第30話 狂い桜は目を閉じる

 いとが自身の行く末を決めた晩、一人厳彦は枯れた桜の木の下で瞑目していた。体が丈夫なのは子どものころからだったから、傷は癒えつつある。


 主に物の怪が離散したことを伝え、念のため今夜一晩中見回るように命じられてここにいる。今までは、物の怪が発する瘴気に呼び寄せられる物の怪がいたが、今は打って変わって静まり返っていた。


(呪いの発生源が経たれたからな、やつらは栄養のないところにはいかない)


 物の怪がいとによって離散した後、桜は嘘のように枯れ木に変わっていった。もともと、物の怪の力で無理やり生かされたようなものだから、本来の姿に戻ったと言ってもいいだろう。


 桜の木を気に入っていた女御はひどく残念そうな顔をしていたが、物の怪につかれていたと聞き、納得してくれた。明日になれば、宮中の陰陽師たちが改めて桜の木の祈祷を行うだろう。


(物の怪が宿った木など、宮中に置いておくわけがないからな)


「俺はあの時、斬れなかった……」

 何度も頭の中で思い描いていただろう。気配を消し、宿主の行動をそっくりまねることができるほどの怨霊だ。狡猾であるのは分かり切っていただろう。

 それなのに、刃に迷いがあった。あの優しい人を斬ることができなかった。


 今まで怨霊や物の怪を相手取って戦ったことは幾つもあったから、過信していた。戦えるのだと。相手がだれであろうと、平静でいられると。


「柳め、わざと偽物を握らせやがって」


 あいつ、と悪態をつきたくもなる。あの杭の彫り物はどう見ても素人の物だ。自分が斬れないと柳は最初から分かっていたのだ。自分と明陽殿の女御の関係は知らないはずなのに、どうして斬れないと分かったのだろう。


 結果的に、物の怪はいなくなり女御様は回復しつつある。先ほど、湯あみの準備をしているのが見えた。自分もここにいる理由もなくなった。いとが投げつけた杭は、物の怪だけに通じる杭で女御に目立ったけがはないようだった。


「いい、どうせあいつは明日には解放される」


 あれの父親は、いわばいいように使われた典型的な木っ端貴族そのままだ。主が言うには、時流を読み違えたらしい。知らぬ存ぜぬを通せば、家に害が及ぶことはないだろう。


 ——— 娘以外は。


 ちくり、と胸が痛んだ。魚の小骨のようなそれは、意識すればするほど奥へと入り込んでいった。今までこんなことはなかった。


「あいつはどうなるのだろうな」


 身代わりに連れてこられ、結果的に役目は果たしたとはいえ、女御だと騙ったことは事実。情状酌量はされても、二度と都には戻ってこられないだろう。


 それでいいじゃないか。柳はもともと、紀伊の館に思い入れがあるようだったし、あの娘のことだから旅人として歩き回っても、平気そうだ。それに、あの性分なら人の助けも借りられやすいだろう。

「柳は一人でも大丈夫だろうな」

「本当にそう思われますか、厳彦殿?」

「誰だ!?」

 顔を上げ、傍らに立てかけてあった太刀を握ると厳彦は声を上げる。自分を呼んだ男は、土ぼこりにまみれた僧衣に身を包んでいた。古ぼけた菅笠をかぶり、必要最低限の荷物しか持っていないように見えた。


(気配がしなかった、この男……もしやすると)


「はじめまして、と言いますか。どうも、うちの弟子がご迷惑をおかけしたようで」

「あなたが、柳が言っていた御坊殿だな」

 そうですよ、と壮年の男は月明かりの下でにこりと笑った。

「都の桜はもう散っているのですね。ここの桜は見事だと小耳にはさんだものですが」


「この桜は物の怪につかれていたから、長く咲いていただけです」

「そのようですね。ですが、もうその気配はないですね」

「ええ、あなたの弟子が祓いました」

 その言葉に、そうは驚いたような声を上げた。


「あの子にそのような才はないと思っていましたが。私はあの子に封印の印を刻んだ杭を都の陰陽師にでも渡してもらおうと思っていたのですが」

「……あいつが自分でやりました」

 先ほどの考えが頭をよぎり、厳彦は苦々しげに答えた。


「まったく、三つ子の魂も百までとはよく言うものです。幼いころからの癖は治っていませんね」

 やれやれ、と肩を落としているとはいえ、僧の言葉の端々にはうれしさがにじんでいた。柳のことを”弟子”と言うのなら、成長を喜んでいるのだろうか。


「あぁ、この菅笠ですね。笠を下ろさずに話すというのは不作法でしたね」

 苦笑交じりに僧は笠を取って、会釈をした。

 僧というのは毛をそるものだというのに、その僧は有髪だった。そして、その髪を見て厳彦は思わず目を見開いた。


「そうか、そういうことだったのか……!」


 くく、とのどを鳴らして厳彦は笑った。目に手を当て、歯を食いしばった。彼の姿を見て、納得した。なんという偶然だろう。あまりのばかばかしさに、頭がおかしくなりそうだった。


 自分の髪を見ても、瞳を見ても恐れよりもまず奇麗だ、と言ったわけを。


 月明かりよりも白く、星を散らしたように輝くその白い髪。老人の白髪とは全く違う、みずみずしい色彩を宿していた。一見すると、女性のようにも見える長い髪を器用にまとめ背中に流していた。かすかな夜風にもさらさらとなびいている。

 

 ——— 誰よりも尊敬する御仁が、俺と同じ髪色だったのか。


 知り合いと同じなら、恐れる必要はどこにもない。恐れられることを恐れていたのは自分だったのか。素直に、知り合いに白髪の人物がいると言えばよかったのに。

 言わせなかった自分も悪いかもしれないけれど。


「笑われるのはさすがに心が痛みます」

「す、すみません。ただ、柳のやつが俺を見て恐れなかったわけを知って、あまりにもばかばかしく思えて笑ってしまったのです」

「そうですか。私に初めて会った時も、そうだったのです」

 遠い目をして懐かしむ姿に、厳彦はなんだか居心地が悪くなった。宮中に忍び込めるほどの力を持っているのなら、こんなにすり切れたような恰好はしないはずなのに。


「久々にあの子に会いに紀伊に行ったらですね、都にいると聞きましてね。つい今しがた辿り着いたところだったのです」

「あの、御坊……柳は」

「聞いています。またぞろ面倒ごとを引き受けてしまったのでしょう。紀伊にいたときもそうでした。頼まれもしないのに、父の代わりに仕事をしていました」

「それは、聞いたことがあります」


 幼いころは夭折した姉のふり、成長してからは幼い弟の代わり。誰かの代わりをずっとやってきた人間だと知った時は、どこか共感を覚えた。この娘はどこか自分と似たところがあるのではないか、と。

 だからこそ、顔を見られたときは裏切りにも似た感情を抱えた。


「あなたの主は何と?」

「主にはもう物の怪はないと伝えています。この一件は全て、物の怪がやったことと帝に上奏すると」

 あの物の怪は主に執着しているような気配を見せていたが、先に手を回しておいたおかげで、主が心動かされることはなかった。その言葉は本心ではないと、ただ利用されているだけだと知った時は動揺していたが、証拠の文を見せるとしぶしぶ納得してくれた。


(あの主はただ待っていれば椅子に座れるからな。無理に足搔く必要はないし、かえって逆効果だ)


「あの子は?」

「物の怪に襲われてすぐは気を失ってはいましたが、先ほど目覚めたと知らせがありました」

 主は身代わりになった経緯も含め、帝の沙汰を待つつもりだと言っていた。どちらにせよ、何かしらの罰が下るのは明白だ。

「それで、あなたは今後どうなさる?」

「御坊、おっしゃっている意味が分かりませんが?」

 自分の今後のことなど、この僧にはかかわりのないことだろう。今まで通り、主に従い陰ながら彼女を見守れればそれで―――。


 ごめんなさい。


 ふと、脳裏に浮かんだ光景があった。あの時、柳は泣いていた。悪いことなどしていないのに、ひどく悲しそうな顔をこちらに向けていた。


 奇麗だ、と言ってくれた。誰もそんなこと一言も言ってくれはしなかった。誰もが嗤い、蔑んだこの姿を奇麗だ、と。あの時は、褒めるふりをして嘲っているとばかり思っていた。けれど、あれは本心だったのだ。


 そして、最後に自分が聞いた言葉は、自分の宝物を厳彦に託すものだった。あれだけ取り乱すほどの宝物を、ああも晴れやかな顔で託せるものか。

 笑っていた。縛り上げられた腕や胴は痛むだろうに、無理をしているのがばればれだ。それなのに、取り繕うようにわざと大声で叫んでいた。


 ——— 夕星をあんたにあげる。


 その声が脳裏に反射した。とたん、目頭が熱くなるのを感じた。

「……」

「あの子をどうかよろしくお願いします。家族思いの、とても優しい女の子です」

「御坊! せめてお名前をっ!!」

 立ち去る気配を感じて、厳彦が声をかけるも、気づけはそこは誰もいなかった。あれほどの術を使える天狗がまだいたとは思わなかった。それに、あの天狗は師匠と違って、人間の中で暮らしているようだった。


「どうして、あんな顔をするんだ……。俺は、お前を傷つけたんだぞ」

 問いかけたところで、誰も応えはしないのに、誰かに応えてほしいと厳彦は思った。

「?」

 ふと足元を見ると、何かが転がっていた。木箱のようなそれを持ち上げてみると、少し重たい。何かが入っているようだった。

「何だろうか、御坊の忘れ物か?」

 中に入っているものが分かった時、厳彦はふっと表情を和らげた。


「身代わりだと言っていたが、全くのでたらめではないか。阿呆が」

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