6 薬師の手

  次の日、ルナは重い体を引きずるようにして、ヤクばあちゃんの小屋へ向かった。


 「薬草図鑑の大部分の植物は、識別できるようになったみたいだから、今日は私が採ってきた植物を種類ごとに仕分けしな」

 今日は、外への採取へ行かなくて済むことにほっとして、ルナは早速作業に取り掛かる。自分で思っているより、久々にダレンと会ったダメージがあるようで、ルナは集中力に欠いた。


 こんな作業を延々と続けていて薬師に本当になれるのだろうか?

 ダレンの言うように草遊びにすぎないのではないか?

 苦労して薬師になったとして、きちんとお金を稼げるのだろうか?

 結局、自分は何も変われずにこの辺境でダレンや周りから、虐げられて生きていくしかないのか?


 気づくと、手が止まって、自分のぐるぐるとした黒い思考に絡めとられてしまう。

 

 「ルナ。手が止まってるよ。仕分けをする時はきちんと集中しな。ほら、これとこれは違う種類だろ」

 ヤクばあちゃんからの叱責の声に、手を止めて顔を伏せる。

 

 「ルナ、本気じゃないなら薬師になるのは諦めな。薬っていうのは人を生かすことも殺すこともできる。一歩間違うと毒にもなりうるもんなんだよ。材料である薬草を間違えたらとんでもないことになるんだよ。それをアンタわかってるのかい? 本気で薬師を志すつもりがないのなら、やめちまいな! 諦めてダレンだか、誰かにすがって、この地に骨を埋める覚悟で生きていくこったよ!」


 ルナの迷いを見透かすようなヤクばあちゃんの厳しい言葉に、ルナはただ涙を流すだけで、返事を返すこともできない。


 「ルナ」

 ルナの周りの空気がふわっと揺れたかと思うと、両肩にあたたかい手が添えられる。


 「サイラス! あんた、昨日も言っただろう? あんまりルナを甘やかすと出禁にするよ!」


 「師匠、約束はちゃんと守る。ルナに会いに来るのは週に一回、二時間までだろう? 今日は前回来た時から一週間経ってる。今から二時間、ルナとの時間をちょうだいよ」


 「はぁ。まぁ、ルナもそんな状態じゃ作業できないだろう。サイラス、二時間までだからね。時間が経ったら、とっとと帰るんだよ」

 サイラスに釘を刺すと、ヤクばあちゃんは姿を消した。


 「ルナ、大丈夫?」

 サイラスがいる。そのことだけで、また涙が止まらなくなる。サイラスと一緒に居られるのは二時間だけだから、泣いていたら時間がもったいない、そう思うのに涙が止まらない。小さな子どものように、わぁわぁと声をあげてルナは泣いた。ルナが泣いている間、サイラスは何も言わずに背中をそっと撫でてくれた。


 「落ち着いたかな?」

 いつもはヤクばあちゃんが淹れてくれるお茶をサイラスが淹れてくれた。今日のお土産は卵を使った素朴な焼き菓子で、ささくれたルナの心にじんわりとその甘さが染みた。いつもは対面に座っていたサイラスが、今日はルナの隣に座っている。そのことが少し落ち着かない。


 マグカップを持つ自分の手が目に入った。洗っても取れない薬草の色に染まった爪先。薬草を洗ったり、作業の合間に手を洗うことで荒れた指。採取や作業でついた無数の切り傷のある腕や手。ふいにサイラスにどう見られているのかが気になり、手を引っ込める。


 「ルナ、どうしたの? お茶おいしくなかった?」

 「なんでもないよ。サイラスの淹れてくれたお茶もお土産のお菓子もおいしかったよ」

 サイラスの綺麗なオッドアイに見つめられて、ルナの頬が赤くなる。


 「ルナ、なんで手を隠してるの? 怪我したの?」

 綺麗なサイラスに引け目を感じて、自分の後ろに隠した両手をサイラスにそっと掴まれる。サイラスはルナの両手を正面に持ってくると、まじまじと見つめた。


 「なんでもないの。ねぇ、サイラス、手はあんまり見られたくないの。だって、薬草の汁とか切り傷とかあって醜いでしょ? ねぇ、もう手を放してほしいの」

 ルナの弱い懇願も聞き入れず、サイラスは手を放してくれずに、ルナの手を真剣に見続けた。

 

 「ルナは全部綺麗だよ。汚いところなんてない。この手だって美しいじゃないか。ルナの手はもう薬師の手だ。ルナの手はこの先、人を救う手だ。たくさんの薬を作って、たくさんの人が救われるんだよ。それのどこが醜いんだい?」

 サイラスの思いがけない言葉に、ルナは言葉も出ない。


 「ルナ、本当に醜い手っていうのは、僕の手や師匠の手のことだ。この手はね、たくさんの人やたくさんの魔物を殺めてきたんだよ。血塗られてるんだ。魔術師は、無常に命を屠る仕事だ。大義名分のもとに。でも、薬師は人を救う仕事だ。だから、ルナ、自分を卑下しなくていい。この手を誇っていいんだ」


 サイラスは自分の両手をルナの前に差し出して静かに言った。サイラスは初めて会った時にしていた分厚い手袋はいつの間にかルナとお茶をする時間は外すようになっていた。サイラスの手はその華奢な身体つきからは想像できないほど、がっしりとしている。手の皮も厚く、剣や武器を扱うのかあちこちにタコもできている。よく見ると腕には風化した傷や傷口を縫った跡が無数にある。


 「サイラス、ごめんなさい……。私、考えなしにものを言ってしまって。サイラスにそんなこと言わせたかったわけじゃないの。サイラスだって一生懸命お仕事しただけでしょう? 生きていくためだったんでしょう? 自分やたくさんの人を守ってきたんでしょう? そんな……そんな……サイラスまで自分を落とすようなことを言わないで。言わせてしまってごめんさない」

 思わずサイラスの手を握りしめて、自分の額につける。


 「ルナ、ルナ、泣かないで。僕が言いたかったのは、どんなルナだって可愛くて綺麗だってことなんだ。心まで綺麗なんて本当に天使だね。ああ、でも、確かに自分のことを前向きに言ってもらえるってうれしいことだね。ありがとう、ルナ。ね、ルナ、手を出して」

 サイラスの手を離すと、自分の手を差し出した。サイラスはルナの涙をハンカチでぬぐうと、飾り気のない缶を取り出した。

 

 「これ、切り傷とかあかぎれに効くクリーム。師匠に依頼して調合してもらったんだ。もちろんちゃんとお金も払ってる。僕が塗ってもいい?」

 ルナが頷くと、そっとルナの手を取って、優しくクリームを塗っていく。傷口にクリームが入ると少しピリッとした刺激がある。

 「ルナ、痛い? ごめんね、ごめんね……僕はこんなことしかできない」

 はっとして、サイラスを見ると、くしゃりと悔しそうに顔を歪ませている。

 

 「ルナ、師匠は厳しい人だけど、嘘はつかない。修行を始めたばかりの今は途方もなくてわけもわからなくて辛い気持ちだと思う。でも、師匠についていったら、きちんと実力がついて、胸を張って生きていけるようになるから。証拠は僕かな? なんて。一応いっぱしの魔術師として生きているだろ。今は耐えて、としか言えない。もう、時間だから行くけど、必ず週に一回は会いに来るから。この薬自分でも塗ってね」

 サイラスは、ルナの頬をそっと撫でると、次の瞬間にはいなくなっていた。


 ルナはサイラスが褒めて手当てをしてくれた自分の手を握りしめた。もう一度、自分や自分の将来を信じてみよう、そんな気持ちが小さく芽生えていた。

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