第2話 思いもよらぬ痴態
「あのぅ~」
放課後、騎士科の寮に帰る途中に可愛い声で呼び止められ、視線を落とすと、最近よく差し入れをしてくれる女の子が目に入る。
子リスのような小動物系の顔に、優し気な雰囲気。
さらに平民で特進科に入学ともなれば、さぞ優秀に違いない。
確かパメラと言ったか、比較的小柄なその子はどこから情報を入手したのか、
シャツの袖口が破れた事を知っていた。
「もし良かったら、繕わせてください」
そう言って手を差し出す姿がいじらしく、俺なんかのシャツをわざわざ繕いに来てくれたのかと、思わず頬が緩む。
いつもクッキーやメッセージカード……暑い日にはタオルまで。
今度何かお礼をしなければ、と思いつつ、こんな雑務をお願いしてよいものか悩んでいると、後ろから来たレナードに掴まった。
「お、どうした? パメラじゃないか」
レナードと仲が良いのだろうか。
そういえば、今日レナードとイザベラ、パメラが三人でいる姿を見掛けた。
「レナード様、こんにちは。ギル様のシャツを繕わせていただこうと思い、お声がけした次第です」
本当はイザベラ様の使いで、と言いたいところなのだが、恥ずかしいから言わないでくれと、イザベラの名を出さないよう申しつけられているパメラ。
誰が繕うのか主語が抜けている為、これでは勘違いされるのでは……と心配のあまり気もそぞろなのか、少々台詞が棒読みである。
「どうせ自分でやらないんだろう? 折角だから、お願いすればいいじゃないか」
レナードに背中を押され、それならばとパメラに手渡した。
嬉しそうに受け取り、駆け去るパメラ。
「結婚するなら、あんな子が良かったな」
ぽつりと本音が漏れ出ると、驚いたのかレナードが、大きく大きく目を見開いた。
*****
今週は稽古が無いから構わないが、いつ頃返してくれるのか聞き忘れたな……。
何かお礼でもと思うのだが、迂闊な事をすると件の公爵令嬢イザベラに怖い顔で糾弾されそうで、何も出来ないまま今に至る。
「昨日のシャツなんだけど……代わりにこれを使って欲しいとイザベラ様から」
教室からぼんやり外を眺めていると、レナードから声が掛かる。
パメラに渡したはずなのに、何故か歯切れの悪いレナードから、新しい稽古用のシャツを手渡された。
「……なぜイザベラ様から?」
繕ったシャツを着ている男なんて、高貴な血を引く自分には似つかわしくないとでも言いたいのだろうか?
それならさっさと断って、婚約破棄でもなんでも、してくれればいいものを。
そもそも何故シャツの一件をご存知なのだろうか。
昨日も何故か騎士科の近くでこそこそと……一体どういうつもりだ!?
挙げ句、俺にはニコリともしないくせに、レナードの前ではあんなに可愛く微笑んで……。
腹立たしいような悔しいような、どろりと黒いものが胸をムカつかせ、ギルは勢い良く席を立った。
さすがにコレは、一言言わねば気が済まない。
親切にしてくれたパメラの事も気掛かりである。
早足で特進科に向かうギルを、慌ててレナードが追いかける。
特進科の校舎が視認できる距離まで近付いたその時、少し嫌がる素振りのパメラの腕を、強引に引っ張り空き教室へと連れて行く、イザベラの姿が遠目に見えた。
「うわぁぁっ! 何をする気ですか!?」
叫ぶパメラの声を耳が拾い、これはまずいと慌てて教室へと急ぐ。
すわ一大事かと教室に飛び込むギルと、後に続くレナード。
木陰から、僅かに日が差し込む教室。
無残に散らかった裁縫用具に、こんもりと絡まった糸くず。
息せき切って飛び込んだ視線の先には――――。
ギルのシャツに顔を埋め、ご満悦で深呼吸をする公爵令嬢イザベラの姿があった。
「……え?」
思いもよらないイザベラの痴態に、状況を理解できず呆然と立ち尽くすギル。
奇行を止めようと、慌てふためきながらシャツを引っ張っていたパメラは、ギルに気付き、あーあと小さく呟いた。
ドア口に凭れ、呆れたように息を吐くレナード。
「…………えぇ!?」
人の気配に気づいたイザベラは、ほんのり紅く染まった顔を上げ、ドアの方へと目を向ける。
茫然自失で立ち尽くすギルと、苦笑するレナードがその瞳に映り込む。
「……きっ」
すぅぅと息を大きく息を吸う。
「キャアアアァァッ……ッツ!!!!」
窓の外で、木の葉がさわさわと優しく揺れる。
羞恥と驚愕にまみれたイザベラの悲鳴が、教室中に響き渡った。
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