第19話 ちょっぴり脅すくらいは許されて然るべき
もともとはイザベラの片思いから始まった、この婚約。
フランシス公爵家と縁続きになれば、将来的な不安もなくなり、色々と融通も利かせられる。
そんな打算的な考えを持つ令息とっては、この上ない良縁……だがそういった野心のないギルにとっては、あまり魅力的な話ではないのかもしれない。
顔合わせの時に比べれば、随分と心を通じ合えたと思っていたのに。
仕方なく首を縦に振ったのではないかと国王が問いかけると、ギルは一瞬顔を強張らせていた。
「ギル様は、婚約の『不服申し立て』を、なさるおつもりかしら?」
そんな考えがフツフツと湧いてきて、らしくなく、イザベラは落ち込んでしまう。
週明け、ときおり不安な顔を見せるイザベラを心配し、珍しくパメラが気を使って色々と話しかけてきてくれた。
そして、放課後――。
話がしたいとギルから改まって声をかけられ、嫌な予感が的中したのではとイザベラは青褪める。
だ、ダメだわ。
まだ何も言われていないのに、涙が出てしまいそう……。
イザベラは涙腺が緩みそうになるのを、必死の思いでこらえた。
「話というのは、先日陛下から伺った件なのですが……えッ!?
出会った時のようにギリギリと真っ赤な顔で睨みつけるイザベラに、ギルは突然
「具合でも悪いのですか!? 風邪でも召されましたか!?」
「そのままの名前で呼んでくださいと、お伝えしたのに……」
以前の呼び方に戻ったということは、やっぱり、そういうことなのだろうか。
さらに険しい顔をしたイザベラを目に留め、教室の前を通った生徒がギョッとした様子で、足早に通り過ぎていく。
「いえ、具合が悪いのかと心配になって、つい……大丈夫ですか!? もし体調が悪いなら、また別の日に改めます」
「ギル様が敬語だなんて、
「ええッ!? 呼び方はともかくそれは前からでは!? ……頬の赤味が増してきたけど、
心配そうに、ギルが顔を覗きこんでくる。
「大丈夫です……」
「無理をしているのでは? 昼間見かけた時に元気がなかったから、心配していたんです」
なおも気遣うようにイザベラの額へと手を当て、熱が無いのを確認し、ギルは安堵の表情を浮かべた。
「ギ、ギル様、わたくしに触れ……!?」
「良かった、熱は無いみたいだ。なら嫌なことでもありましたか? 力になれるかは分かりませんが、できるだけ相談してもらえると嬉しいです」
婚約を取りやめたいと、お願いしに来たようには見えない。
こんなにも優しくしてくれるということは、イザベラが嫌になったわけではない、と思っていいのだろうか。
「わたくしが怒っているとは、お思いにならないのですか……?」
先ほど通りがかった生徒は、イザベラの顔に怯えていた。
ギルにも以前、怒っていると勘違いされたことがある。
もしかしたら今もまた、内心はそう思っているのかもしれない。
不安気に問いかけると、一瞬不思議そうな顔をして……そして何かを思い出し、合点がいったように「ああ、そうか」とポツリと漏らした。
「また泣くのを我慢してた?」
「――え?」
「会った時と同じように、頬に力を入れて……でも今回は辛そうだったから、てっきり具合が悪いのかと思っていたけど……。そうか、先日の一件で、俺が不安にさせてしまったのか」
目線の高さを合わせ、まっすぐにイザベラを見つめると、ごめんね、と優しく告げる。
優しくされたらされたで、涙が出てしまいそうだわ……!
なおもこらえ、ギリギリと歯噛みするイザベラを目にし、ギルはぷっと吹き出した。
「怒っているだなんて思いませんよ。大丈夫、ちゃんと分っています」
「ギル様……」
「来たる『模擬試合』のため、長期休暇の間ジョルジュ様に師事を仰ぐことになったと、ご報告に来たのです」
「ギル様……ッ!!」
口元を両手で押さえ、感動に打ち震えるイザベラの頭を優しく撫でてくれる。
「ジョルジュ様には既に承諾をいただき、フランシス公爵閣下にも話を通してくれる、とのことでした。貴家が訓練合宿で使う山をお借りして、山籠もりをする予定です」
「まぁ! 山籠もりだなんて……」
「イザベラ様に恥をかかせるわけにはいきません。長期休暇中は会えませんが、死ぬ気で頑張りますので、心配せずにのんびりと待っていてください」
撫でる手の気持ちよさに、そっと目を閉じ、先程までの不安が嘘のように幸せな気持ちで、イザベラは小さく「はい」と答えたのである。
*****
あの幸せなひとときから、丸一日。
イザベラの足元にひれ伏す、騎士科のむさくるしい男達。
「山籠もり先は、フランシス公爵家自慢の『ククリ山』。早朝や陽が落ちたばかりの薄暗い時間帯は、熊の目撃情報が相次ぐと聞くわ」
訓練場所に熊が出ると聞き、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。
「川沿いの訓練地は餌場も近く、見通しが悪い場所も多いようね。熊に遭遇する可能性は、極めて高いわ」
本当は熊などいないのだが、ギルの手前すげなく断ることも出来ない。
ちょっぴり脅すくらいは許されて然るべき、の心持ちである。
「表沙汰には出来ませんが、毎年少なからず被害者が出ているそうですね! もし熊が出たら、ジョルジュ様は最優先でギル様を……余裕があればレナード様をお守りするでしょうから、他の参加者は自力で戦わねばなりませんね!」
イザベラが扇で口元を隠しながら脅し始めると、パメラが我が意を得たとばかりに前のめりで煽りだした。
「残念ですね、参加すれば間違いなく実力は伸びるでしょうが……命あっての物種です! 諦めて、おめおめとお帰り頂くのがよろしいかと」
「そうねぇ……でも、すげなく追い返すのもかわいそうだわ。チャンスくらいあげないと」
不穏な気配を察知し、騎士科の生徒達の額に、じわりと汗がにじむ。
「長期休暇は一ヶ月。本気で強くなりたい者だけ、特別に参加を許しましょう」
イザベラはパチン! と小気味よい音をさせ、扇を閉じた。
「ただし持込みを許すのは、稽古用の剣と衣服のみ。この訓練合宿は命懸け……少しの甘えも許されないわ」
葉っぱでもかけて眠るがいい。
貴族令息とはいえ、寝具とテントすら不可である。
口元を歪め、ゴミを見るような冷たい視線を投げかける二人に、未来の騎士達は震えあがった。
「食料と水は自給自足。幸い近くに水場もあり、小動物もいると聞くわ。運が良ければ木の実くらいはありつけるかしら?」
「休み明け、どれだけの者が生き残っているか……イザベラ様、またひとつ楽しみが増えましたね!」
まさにサバイバルですね、とパメラは悪い顔をして視線を送る。
「生き残れる自信がある者だけ、参加なさい」
クスクスと笑いながら、見下ろすイザベラの姿は、まさに悪役令嬢――!
「思い残すことが無いよう、せいぜい親孝行をしてからくることですね……!」
仕返しをするなら今! とばかりに虎の威を借り、パメラはここぞとばかりに言い放ったのである。
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