第21話 三つ角の心象
「わかっているから出ておいで」
「……あなたはなぜわたくしが
御坊に呼ばれ、いとは観念して生垣から顔を出した。村の人に説法をして回っているのを背後からついて回ったのだ。夕暮れ山道を降りていく御坊のそばに立った。遠くには収穫したばかりの稲が積まれている。
「姫様、今日は乳母がついていないのですね」
「ええ、妹についているわ。それで、質問に答えなさい」
「いやはや、困りました。そんなにおかしなことを言いましたか?」
「ええ。わたくしが大姫ではなく中姫だということを知っているのは家の者でもほとんどいません。それなのに———」
「簡単なことですよ。姫様、あなたが”見つけてほしい”とおっしゃっていたからです」
「はい?」
見つけてほしいと、言った覚えは全くない。足を止めたいとは、声の限り叫んだ。
「そんなこと頼んだ覚えはありません! 第一、見つけてほしいとはどういうことです!」
衣を握りしめて訴える童女に、御坊は困ったような笑みを浮かべた。
「そうやって声を上げるからですよ。どうやら中姫様は数奇な運命をたどるようだ」
「受領の娘が数奇な運命をたどるものですか。きっと、数年後にはまた別の任地に向かうことになるでしょう。それで、年頃になればどこぞの任地に置いておかれてそのまま暮らすのだわ」
母がそういっていた。よくある話だから、数奇というにはほど遠い。まさか、都に呼ばれることがあるものか。何の奇跡が起こっても、木っ端貴族の父にそんな栄転が舞い込むことなどないのだ。貴族の世界は血統がすべて。
能力ではなく、どれほど高貴な血をひいているか、どれほど高貴な人間に取り入るか。どちらもない自分たちのような貴族は摩耗していくだけだ。
「そうでしょうね。そうでしょうとも。けれど、中姫様。こうして私の後をついてくるほどに不満があるのでしょう。大姫と呼ばれることが」
「…………」
視線をそらした。会ったこともない人の真似など、できるわけがない。しかも、その相手は物心つく前に天に還ったというではないか。だから、今の齢でふるまえというのはつじつまが合わない。
”いたかもしれない人の真似をする”とはなんと空虚なことだろうか。
「悔しいのであれば、中姫様がしたいことを貫くのです。諦めずにいれば、次第に味方も増えるでしょう。中姫様、何がしたいのです?」
すぅと御坊の目からいとは目をそらせなかった。その眼の真剣さを感じ、そらすことが頭から抜け落ちた。いとは小さな頭で必死に考えた。
したいこと、したいことというのは願望だ。願望を言ってもいいのだろうか。ひたすらいない人の真似をしていた自分に願いなど―――ある。
「……もう、誰も飢えてほしくない」
「それは、去年の長雨の……」
ぼとぼとと目頭に涙がたまって流れ落ちていく。しゃくりあげたいとの頭をそっとなで、御坊はため息をついた。
去年の秋に、長雨が起こり鉄砲水の被害が起こったと聞いている。田畑をなぎ倒した濁流は、その年の貯えを根こそぎ奪っていった。人々は、寒さをしのげるだけの物しかなく、肩を寄せ合いただただ現状を嘆くことしかできなかった。
「わたくしは、その時悟ったのです。大姫のままではだれも救えないと」
姫君なのだからと、家の中から眺めることしかできなかった。押し流されていく毎日を、命を、見送るだけの日々だった。外に出ると、そこにあったのは泥に塗りたくられた残骸だった。
家の貯えを外に持ち出すことが出来たら、もう一人くらい救えたのではないか、と。家の建て方を知っていれば、一つの家族を守れたのではないか。
堰や土塁の築き方、あぜ道の修繕の仕方、まだまだあるはずだ。
もっと町の人々のことを知っていれば、一つの村くらい安全な場所に移せたのではないか、と。知識が、力が、勇気が欲しかった。
後悔が押し寄せてくる夜が怖かった。力が抜けていく手を何度抱きしめただろう。
「わたくしの願いを言ってもいいのなら。わたくしは、誰にもさみしい思いをしてほしくないのです。……先日妹が生まれました」
「ええ。お祝いのお餅はとてもおいしかったですよ」
「同じ親から生まれているというのに、どうしてお母様はまだわたくしを大姫と呼ぶのです。わたくし……わたしは中姫なのに」
「中姫様」
「どんなに言われたとおりにふるまっても、それは私ではないのに。お母様だって、本当の大姫がどんな方だったかご存じないのに、どうして違うとおっしゃるのです?」
大姫はそんなことはしない、と叱責されても訳が分からなかった。乳母に聞いても首を振るばかりだった。
「妹たちが羨ましい。ちゃんと名で呼んでもらえるのですから。でも、ひとたび館を出れば、まだかわいい物でした。私の寂しさなどかすんでしまうほどの寂しさや悲しみが満ちておりました」
妹たちは難なく親の言うとおりにふるまえている。同じようにしているのに、いとばかり叱られる。長姉だからといい聞かせるにも限度があった。
「中姫様、一つ思い違いをなさっています」
「?」
「人の幸不幸を自分と比べるのはおやめなさい。人と比べて幸か不幸か決めるのでなく、己の中で幸不幸をお決めなさい」
「……難しいわ」
「いずれお分かりになられますよ。なぜなら、己を押し殺してまで他人を気遣える心の優しい中姫様なのですから」
「……」
「さて、早く館に戻りましょう。どうせ抜け出してこられたのでしょう、気づかれてしかられる前に戻ってしまわないと」
「そ、そうだったわ!」
赤とんぼが飛び回る中、いとは慌てて駆けだした。それからほどなくして”眼”の力が開花して、いとは館で孤立するようになった。
「他人の振りをするのに妙に慣れていたのはそういうわけか」
思い出話に口を挟まずに、厳彦は感心するように言った。翁は何か考え込むような顔をしているけれど、何も言わなかった。
「ええ。驚きはしたけれど、もうこそこそする必要はないのでしょう。さっさと宮中に戻って女御様の呪いを解きに行きましょう」
「いや、それは認められない」
静かに首を振った厳彦がじとっとこちらを見た。認められない、ということはこの山寺にまだいろということだろうか。
「まだ宮中に見張りがついている。のこのこ戻っていけば、明陽殿で伏せっているはずの女御がいると騒ぎになるぞ」
「それは、どうこうできるものではないの?」
裏口はいくらでもあるだろう。首をかしげている意図に、厳彦は口を開いた。
「行けばお前は女御を騙った罪人だぞ」
「なっ!?」
「先程宮中の者が触れ回っていた。女御が二人いる、とな」
「何ですって、女御様は安全な場所でかくまわれているはずでしょう!」
少なくとも早々見つかるような場所ではなかったはずだ。それでも厳彦は首を横に振るばかりだ。
「女御が二人いると告げたものがいるのだ」
「……まさ、か」
どくどく、と心臓が鳴り始めた。いとの頭の中で囲碁盤が思い浮かんだ。あの頃は悲観的過ぎると排除した可能性が、今になって現れるとは思わなかった。
「そのものは最近になって右大臣に取り入るようになった。長年都を離れていたからな、どちら側がより力を持っているか今になって知ったのだろうよ」
「そんな……。そんなこと、あるわけ、ない」
どんどん、と音が騒がしくなっていく。あってほしくない、そんなことがあってはいけない。
「この機会を逃せば、いつまた都に戻ってこれるか分からないからな。先に手を回すのは悪いことではなかろう」
「……」
受領として地方に下るまでは、左大臣側の方が力を持っていた。けれど、数年都を離れ、戻ってくるとその力関係がひっくり返っていた。より強い方に寝返るのはよくある話だ。でも、それをまさか肉親がするとは思いたくなかった。
「偽物の女御がいることを告げたのは、お前の父親。武藤左衛門殿だ」
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