第27話 封印と決別

「言われなくともわかっている!」

 空に投げられた杭を、厳彦は受け取ると女御の背後に降り立った。女御は首だけをこちらに向けて、明らかな不快感を示した。


「何です、この者は」

「……」

 違う。あの人はこんな表情をしない。生気のない顔で、ただこちらを見つめている。柳から受け取った杭を握りしめると、なんだか力が湧いてくるのを感じた。

(いとが言っていた御坊という者、ただ者ではないと思っていたが、もしかすると師匠の同族かもしれないな)


 太刀を構えながら、厳彦は警告を発した。この目映るのは、美しい女性と、それを取り巻くどす黒い何かだった。

初子ういこ様を返せ、物の怪」

「無礼者。わたくしを皇女と知っての言葉か」

「黙るのは貴様の方だ。皇女のふりをしているだけだろう」


 そうだ。これは物の怪だ。あの人を苦しませる何かだ。それなのに、どうして体が動かないのだろう。名を呼ばれて飛び出てきたくせに、何をためらう。

(柳のことだ、何か考えが……いや、ないだろう)


「あぁ、お前は見ていましたよ。毎晩のようにわたくしの桜の周りをうろついて目障りでしたよ。お前さえ現れなければ、わたくしはもっとあの人に会えたというのに

「黙れ。それ以上口を開くな」

 くすくすと笑う仕草は、記憶の中のそれと似ている。その甘い声も何度も聞いてきた。似ているだけだ、似ているだけなのに。とらえた娘からぼろぼろの巻物を取り出し、軽く振った。


 女御が動いた時にふと見えた娘に厳彦は声を張り上げた。

「柳!」

「……」

 声を張り上げているというのに、柳はぴくりとも動かない。桜の木に縛り付けられ、衣のあちこちに血がにじんでいる。

「貴様、その娘に何をした!」

 厳彦が怒鳴り上げるが、物の怪はうるさそうに眉を顰めるだけだった。


「案ずるな。うるさいからしばらく黙ってもらおうと思ってな。まったく姫君らしからぬ、奇怪な娘よな」

「その娘は関係ない。開放しろ」

 杭を投げた途端に、強く殴られたのか気を失ってぐったりとしている。女御の体から発生している呪いが柳まで及んでいる。桜の木に縛り付けられるような形で宙に浮かんでいた。


(もう時間がない)

 これ以上待っていると、女御どころか柳も命の危険がある。師匠の下で過ごしていればよかったのに、どうしてこの娘は山から下りてきたのだろう。そして、自分の名を呼んでこの杭をよこしたのだろう。

 杭を見ると、粗削りだが何らかの文言が彫り込まれていた。



「わたくしの本体を取り出された時は驚きはしましたが、遅かったようですね」

「初子様を返せ」

「返すも何も、彼女がそう望んだのですよ?」

「嘘をつくな!」

 言葉を操る怨霊は少なくない。そのどれもが、都合の良いことばかりだった。

 嘘をつき、惑わし、逃げおおせるつもりだろう。そんなこと、許せるわけがない。


(まともに取り合うな、所詮は時間稼ぎだろう)

 

「この体をくれた姫は、快く体を明け渡してくれたぞ」

「そんなことをするわけがない!」

「……好いた男がいると言っていた」

「!!!???」

 息をのんだすきを、怨霊は見逃さなかった。高らかに笑い、すぅと白魚のような指を厳彦に向けた。


「その者に会えるのであれば、と。利害の一致だ」

「嘘を、言うな」

「嘘ではない。現にこの体の持ち主は喜んでいるようだぞ」

「入内の話はずっと昔から決まっていることだ。左大臣の姫君ともあろうお方が、覚悟もなしに入内するとは思えない」

 入内の話は、彼女が生まれてきたときからすでに定められてきた。いまさら何を思うのだろう。


「そうか? 皆が皆、己の定めに納得したわけではない。お前もそうだろう。その見た目で、生半可な生き方はしていないはずだ」

「お前に何がわかる。土の中で眠っていたくせに」

「あぁ。だからこそだ。この姫の気持ちは痛いほどわかる」

「何が言いたい?」


 にこり、と怨念は笑みを向けた。あの人と同じ、笑顔を。



「嘘をつくのもたいがいにしろ!!」

 太刀を引き抜き、構えなおす。怒りで我を忘れないうちに、この物の怪を斬ってしまおう。さいわい、柳のおかげで呪いの大部分は外に出ている。これなら、女御を傷つけずに済む。


「ひと時の逢瀬であったが、お前に感謝しているのだと。お前に会わずにこの中で暮らしていくのは悲しい、悲しいと泣いて―――」

「黙れ、黙れっ!!」

 走り出した厳彦を、怨念が黒い霧で迎え撃つ。鞭のようなそれをはたき落とすだけで精いっぱいだ。一つはじき返すたびに、その硬さに手が震えそうになる。


「女御様を開放しろ! 女御様の心を知ったような口ぶりで話すな!」

「お前に何がわかる。外に出られぬ不自由さを知らぬくせに!」

 外に出られない不自由、その言葉に厳彦は顔をゆがませた。この怨念の正体は知っている。


(体が弱いために、何もできずに儚く散った魂だ。それには同情しよう、だが今生きている命を蝕んでいい理由などどこにもない)


「お前だって、願うことはあるだろう。その見た目でなければ、その顔でなければ、と」

「そんなこと、当の昔に忘れた!」

 守れるなら、それでいいと思っていた。ここで退けば、全てが泡に帰す。周りに呪いが及ぶ前に、ここで断つ。

「忘れるわけがないだろう。お前が顔をゆがませたことを見逃すわたくしではない」

「!?」

 すぅ、と呪いの気配が消えた。がくりと膝をついた初子を見て、厳彦は慌てて駆けより抱き寄せた。


「初子様!」

「…………」

 何度か揺さぶると、ゆっくりと目を開けた。呪いの気配が消えている。気配をたどろうと顔を上げかけた厳彦の頬を、初子の指がなぞった。

「会い、たかっ、た……」

 弱々しく、声を上げる初子を厳彦が振り返った。初子様、と声をかけようとした厳彦の腹に嫌な感触が走った。べしゃり、と何かが飛び散る音がした。


「やはり、恋とは難儀なものだ」

 ぐしゃり、と厳彦の腹を貫いた霧をしまい、怨霊は立ち上がった。舞い落ちる桜を赤く染めながら、厳彦は地に伏した。

「う、い、子……様」

 さすがの侍も、腹を貫かれては立つこともできない。こうもあっさり手にかかるとは思わなかった。今まで警戒して近寄らせなかったのが悔やまれる。


 ——— ほんの少し、体の持ち主の真似をするだけでこの有様だ。


「この侍は要らぬな。邪魔だから池にでも沈めようか。気分がよいものではないが、また狙われても困るしな」

 この侍は普通の侍とどこか違う雰囲気を持っていた。だから、警戒していたというのに。黒霧を侍にまとわせて、持ち上げる。

 

 血が流れ落ち、小さな赤い池を作っている。それに目もくれず、怨霊が歩いていこうとした瞬間、背中に強い衝撃が走った。左側、心の臓にめがけてそれは走っていくようだった。


「ったく、こんなこったろうと思ったわ……。念のために用意してた偽物を投げて正解だったわ」

 姫君らしからぬ、野卑めいた言葉遣い。痛みをこらえつつ振り返ると、額から汗を流しながら、こちらをにらみつける娘がいた。


 ばかな、と思った。


 あんなにも強く体を締め上げたというのに、いつ目が覚めたのか。娘は、後ろ手に杭を背後の桜の木に突き刺していた。ただの杭ではないことが、体中を駆け巡る忌まわしい感覚で伝わってくる。


「やっぱり、この桜に乗り移って、いたのですね」


 口の端をぬぐうと、紅ではない何かがついてきた。黒く、赤く、それは止め無く流れていく。物の怪は首だけを娘に向けた。この娘からは異様な気配を感じていた。初めて会った時から、自分を見ているような気がしていたからだ。


(深く潜っていなければ、悟られていただろう)


 普通の人間であれば、女御というだけでうろたえたように目をそらすというのに、この娘はただの人間として自分を見てきた。まっすぐに、嘘も偽りも見通してしまうかのように。


「こんなことをして、許されるとでも思ったか……」

「許されようが、されまいが。私は罪人なんでしょう。今更罪が一つ二つ重なっても、私一人の命で済むんでしょう」

 は、は、荒い息が混ざりつつも、その瞳の色は変わらなかった。だんだんとその色は怒りよりも、別の何かの感情が混ざりつつあった。

 

 あはは、と力なく笑う娘はどこか子どものようだった。体をより強く締め上げても、痛がる様子はどこにもない。痛みすら超えた何かが娘にあるとでもいうのだろうか。


「私はしょせん、誰かの身代わりにしかなれないのなら。それでもいいわ」


 ぼんやりとしていく視界の中で、頭に浮かんだのはあの夜の彼の嘆きだった。彼は幼い日の思い出を抱えて、許されないことだと知っても、彼女を求めずにはいられなかった。慟哭が、暗闇に沈みゆく己の耳に届いた。


 図々しい、そう評された意味が今更分かった。そして、腹を貫かれた彼を見て確信した。


(この人は女御様の方が大切なんだ。この人の視線の先に、私はいない)

 

 だったら、せめて。自分にできることを。


 ばかだなぁ、といとは自嘲気味に笑った。こんなに馬鹿になるなんて、本当に恋は難儀だ。でも、悪くない。助かる命が二つもあるのだから。


 汗と涙に包まれていく視界の中で、いとははっきりと口を動かした。そして、自由になった右腕を伸ばし、彼女を指した。


「私の命と引き換えに、そこの拗らせ侍を閻魔様から返してもらう」

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