第15話 端午の節会 ー演舞ー
宴が始まると、近衛兵たちの演武が始まった。弓を鳴らし、刀が空を切る音がする。荒々しい風景に、綾衣は不服そうだった。
「こんなの見て何が楽しいのかしら?」
都育ちの人にとってこの風景は普通の風景なのか、といとは改めて自分が田舎の出なのかと悟った。こんな豪勢な宴、見たことがない。
「兵の練度は重要だよ。山賊とか、海賊とかに威嚇っていう意味もあるし」
いとに馬の乗り方を教えてくれた地侍が言っていた。彼は貴人であってもある程度の護身の心得が必要だと考えている人だったからか、いとの身軽さを買って色々教えてくれた。
それが周り回って、命拾いしたので人生何が起こるか分からないものだ。
「いや、それ紀伊の話でしょ」
「都だからこそ、忘れちゃいけないことだと思うな。私は」
「ここは安全なところなんだから、心配しすぎよ。確かに、呪いの件は怖いけれど、今すぐにって話じゃないんだから」
怖い物なら、今さっきあった。呪いをまとった公達なんて、まさしく絵巻物の中の話じゃないか。あれほど顔の整った公達だ、絵巻物中だと大抵捨てた女の怨念が付きまとっているのが定石だ。
(でも、彼にそんな話は聞いた事はないな)
20を過ぎても独り皆のなので、恋人の一人くらいいてもいいはずだが。仮にも右大臣の嫡男が浮名を流していないというのは、不思議を通り越して疑ってしまう。
いや、それはそれで若い公達は派手に遊ぶものだという押し付けになってしまう。
「呪いは怖いよ。実際死にかけたんだもの……でも、人を押しのけてまで幸せになりたい人の気持ちを知りたくないなって、思うよ」
「私も分かりたくないわ。人を呪わば穴二つってね」
「うん……」
ぎゅっと、こぶしを作り深く息を吸う。
「少しだけ、この様子を見てもいいよね……」
本来なら、逆立ちしたって見られない光景なんだ。改めて身を乗り出して宴の様子をうかがってみた。
宴というものを知らなかったから。確かに、紀伊の館で年末年始や祝い事では宴をしたことはある。でも、それは小さなものだ。村々での祭りに顔を出し、運営を手伝ったこともあるけれど、それとは違うのだろう。
母は言っていた。
都の宴はまるで夢のようだ、と。
言われてみれば、まさしくそうだと思った。今までは緊張で見ないふりをしていたけれど。
キラキラとなにもかもかがきらめていている。この日のために整えられた舞台には色鮮やかな布がかけられている。雅楽寮の奏でる管弦曲は、武人たちをたたえるかのように勇ましく、力強く鳴り響いている。
今日は舞よりも、武芸の冴えを見るものだから無駄な装飾は一つもなく、磨き上げられた剣や槍が舞う。紀伊の館で磨いた武芸とは全く違う、洗練されたその動きにいとの目が釘付けになった。
あの動きならまねできそう、あの足さばきはもっといい動きがあるだろう。そんなことを思いながらも、いとの頭に浮かんだ言葉は一つだけだった。
「きれい……」
「いと、やっぱり変わっているわね」
「そう、かもね。私は紀伊の館では武芸を仕込まれていたの。馬の乗り方も教わって、よく河原に出ては駆け回っていたの」
「え?」
ぽかりと口を開けた綾衣の顔がおかしくて、いとは思わず笑ってしまった。今更”普通の姫君”を演じても意味がないことは分かっている。
「お母様には止められていたけどね。だって、私がいないとお父様はすぐに郡司達に言いくるめられてしまうもの」
都から派遣され数年しかいない受領よりも、その土地で長らく実務を担当していた郡司となればその力関係は一目瞭然だ。
女だからという目を向けられることもあったけれど、一年が経ち、二年が経つ頃にはいとのもとに相談を持ち掛けてくるまでになった。
(大姫様、今年も豊作になりましたよ)
(大姫様、こちらの魚も見てくれ!)
(大姫様のおかげで水争いが一区切りつきました)
自分が直接手を回したわけではないけれど、国のみんなの顔が明るくなっていくのがうれしかった。
「今回のお父様の都仕えもとてもうれしかったわ。私の仕事が、間接的ではあるものの認められたと思ったから」
「柳……」
「だから、今回は女御様をお助けする。遠乗りもする、武芸をする、そんな姫にできることはこんなことしかないから」
女御様となり替わって暮らしていくうちに、”もしも”が頭に浮かぶことが増えた。自分のような木っ端貴族がまかり間違っても女御様になることはないけれど、普通の姫君として育っていればこんなに重たい衣装をまとい、縫物や和歌を詠み、ただただ日々を消費していくのだろう、と。
それが悪いことだとは思えなかった。現に、母や妹たちはそうやって育っている。なぜか自分だけが違うだけだ。どこが岐路になったかは、分からない。気づけは父の仕事場で隣に座り、一緒になって考えていた。大人のように考え込む様子を面白がった雑色の誰かが、子供用の椅子と文机を設えてくれた。
父は困るといとにどうしたらいい、何から始めよう、と問いかけてきたんだっけ。子どもの頭では大した考えは出てこないのがもどかしくて、話を聞いてくれる人を探して回った。港のことは猟師に、山のことは猟師に、川のことは馬貸しに、そして身の守り方は地侍に聞いた。
はじめは心配してついて来てくれた乳母だったが、妹たちに手がかかるようになると、放っておかれることが増えた。母はちっとも姫君らしく育たない自分に愛想をつかしたのか、小言ばかりを言うようになった。
——— 私は、ただ。みんなが笑ってくれればいいのに。
大姫だから、いずれどこかの家の何某らと縁組されるのだろう。都に戻ってきたのも、その話を進めるためかもしれない。
かがりのことが噂になれば、大勢の公達が家を覗きに来るだろう。その時、引き合いに出されるとしたら自分だろう。
「そういえば綾衣は縁談とか見あいとかないの?」
「はぁ!?」
いきなり何を言い出すんだろう、と顔に書いてある。いとはごまかすために手をバタバタさせた。
「ただ、気になって。ほら、女御様の乳兄弟となれば引手あまたでしょう?」
箔がつく、というやつだ。綾衣の機転の良さは重宝されると思う。
「そうねぇ、恋文はもらったことはあるけど……捨てたわ」
「ええっ!? そんな、もったいない!」
「言いたいことがあるなら面と向かって言えないの、って思うから」
「それは……ちょっと……どうかな?」
経験のないいとは返事に困った。詳しくは知らないが、女房勤めをしたことがある祖母が言うには、恋文を送ることがまず第一歩だ。それを読まずに捨てるなんて、もったいないを通り越して、相手が不憫に思えてくる。
面と向かって言いに来い、はもはや恋文ではなく喧嘩の果たし状のようなものじゃないだろうか。
「私だって、恋の一つや二つしてみたいわよ。女御様が入内された時にお召しになられた衣装、ああいうのはあこがれるわ……」
「あこがれてるんだ……」
柳はないの、と言われいとは口を閉ざした。紀伊ではみんなが大切だった。家族や歌人、国府の役人、周囲の村の人たち、時折来る商人たち、みんなかけがえのない存在だ。
恋人となればその中から一人を選ぶということだ。”みんな”の中から”誰か”を選ぶことが自分にはできるのだろうか。
「いつか、できたらいいな……」
そのつぶやきは、鐘の音にかき消された。
「この馬だね……。見事な名馬だね。傷つけてしまうのが惜しいくらいだ」
若い男が首筋を撫でているのは、黒い毛並みの馬だった。額に小さな白い丸い模様がついているのが印象的だった。体格は引き締まっており、遠い国から都まで連れてこられたというのに、怯えもあばれもせず、主でもない人間に触られてもじっとしている。
落ち着いている理由は、若い男のそばにいる人物がいるからだろう。馬を撫でている人物と対照的なその男はおどおどとした表情を向けている。
「本当に……上手くいくでしょうか……あの話が嘘ということも……」
「嘘はつかないよ”彼”は」
にこやかに笑った男は手綱を馬の本来の主に持たせた。しわが刻まれた手で受け取ると、男は厩舎から馬を引き出した。何も知らない黒毛の馬は跳ねるように主に付き添って歩いていく。去っていく男を見届けて、中将は低く笑った。
「まさか、呪いを持つ馬を持っているとはね……」
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