5 軋む心

 サイラスは、人付き合いが嫌いなヤクばあちゃんの家に訪ねて来る唯一の人だそうだ。村に薬を納める時は、ヤクばあちゃんが直々に村長の家に行くから、ルナ以外の村人が訪ねて来ることはない。ルナがヤクばあちゃんと出会う前から、月に一回くらい定期的に訪ねて来ていたようだ。


 サイラスは元々、ヤクばあちゃんの魔術の弟子で、今は王都の冒険者ギルドの職員をしている。冒険者ギルドの仕事の一環として、ヤクばあちゃんの薬やポーションを買い付けにきているらしい。


 サイラスの仕事を知って、ヤクばあちゃんがはじめにルナに釘を刺した訳がわかった。いつも着ているカッチリとした立派な制服を見てもわかる。王都の冒険者ギルドの職員という立派な仕事についているサイラスがいつまでもルナと遊んでいるわけがないのだ。きっと一時の戯れなのだろう。それにサイラスとは十歳も年が離れている。きっと辺境の可哀そうな子どもを構ってあげている、それだけなのだろう。ルナは浮かれそうになる自分の心を必死に抑え込んだ。


 ルナが自制するのと正反対にサイラスはルナへの好意を隠そうともしなかった。サイラスはヤクばあちゃんに何度叱られても、ゲンコツをおとされても懲りずに、週に一回はヤクばあちゃんの小屋に現れた。


 そして、毎回ルナへのお土産を携えて来る。ヤクばあちゃんの忠言を守って、お土産は食べ物だった。カラフルな飴玉や、ほっぺがとろけそうになるケーキやおいしいお茶の葉っぱとか。甘い物が苦手なサイラスは、お茶を飲みながら、ルナがおいしそうにお菓子をほおばるのをやさしく見守っていた。サイラスの口元はいつも柔らかく弧を描いている。サイラスがいると空気が軽くなるような気がした。


 ルナの薬師としての修業も続いていて、過酷さを増していった。薬草畑の薬草の区別がつくようになると、外での採取がはじまった。薬草図鑑に群生地や生育環境などは記されているが、それを地図と照らし合わせて場所の当たりをつけていかないといけない。また、途方もない作業がはじまった。


 ダレンに色々な場所に連れて行かれ、置き去りにされたせいで、見覚えのある場所が多い。人生、何が役に立つかわからないなとルナは思った。ヤクばあちゃんが探しやすい場所にある薬草から指定してくれたのだけが救いかもしれない。


 毎日、緑の森や野原を泥だらけになって、小さな傷を手足に増やして採取に励んだ。崖の端だとか、山の上とか、魔の森ぎりぎりとか、結構過酷な場所にも行かされた。ただしダレンと違って、サポートは手厚かった。危険な場所にはヤクばあちゃんも同行してくれたし、魔術や魔道具でサポートしてくれたので安全に採取できたし、仮に怪我をしても、ヤクばあちゃんが治癒魔術で治してくれた。


 そんな辛くて、淡々とした退屈な日々の中で、週に一回のサイラスとのお茶会の時間だけがルナの唯一の楽しみだった。


◇◇


 その日は崖の端に咲く珍しい花の採取で、ダレンと遊んでいた時に崖から落ちた恐怖を思い出し、精神的にも肉体的にも辛い一日だった。


 「ルナ」

 帰りが遅くなって焦って村はずれの道を小走りで駆けていると、ダレンに呼び止められた。


 「おい、なんだその顔は? 最近、俺が構ってやらないからって、人喰い魔女とつるんでいるらしいな」

 疲れているし早く帰って、眠りたい。そんな不機嫌な気持ちが顔に現れていたのか、ダレンが突っかかってくる。


 「ヤクばあちゃんは人喰い魔女なんかじゃない。立派な薬師だよ。薬を作るって本当に手間暇かかってるんだよ」

  疲労がピークに達していたルナは、イラッとして言い返してしまう。


 「は? 俺に盾突いてくんのかよ。ルナのくせに」


 「痛い痛い。離して……うぅ……」

 ルナの口答えが癇に障ったのか、ルナの一つにまとめた三つ編みを引っ張り、ねじりあげる。ルナの足が地面から浮き、頭皮がギュッと引っ張られてキリキリ痛む。


 「魔女と草と泥にまみれて草遊びしてるだけのくせに。偉そうなこと言うなよ。俺に構ってほしかったら、もっと身綺麗にすることだな」

 近くで村人の話す声が聞こえると、ダレンはルナを睨みつけて囁き、急に手を放した。ルナは地面に崩れ落ちる。ダレンは辺りを見回すと、足早に去って行った。ルナは荒い息を繰り返しながら、地面を見つめた。


 早く帰って寝ないと。明日もまた、採取に行かなければならない。ダレンなんかを気にしている場合ではない。


 それでも、足が動かない。立ち上がる気力が湧いてこない。


 自分の薬草の色に染まった爪先を見る。手の切り傷やあかぎれもひどい。


 こんなことをしていて本当に薬師になれるんだろうか?

 薬師になったとして、ヤクばあちゃんのように感謝もされずに魔女と呼ばれるだけなのだろうか?

 自分のしていることは無駄なのだろうか? 


 自分の中でぐるぐると渦巻く暗い気持ちに取り込まれそうになった時に、視界に猫の姿が目に入った。銀色のふわふわした猫はサイラスを思い出させる。その猫のオッドアイを見て、前回サイラスに会った時のことが頭によぎった。


 前回会った時、初めて眼鏡をとって、瞳を見せてくれた。

 サイラスの瞳は、左が紫、右が水色のオッドアイだった。片目だけだが、自分の瞳とおそろいなのがうれしくて胸がくすぐったくなり、瞳の色の綺麗さにほうっとため息がでた。


 「こっちはルナとおそろいだね。でもルナのほうが深い色で綺麗だよね。ちょっと珍しい瞳だから、他の人にはナイショだよ」

 その綺麗な瞳を細めて笑う表情に、ルナの頬が紅に染まる。


 「ルナは僕の瞳が気に入ったみたいだね。じゃ、ルナの前では眼鏡ははずすことにしよう」

 なんて茶化されて、なぜかサイラスにヤクばあちゃんからゲンコツが落ちた。


 その情景を思い返して、気づくとルナの頬には涙が幾筋も伝っていた。


 明日はサイラスが来る日だ。明日になれば、サイラスに会えるはず。ルナは涙をぬぐい立ち上がると、ゆっくりと歩き始めた。


 ふと立ち止まって振り返ると、サイラスに似た猫は影も形もなく消えていた。

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