第8話 接待チェスは、イザベラルールで
今年最後の定期試験。
掲示板へと貼り出された紙を目の前に、パメラは両手で口元を押さえ、打ち震えていた。
スクールカースト上位を狙い、お手製の試験対策『おまとめノート』を丸々暗記させたこの試験。
特進科の成績表の前で、いつになく生徒達がざわついている。
「ま、満点!?」
イザベラの順位は、90人中、1位。
そして、パメラは――。
「うっ……うわぁぁぁぁぁああん!!」
パメラは泣き叫びながら、特進科の空き教室へと猛スピードで走ったのである。
***
「イザベラ様ぁぁッ!!」
放課後の空き教室には、無事上位ランカーの仲間入り……どころか、最上位に君臨するイザベラが、優雅にチェスを指していた。
「パメラ、お前はまたノックもしないで……」
「そんな事を言っている場合ではありません! なんてことを……何てことを、してくれたんですかぁッ!?」
テーブルに、バン! と手を突いて、パメラは半狂乱で泣き叫ぶ。
「満点で単独首位とか、もう本当に、何てことしてくれちゃったんですかぁッ!? おかげで私は二位転落ですよ!! 私の……私の、全テスト首位キープの夢が!」
就職活動の面接で、『三年間、試験では常に学年トップでした』って言おうと思っていたのにぃぃぃ!
必死に詰め寄るパメラを横目に、イザベラの対局相手レナードが手元の駒を進める。
可哀想に思ったのかギルが水差しを手に取り、はぁはぁと興奮するパメラにグラスを差し出してくれた。
「ぎ、ギル様、ありがとうございます! ……ぐぅ、さすがはフランシス公爵家。レモン水まで極上の味」
一気に喉へと流し込み、少し落ち着きを取り戻したパメラは、チェスの盤面へと目を向ける。
空になったグラスをギルが無言でパメラの手から受け取り、そっと脇に避けてくれた。
「ギル様の優しさが身に染みる……」
黙々とチェスを指し続ける二人。
パメラは悔し気に睨み付けるが、腹立たしいことに見向きもしない。
ふと、レナードの黒い駒が不自然な動きをしていることに気付き、ぼんやりと盤上を眺めていると、いつの間にかキングが隅に追い込まれている。
「チェックメイト」
動きを封じられ、盤上の隅から動けなくなった黒のキング。
すかさずイザベラが白のルークを寄せ、レナードがしまったとばかりに額へと手を当てた。
「いや、淡々とチェックメイトって!! イ、イザベラ様、聞いていらっしゃいますか!? 私の地方行政官への夢が、こんなことで頓挫するとは」
どこまでもマイペースな二人を視界に収めながら、ハッと我に返ったパメラは、せめて話を聞いてくれと再び泣き叫ぶ。
「うわぁぁん、二度と教えるもんかぁぁ」
「まぁ、パメラ。なかなか器が小さいわね……嫌いじゃないわ。でも二位の何が問題なの? 立派な成績でしょう」
「何を仰っているんですか!? 平民から地方行政官になるには、余程のインパクトがないと志望書に目すら通してもらえないんですよ!?」
余程ショックだったのか今までになく取り乱し、「ひどいです! もう絶交です!!」と、なおも食い下がるパメラを目に留め、イザベラは小さく溜息を吐いた。
「就職の際には、頑張ってくれた御褒美に、フランシス公爵家から推薦状を書こうと思っていたのだけれど……残念だわ。絶交されたら書けなくなってしまうわね」
「……推薦状?」
鶴の一声に、パメラの肩がピクリと震える。
「しかも、フランシス公爵家の?」
途端に大人しくなったパメラは、コホンとひとつ咳払いをするなり、喜色満面イザベラを見つめ、少し考えるように目を伏せた。
「……イザベラ様の卓越した知性。深い学識を携えてなお溢れる、学びへの情熱。それはもはや真理への飽くなき探求心と言っても過言ではないでしょう。このパメラ、おみそれしました」
急に落ち着きを取り戻し、改まって微笑みながら宣うパメラ。
こいつコロッと態度変えやがった……レナードの目がそう語っているが、知った事ではない。
ギルはそっと視線を逸らし、雲すらない青空を無言で見つめ……ギル様、素敵! 青空になりたいわとイザベラがキラキラした眼差しを向けている。
「なんですか? 権力者におもねるのは平民の仕様です」
「いやまぁ……俺は本人がそれでいいなら、何も言わないけど」
「構いません。非常に満足のいく御提案を頂きましたので、この話はこれにて手打ちとさせて頂きます。ですが一点だけ宜しいですか?」
レナードに向かって開き直った後、パメラは思い出したようにチェス盤へと視線を送った。
「先程の対局……レナード様、手を抜きましたね?」
「んまぁ、手抜きですって!?」
「五手前のキングの動きは、どう考えても不自然……宜しいですか? イザベラ様は親の七光りを利用して、下位貴族を虐げるような御心の狭い方ではございません。いつだって本気を受け止めて下さる、素晴らしい方です」
勝負ごとは常に本気で臨まねば、相手にも失礼ですよ!
「いや、そんなことは……」
ずばり、図星の接待チェス。
彗星の如く現れ看破したイザベラフリークに、レナードは口ごもりながら言い訳を始める。
手の平返しも平民の仕様です! と、得意げなパメラだが、そんなはずはないだろう。
「親の七光りだなんて、失礼ねぇ。このわたくしが、そんな地味な輝きだなんて」
フランシス公爵家の名に加え、母は降嫁した国王陛下の妹。
王家の威光も掛け合わせ、すなわち四十九光である。
「王家の御威光を、そんな事に使わないでください! 国王陛下が泣いておられますよ!?」
「そんな事無いわ。先日も一緒にチェスをしたばかりよ」
国王陛下とチェス……?
平民がどれほど努力しても越えられない壁。
その向こう側にいる目の前の雇用主に、パメラは眩暈を覚えた。
「ちなみにどちらが勝ったのでしょうか?」
「もちろん、このわたくしに決まっているでしょう!」
そんなに弱いのに!?
事も無げに言うが、国王陛下に接待チェスを指させる御令嬢など、王国広しと云えどイザベラぐらいである。
「なるほど……では、ギル様。今からイザベラ様と本気で対局をしていただきたいのですが、宜しいですか?」
このままでは、まずい。
今のうちに自分の実力を知っておかないと、大人になってから恥をかくかもしれない。
ギルなら例え勝っても、イザベラは文句を言わないだろう。
なんだかんだで面倒見の良いパメラ。
そんな親心もあっての指名だったのだが、レナードと交代し向かい合わせに座った途端、何故かイザベラに手招きされた。
なお、試験を頑張ったギルからの御褒美については、只今イザベラマターで検討中である。
「パメラ、こちらへ」
呼ばれるがままイザベラの隣に腰掛けると、早くもそわそわと、落ち着きなく動き出す。
(ちょ、ちょっと思ったよりも近いのではないかしら?)
(はぁ……)
うきうきと小声で耳打ちされ、答えあぐねているうちに対局が始まる。
緊張したのか、イザベラの駒がつるりと手から滑り落ち、ギルの足元へと転がった。
「はい、どうぞ」
にこりと微笑むギルに駒を手渡され、どさくさに紛れて、ちょんとその指に触れるイザベラ。
(きゃぁぁ、ふ、触れてしまったわ!)
(いやいや……はぁ、それは良かったですね)
二手、三手……ギル優勢のまま、盤面は進んでいく。
(ねぇパメラ。キングの隣には、やはりクイーンが必要だと思わない?)
(一体何の話ですか?……真面目にやってください)
先程までスンとしてたのに、レナードの時とは大違いである。
(いえね、添う二人はやっぱり隣同士、近くに立たせてあげたほうが良いと思うの)
(ルールを守って動かしてくださいね?)
(パメラは相変わらずねぇ……いいこと? フランシス公爵家たる、わたくしの駒は、比較的自由に動くの)
そんなはずはないだろうと、目を眇めるパメラを気にも留めず、イザベラは白のクイーンへと手を伸ばす。
縦横斜めに自由に動く、クイーンの駒。
将棋同様、通り道にある相手の駒を奪うと、そこで止まるはずなのだが、何故かイザベラのクイーンは、ぴょんと相手のビショップを飛び越えてキングの隣に落ち着いた。
「イザベラ様、クイーンはこちらでは?」
「まぁ、ギル様。お優しいのですね。でも大丈夫……わたくしのクイーンは、お慕いするキングの隣が良いと申しますので、その望みを叶えてあげたところです」
「なるほど……あははっ、それならまぁ、うん」
泣く子も黙る、イザベラルール。
頬を染め、うふふと嬉しそうに笑うイザベラにつられ、ギルまで笑い出し、それをイケメン護衛騎士が部屋の隅で微笑みながら見守っている――。
なんだこれ……。
私は一体何を見せられているんだと、呆然としつつ、一縷の望みを懸けてレナードを見遣ると、彼もまた何とも言えない微妙な表情でイザベラ達を見つめていた。
ふと、パメラに気付き、二人の視線が交差する。
通いあう互いの心――。
意図せず、二人の友情が深まった瞬間であった。
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