も力はない。自身の特質や記憶がその卵に影響を与えて、そして何らかの形で周りに影響しているだけだ」

「それなのに随分と無理矢理捕まって殺された人が多い。哀れな人たちだ」

「しかし運のいいことで、人類の発展のために実験に志願する人が出た」

「彼らのお陰で、しいなを救う道が開けた」

悟教授がとてつもない規模の話を語り出した。

栖都はどう受け入れすればいいのかをわからず、ただ彼に耳を傾くことにした。

今に思えば、常識で考えられないことがたくさんある。

この町の現状もそうだ。

静かに上がった水位、赤い海…挙げたいなら、まだまだたくさんある。

そして少しずつおかしくなった町。

栖都は人と会うようになって初めて感じたのは、恐怖でした。

人々が口にしている宗教の話だ。

家の中には楕円形の像の設置を義務つけられたのは3年前。

魚が食べられなくなったのは2年前。

事故や病気で亡くなったでもいいとして、毎年海に一人の子供の遺体を捧ぐようになったのは1年前。

町には自分が知らない宗教が蔓延して、発展している。

一番恐ろしいのは、この倫理がおかしい宗教が今の国教であること。

元々国教など存在しない国だから、人との付き合いのため学び直す必要もあり、無知が故に人に罵倒されたこともあった。

それでも、なんとく表面上だけやって行けた。

自分がやっと社会の一部という実感が湧いたのは悪い気がしなかった。

しかし、悟教授の話を理解すれば自然と気づくもの。

この宗教の中で神に当たるものがその「異界の化けのもの卵」である。

気づけば背中には変な冷や汗が流れ始めた。

「あんたもそうだろう?」

「な、なんだ?」

「しいなを救いたいだろう?」

いつの間にか真昼になった。

まだ明るいのに、なぜか室内が暗く感じる。

地面に直射する日光はまるで窓を避けるように見える。

1年。

僕はかなり長い時間をかけて、彼女がやがて死ぬ運命に辿り着くことを受け入れている。

そしてそれをこの目で見て、無理矢理受け入れた。

彼女が残したものを噛み締め、前向いて生きようとしている。

彼女は生きている?

それは一体どういうことだ?

嬉しい、嬉しいけど…頭が理解できるけど、気持ちが追いつけない。

それでも…

「はい!彼女に健康に生きてほしい!」

「…ああ」

悟教授が頷いた。

「それぐらいの覚悟があれば十分だろう、じゃ…」

相変わらず、わかりずらい人だ。

「…ついて来い、しいなに会わせる」

ってことは、しいなはこの家にいるのか?

とてもじゃないが、家にいるとは思えない。

彼女の部屋は綺麗に片付いたし、私物を整理するため書房に残したものもほとんどなくなった。

悟教授の部屋は鍵がかかってないが、ベッドと机しか入ってない。

あれこれ考えながら、栖都達は地下室へと向かった。

しかしそこはただの薄暗い倉庫で、目立つものは特になかった。

「こっちだ」

教授の指した地面にはもう一つの入り口があった。

「しいなが生まれる前に、ここに廃液処理タンクを置く予定だった」

確か昔が化学専攻だったな。

うん?じゃ今、ここに。

「どうした、降りてこい」

「は、はい」

梯子で下に降りたら、そこは奇妙な場所だ。

赤い、暗い…暗室のようだが、奇妙な機械がびっしり詰めている。

そして「それ」が、そこにいる。

「あぁ、あああ!!」

金魚鉢よりやや大きな容器に、人間の脳がその中にいる。

「な、何なんだこれは?!」

「しいなだ」

背筋が凍えて、動けないし言葉も出ない。

ただ教授から、次の解釈を求めるしかなかった。

「お茶持って来るべきだった」

「へ?」

「なんか、ほら。落ち着かないだろう?」

もうお茶はいらん!

地下室にしばらくは静かに男が話す声が続いている。

「…見ての通り、彼女の状態がとても悪い。こんな状態になっても、病気の進行は止まらない、だから…」

教授も実はここに他人を入れ欲しくないらしく、いざ解釈しようとしたら、チグハグでわかりにくい。

「なんで僕?今さら僕にできることはあるのか?」

これは栖都一番の疑問だ。

こんな倫理的に許されるはずのないものを、流石に他人に知られるべきではないと思う。

「ああ、とりあえず、現状はわかってるな?」

「え、ええ、何とか…」

まるで悪夢のような現実はわかったよ…

それでも、しいなは生きている、悟教授はまだ彼女をあきらめていなかった。

この二つの事実は栖都の理性をとどまっている。

ここにテーブルがあって、上にはしいなの手料理があって、3人が囲んでいて、教授もたまに真顔でバカなこと言って…と幻視するほどにだ。

「できれば、しいなのことを誰にも言いたくないんだ、特に今のこの町にね」

「それは、あれのせいか?」

「ああ、この町では、あれが神みたいなものだからな」

取り出されて、容器の中にいるしいなの脳には一つ奇妙なものがついている。

材質がわからず、まるで貝の中の真珠みたいに嵌っている。

大きさはピンポン玉ぐらいで、淡い紫色がかかって気味が悪い。

「まさか、あれって…」

「卵だ、あの卵だ」

静かではあるが、栖都はまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。

あの「卵」っていうものは5年前の災害由来のものなはず…ずっと無縁なものだと考えてた。

「そんな…一体いつから…」

「心配しているものはわかっている、安心しろう、彼女は他と違う」

何も言ってないのに、正確に栖都の心を読み当てていた、そして…

抉っていた。

「あれは俺が移植してあげたものだ」

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