第25話 ……駄目そうです。
新学期が始まって、すぐの朝稽古。
湯気が出そうなほど熱気が立ちこめる中、騎士科の稽古場では、激しい打ち合いが繰り広げられていた。
なんだ……?
この休暇中に、一体何が起こったんだ……!?
互いの隙をつきながら展開される攻防に、本日の指導教官であるサルエルは目を奪われていた。
「そこまで!」
朝稽古の終了時間となり、サルエルの声を合図に打ち合いが終わる。
「おいギル、皆見違えるようになったが、……休暇中に何かあったのか?」
山籠もり合宿に参加すると聞いていたギルだけではなく、騎士科の生徒達全員が、一か月前とはまるで違うガッシリとした体つきに変化している。
増えた筋肉に底上げされ、振り下ろす剣にも力が籠もり、そして相手の動きがよく視えている。
「はい。この長期休暇の間ずっと、騎士科全員でジョルジュ様に師事し、皆で山籠もりをしていました」
「なるほど、どうりで……。一ヶ月もの間、付きっきりでジョルジュ卿に教えていただけるとは、贅沢なことだ」
ギルの説明を受け、羨ましそうにサルエルが声を漏らし……稽古場の柵を取り囲むようにずらりと並んだご令嬢達へと目を向けた。
「それで、あのご令嬢達は一体なんなんだ?」
日除けのつば広帽子を目深くかぶり、歩み寄った騎士科の生徒達と歓談するご令嬢達。
長期休暇前には無かった光景に、サルエルは首をひねる。
「特進科の学級長を務める、シャネア様の呼びかけで始めた試みだそうです」
「ん? 試み?」
「はい、男子生徒に声をかけている令嬢とはまた別に、一人でポツンと立っている女子生徒がいるでしょう?」
仲良さげに談笑している男女らは恐らく婚約者同士。
それとは別に、心許なげにしながらタオルを手に立つ、女子生徒達の姿が目に入る。
「山籠もり後、イザベラ様が開いてくださった食事会で、
「……ほう」
「その際、婚約者や恋人のいない男子生徒が、『募集中の子がいたら紹介して欲しい』と相談をしたようなのです」
「……なんだと!?」
ぽつんと一人で立つ女子生徒に歩み寄り、そわそわと落ち着きなく声をかける騎士科の男子生徒達。
確かに皆めざましく進化を遂げた。
そこらの新人騎士など相手にならないほど洗練された剣技を身に着け、新学期へと臨んだ、その心意気や良し。
だがこの空気はなんだ!?
由緒正しき学び舎の稽古場。
ここで数多の青年が心身ともに正しく育まれ、そして高名な騎士となり名を残してきた。
ほわほわと桃色の空気漂う『婚活会場』と化した稽古場を、サルエルはぐるりと見廻し……鋭い視線に気付いて、ギシリと固まった。
「おいギル、イザベラ様がお前を見てるぞ。俺が呼び止めておいて何だが……早く行ったほうがいい」
一際目立つご令嬢が椅子に腰かけ、こちらを睨みつけている。
豪華な装飾があしらわれた日傘を護衛騎士に持たせ、優雅にティータイムを楽しんでいたようだが、ギルがなかなか来ないため激怒しているのだろうか。
サルエルが促すと、ギルはペコリと頭をさげ、座して待つイザベラのもとへと走って行く。
刺すように鋭い眼差し……そこまで怒らなくても、と少々たじろぎつつギルを見送っていると、一人の女子生徒がふらりとよろけ、地にうずくまった。
稽古場を見学しながら、太陽の下でずっと立っていたからだろうか。
慌てて駆け寄ろうとしたサルエルの先で、うずくまる女子生徒のもとへとギルが方向転換をした。
***
(SIDE:ギル)
指導教官に呼び止められ、待たせてしまった……。
ギルがイザベラのもとへと向かったその時、視界の端で一人の女子生徒がふらりと揺れた。
「!?」
うずくまる女子生徒……立ち眩みだろうか、蒼白い顔をしている。
ギルは一瞬イザベラに目を向け——そして、女子生徒のもとへ方向転換をした。
「大丈夫?」
「あ……はい、申し訳ございません……」
雰囲気から見るに、平民出身の子かもしれない。
婚約者の男子生徒がもしいればと思い、視線を走らせるが、お願いできる相手はいそうになかった。
意識はしっかりしており、そこまで急を要する事態ではないが、念のため救護室に連れて行ったほうが良さそうだ。
「少しの間だけ、ごめんね」
未婚女性が知らない男性に身体を触られるのは嫌だろうが、止むを得ない状況である。
身体の下にゆっくりと手を差し込んで横抱きにすると、女子生徒の身体が傾き、ギルの胸元へもたれかかる。
膝にグッと力をこめて、立ち上がろうと顔を上げたところで、ガシャンと何かが割れる音が耳へと届いた。
視線を横向けると、稽古場の柵にしがみつき、身を乗り出すようにしてこちらを凝視するイザベラの姿と、その足元で砕け散ったティーカップが目に入る。
これ以上ない程に目を見開き、柵を握りしめる手が遠目にもブルブルと震えているのが分かる。
すぐにでも傍に行ってあげたいのだが、腕の中には具合の悪い女子生徒。
気持ちは分かるけど困ったな……そんなことを考えていると、ギルのもとへ、レナードが駆け寄った。
「ギル、ここは俺が代わるからお前はイザベラ様のところへ」
厚意に甘えてレナードへと女子生徒を託した途端、イザベラがふらりとよろけて、その場にしゃがみ込んでしまった。
「イ、イザベラ!?」
立ち上がれないのだろうか、力無く、うなだれている。
「イザベラ、大丈夫!?」
「……駄目そうです」
駆け寄り、心配して顔を覗きこむと、立ち眩みを起こした先ほどの女生徒とは一転、血色良くツヤツヤしたイザベラが目に入る。
「……?」
しゃがみながら胸の前で手を組み、何かを待つイザベラ。
専属護衛騎士ジョルジュはというと、普段は過保護なほどイザベラを溺愛しているにも関わらず、体調が急変した主人を前に焦るでもなく、日傘を差しながらのんびりと立っている。
「……」
「わたくしも、きゅ、救護室に運んでいただかないと……!」
動きを止めたギルを急かすように告げる声は、思ったよりも張りがあり、急を要する事態にはとても見えない。
ギルはスッと目を細め、イザベラの膝下に手を差し込むと、そっと抱き上げた。
立つのもやっとで具合が悪いはずなのに、嬉しそうに頬を赤らめながら、ぎこちなくギルに身を寄せるイザベラ。
見下ろすと、ほんのりと口元が緩んでいる。
「……イザベラ」
これだけ騎士科の生徒達がいるのだ。
先程具合が悪くなった女子生徒だって、フランシス公爵令嬢たるイザベラが一声命じれば、いくらでもギルの代わりに救護室へ運んでもらえたはずなのに。
あの時レナードが来なければ、柵にしがみついたまま、我慢し続けたに違いない。
見た目とは裏腹に、自分のために持てる権力を使うことはせず……相変わらず、伝わりにくい行動をするイザベラ。
そして羨ましかったのか、自分も抱き上げてもらおうと、バレバレの演技をするイザベラ……。
笑ってはいけないと我慢しつつも、ギルの口元が綻んでしまう。
「……イザベラ、救護室じゃなくて、二人きりになれる場所のほうがいい?」
「!?」
稽古場が見えなくなったところで立ち止まり、腕の中の少女に告げる。
自分でも何を言っているんだと恥ずかしくなるが、稽古あがりで汗だく……しかも砂ぼこりで汚れた稽古着なのに、頬を染めながら嬉しそうに身を寄せるイザベラが可愛くて、思わず意地悪をしてしまう。
気付かれていると知ってか、そっと片目を開けて様子を窺うイザベラにこれ以上は我慢ができず、ギルは思わず吹き出してしまった。
「ぷっ……あはははは!」
誰よりも純粋で、人一倍に不器用な、困った公爵令嬢。
ギルは辺りを見廻して誰もいないことを確認し、イザベラを抱く腕に力を籠めると、肩口に寄せる頭にそっと口付けた。
「……俺、頑張るから」
ポツリと漏らした言葉に返事はなく、イザベラはギルの稽古着をぎゅっと握りしめる。
そのまま埋めるようにして隠した顔は……首元までほんのりと、薄紅色に染まった。
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