第20話 侍と姫君

 一見黒く見えたけれど、日に照らされたその瞳は翡翠色だった。今まで出会ったのが暗い中だったから、黒く見えただけで本当の侍の瞳の色は———。

「見るなっ!!」


 下を向き、侍が声を張り上げる。今まで聞いた中で一番鋭く、そして悲痛な色を帯びていた。さすがのいとも、その声にあわてるほかなかった。両手をのど元にやり、視線を泳がせた。

「ちがう……その、やけどが……」

「!?」


 侍の額にはひどいやけどの跡があった。翡翠色の瞳だけではなく、ひどいやけどの跡ともなれば、まずまともに外を出られないだろう。

 だから、仮面をかぶっていたのか。おそらく、侍になるまでにひどい扱いを受けていたのだろう。仮面をかぶっていれば、他人が自信を遠ざける理由を仮面に押し付けられる。


(だから、あんなにうろたえた声を出したんだ……)


 何年、耐えてきたのだろう。それを問う立場に自分はない。ずきり、と心に鋭い物が刺さった気がした。何度か深い息を繰り返し、視線をそらしたまま問いかけた。

「やけどは……痛まない?」

「ああ」

「ごめんなさい」


 たたずまいを治し、いとは頭を深々と下げた。何を言えばいいか分からない、けれど頭を下げる。散々姫君らしくないと言われたけれど、このしぐさだけは文句は言わせない。

「なぜ謝る」


「きれいだったな、って思ってしまったの。だから、ごめんなさい」

「きれい、だと?」


 頭を動かさずにいとは言葉をつなげた。脳裏に焼き付いた光景をなぞるように、思い出の中の光景を引っ張り出すように。

「恐ろしいよりも、きれいだなと思ってしまったわ。きれいな瞳だなって。それに、月の光を束ねたような髪で、透き通るよう。まるでセミの羽の―――」

「言うなっ!」


 びくりといとの肩がはねた。男の怒号を久々に聴いたのだ。紀伊の館にいれば、それこそ毎日のように聞いていたというのに。いや、目の前の侍の怒号はもっと深く、激しい色を帯びていた。


「よくもそんなことが言えたな! この顔を見て!」

 ぎり、とこちらをにらむ顔にいとは息をのんだ。顔を手で覆い、片目だけであってもその眼光は射るようだった。まるで仁王像のようだといとは思った。普通の姫君であれば、腰を抜かしていただろう。


「この顔のせいで、俺がどんな思いをしてきたか、知らないくせに!」

「ご……ごめんなさい……」

 がたがたと震えだしたいとを見て、侍ははっと気づき視線をそらした。そばに転がっていた仮面をつけ、深く息をついた。

「関係のないお前に言うことではなかったな。忘れろ。そして、この顔のことは宮中に戻っても誰にも話すな」


 刻々とうなずくいとに侍は居心地の悪さを感じたようだった。観念したように大げさにため息をついた。

「厳彦、という。詫びのしるしだ」

「?」

「俺の名前だ」


 厳彦、どう考えても幼名だ。侍は身分の上下こそあれ、この年頃の男ならば幼名のままでいることはおかしい。とっくに元服をして親の名を引き継ぐものだ。幼名だよね、という表情を浮かべたのを察した厳彦は深くため息をついた。


「なんらおかしいことはない」

 落ち着きを取り戻した侍の雰囲気は、出逢った時のそれだった。先ほどまでの取り乱しようにも驚いたが、こうすぐに落ち着かれても困る。いとが何を話そうか迷っていると、一人の翁が粥の入った椀を運びながらやってきた。


「厳彦、柳殿は起きたのだな」

「師匠!」

「柳殿、わが不詳の弟子が何かしませんでしたか?」

 厳彦の視線が痛いのでいとは首を横に振った。それに、いとのことを女御様ではなく柳と呼んだのであれば、大体のことは厳彦が言ったのだろう。


「こちらの都合に巻き込んでしまい、申し訳ありません」

 深々と頭を下げようとするいとを翁は止めた。この山寺の僧かと思ったが、烏帽子をかぶり水干姿ということは、僧ではなく庭師か世話人なのだろう。人の来なくなった寺が荒れると妖怪が住みすつやすくなると聞いた。


 それを防ぐために置かれた人なのだろう。師匠と弟子、ということは厳彦の関係者なのだろう。

「大変な目に合われたようですが、もう心配ありません」

「はい?」

 にこにこと翁が表情を崩した。


「この山寺にいれば、もう大丈夫です」

「あの、話が見えないのですが……。ご老公、大丈夫とはどういう意味でしょうか」

「腹が減っておりますでしょう。粥ではありますが、何も腹に納めていないほうがおつらいでしょう。ささ、お食べください」


 そういわれてみればそうだ。気が付けばもう朝になっている。つまりほぼ半日以上何も食べていないことになる。

「でも、いただくわけには……」

 見た目からは穏やかさが漂う翁だが、この山寺の荒れ具合や彼の衣装の破れ具合からして、あまり余裕があるとは思えなかった。貧乏を見慣れているとはいえ、そこから物をもらうのは気が引けた。


「遠慮するな。師匠の薬湯が入っているから、擦り傷も治るだろう」

「え? 擦り傷?」

 そういわれ、いとは自身の足に血がにじんでいるのを気づいた。先ほどからやけにひりひりするかと思ったら、そういうわけだったのか。

 じっと足を見つめていると、二人分の視線に気が付いた。女性、しかも貴人の娘が肌を見せるというのは恥ずかしいことだ。そのことに気が付いたいとは顔を赤らめた。

「い……いただきます」


 念のためにおいをかいでみると、粥に交じっていくつかの薬草のようなにおいがあった。匙でかゆをすくってみると、適度に冷まされた麦や粟が見えた。

(懐かしいな……)


 遠慮なく食べ進めるいとを厳彦は信じられないような目でこちらを見ているが、気にしないことにした。また、姫君らしくないと思っているのだろうか。

「まったく、厳彦のやつが女人を連れ込んできたのでとうとうやらかしたかと思えば、全く縁のゆかりもない女人とはな」

「!!!???」


 翁がとんでもないことを言い出したので、のどに麦が突っかかりそうになった。

「師匠! 何を言い出すかと思えば!」

「天狗とは人をさらうものではあるが、お前がまねをする必要はない」

「天狗、なのですか?」


「まぁ、そういうことになるな」

 翁がそう言うが、どう見ても絵物語に出てくる姿とは似ても似つかない。普通にそこらにいる翁だ。第一翼がないし、高下駄をはいているようにも見えない。

「師匠の山は人の世からはぐれたところにあるから、身を隠すといい。それに、お前はもう用済みだ」

「はい?」


「もう身代わりでなくてもいい、そういったんだ」


「ちょっと! どういう意味よ! 私はそのために連れてこられて、呪いを受けたんだから!」

 一気にかゆを流し込んでいとは叫んだ。雇い主から言われるのならまだしも、厳彦に言われるのは違うと思った。

「あれほどの大掛かりな呪いであれば、たどれる。ゆえに、女御様に呪いをかけたやつを捕まえることができるだろう」

 やっと見つかったのか、といとは胸をなでおろした。そして、厳彦に目線を合わせた。


「それはどこの誰よ。一発殴ってやらなきゃ。夕星をいじめた意趣返しをしないと」

「お前はつくづくおかしなやつだな」

「なんですって! 当然じゃない! 夕星は、私の大事な友達なんだから!」

「姫ともあろうお方が、そのような物言いをするものか!」

「じゃあ、あなたは大切な人が傷ついても平気なの!?」

「それとこれとでは意味が違う! 貴様は大体———!」


「なはははははっ!! おもしろいおもしろい! 面白いことは善哉よきかな善哉!」

 今まで傍観者を決め込んでいた翁が手を叩き笑い転げた。ひひひっと笑いをこらえるのを何度か繰り返している。

「師匠、笑い話ではありません。この者は、どうやら常識というものを持ち合わせていないようでして」


「よいよい。わしもこの娘がいたく気に入ったぞ。何せ、お前の顔を見てもみじろき一つせんかったではないか」

「それはっ!」

「郷里で似たようなものを見たのやもしれんな。のぅ、柳殿」

「それは……」


 怒りで声を張り上げる厳彦のことなど気にせずに、翁がいとのほうをじぃっと見つめた。この瞳をいとは知っている。紀伊の館にいたとき、手習いを見てくれた師匠たちがしていた。

 

 

 ——— 問答をしよう、そう言っているのだ。


「柳殿はなぜ恐ろしいとは思わなかったのかね」

「恐ろしい? どういうことでしょう、ご老公」

「この者の火傷はともかく、翡翠の瞳を見ても柳殿は恐ろしいとは言いませんでしたな。何故でしょう? 翡翠の瞳をした人間など、この国にはいないでしょう」


 そう問われていとは困惑した。理由をあげれば、きれいだったということになるけれど、それをそのまま言っていいのか迷う。あれほどまでに激高されたのだ。それを蒸し返すわけにはいかない。


「…………似ていたから」

「ほぉ、誰に?」

「私に。紀伊の館にいたときの私に」

「!?」


 翁ではなく厳彦が息をのんだ。ずっと心の中にしまい込んでいたことだ。本当なら、黙っておこうと思っていたけれど。この問答の場ならいえる気がした。

「私は、ずっと大姫様……死んだ姉さまの代わりとして育てられてきたの。はじめからこんな性格だったわけじゃない」


 物心ついてしばらくは、普通の姫君のように雛遊びや貝合わせをして楽しんでいた。外に出ず、数少ないおもちゃを何度も繰り返して遊ぶ毎日だった。

 それが普通だと思っていた。父や母がそうしろと言っていたから、理由も分からずだれの物かもわからない言葉を話し、ふるまう日々。


「深い、話になりそうじゃな」

「でも、ある時御坊にあったんです」

 旅の御坊を屋敷に泊めたとき、いとに向かってこう言ったのだ。


 ”君は中姫だな”、と。


 その頃はまだ家の誰もが大姫と呼んでいた。だけれども、御坊はいとが中姫だと気づいていってくれた。はじめは適当に話を作って親をだまそうとしているのではないかと疑っていた。


 旅の僧と偽って金品をだまし取っていく話などよくあることだ。受領として富をため込んでいる親はよいカモだろう、そう思ったいとは御坊を追い回した。


「いい加減出てこぬか。私も姫様に話しておかねばならないことがあるからね」

 乳母を説得して外に出てみると、御坊はあきれたような声でいとを呼んだ。

「御坊が屋敷を訪ねなかったら、わたくしは今も知らないふりをしていたかもしれません」

 いとは深く空気を吸い、昔を話し始めた。始まりはいとが裳着の儀式をする少し前だった。

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