第25話 桜吹雪と天女

 あの手紙が呪いの発生源であることは間違いないだろう。ある人物の欲望と絶望に彩られていたそれは、見る人によっては怖気がするだろう。

 けれど、それを否定する気にはなれなかった。自分も同じことを思い描いていたから。ありもしない希望にすがろうとした、まるで星に手を伸ばすかのように。


 でも、それでいいわけがない。たとえ、叶わない思いだったとしてもそれを周りに押し付けてしまってはいけない。無邪気な子どものいたずらも、次第に悪事に変わっていくように、ただの願いであっても、時と場合によっては呪いに変わる。


目の前で桜と戯れている人物がまさにそうだ。いとは、意を決して声をかける。


「女御様、あなたがすべて仕組んだことですね」

「あら、怖い。そんな顔をするなんて、姫君のすることではなくってよ」

 目の前にいる女御は困ったような表情を浮かべているが、それはどこか作られたように感じられた。

「あなたは、本当に女御様ですか?」

「ええ、そうよ」

「初子様、ではないですよね?」


 え、と初めて目の前の女御の表情が曇った。初めて見せる同様の表情に、いとは続けて言う。鏡に向かって言っているような気持になってくるくらい、二人はよく似ていた。


「……」

「あなたは、初子様ではありません」

「何を言っているのか、分かりませんわ。わたくしは左大臣家の姫、明陽殿の女御です」

 諱を告げられ、女御は表情を硬くしていく。いとが逆の立場なら、怒ってもおかしくはない。

「あなたはこの御所から出るのを待ち望んでいた、そうでしょう?」

「何がおっしゃりたいの?」

 にこりとする表情を変え、鋭く冷たいまなざしがいとを捉えた。けれど、そんなものにたじろくようないとではなかった。それとは逆に、こみ上げてくる悲しさに胸が締め付けられる気がした。


(やっぱり、彼女は気づいていないのか)


「女御様の諱?」

「ええ、それは何?」

 男の恰好をしたいとに目を丸くした綾衣は、驚きつつも無事を喜んでくれた。あれから節会が終わった後、消えた女御を探しに大勢の役人が踏み入ってきたそうだ。

 

 そこで、女御本人が出てきたものだから、大騒ぎになり、女御が止める間もなくいとを悪人に仕立て上げる流れができたとのことだ。綾衣が何度も説得したが、呪いのことに気づかれてからが早かった。

「誰もが柳のことを罪人だって言ってる。ごめんなさい」

「ううん、綾衣も頑張ってくれたんでしょ。こうなった以上、呪いを解いて全部告白しないと駄目だ」

「女御様……治るの?」

「ええ、そうでなきゃ困るわ」


 いとがうなずくと、綾衣はボロボロと泣き出した。泣き出した綾衣を慰めるよりも早く、綾衣は袖口で涙を拭きとった。再び顔を上げた綾衣はいつもの勝気な表情を向けていた。

「で、私に何をしろっていうの?」


「この子を使って、時間稼ぎをしてほしいの」

 いとが連れてきた夕星を見て綾衣はえ、と苦い顔をした。それもそうだ、馬を使っての時間稼ぎというのはつまり……。

「わたしに柳の真似をしろっていうのね」

「さすが綾衣、理解が早い」


 へらへらと笑ったいとの頭を軽くはたいて、綾衣はそそくさと屋敷の中へと入っていってしまった。自分の私物の入った唐櫃を開けて、衣を取り出した。

「そんな恰好で行くのはまっぴらごめんだわ」

 綾衣が取り出したのは、夕日のように赤い唐衣だった。一介の女房が持つにはあまりにも場違いなものだった。それを頭から被った綾衣は不敵な笑みを浮かべた。


「こんな上等な唐衣はそれこそ女御にしか与えられないでしょうね」

「綾衣、ごめん」

「女御様がお元気になられるなら、私は何でもやる。それにね、私知っているんだから」

「?」


「柳が人知れず呪いを抱え込んでたってこと。ばれないとでも思った? ここは人の腹の探り合いをする場所。些細な違和感を見逃しては、命がいくつあっても足りないんだから」

「そう、なんだ」


 そんなにばれていたのか、といとは恥ずかしいやらなんやらで言葉が出なかった。

「そうだ、女御様の諱ね。一回しか言わないからしっかり覚えなさい」

 馬にまたがり、手綱を握った綾衣がいとを手招いた。そして、いとの耳元である女性の名前を告げた。


「あなたは初子様ではありません。徳子さま、そうでしょう?」

「!!??」

「これに見覚えがありませんか?」

 いとが取り出したのは、厳彦の部屋で見つけた手紙だった。劣化が激しく、どう見ても10年や20年は軽く超えているほど薄汚れていた。


「そんなぼろきれが、何の証拠になるのです」

「これはあなたが書き、そしてこの木の下に埋めたのですね」

「…………」

「あなたが呪いの根源になってしまわれたのですね、徳子様」


 その文はある女御の思いがつづられていた。本人は、押し込めて忘れてしまいたかった感情だったろうに、掘り起こされたならそれは呪いに変わる。

 ただの思いならよかった、でも文にしてしまった、巻物にしてしまった、そして桜の気に託してしまった。それがいけなかったのだ。


 外に出られる鳥が羨ましい。

 自由に話せる友が羨ましい。

 そして、


「——— 


 ほんの数日前には理解できなかった言葉だが、今は痛いほどわかる。どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。ほめる言葉ではないと分かっているはずなのに、どうして”きれいだ”なんて言ってしまったのだろう。

 

「後悔など、しないに越したことはありませんが。どうしてでしょう、こうも悲しくなるのはなぜなのでしょう?」


 その言葉は誰に向かって言った言葉だろう。

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