第9話 鳴滝殿の女御

「まぁ、明陽殿さま。お身体がすぐれないというのに、自ら来ていただくとは……」

「いいのです、鳴滝殿さま。今日は不思議と体調がよいのですわ」

 家の格がほぼ同一とはいえ、先に入内した方が上という決まりはある。そのせいか、家主であるいとではなく、客の方が上座に座っている。


 鳴滝殿の女御は、上背がありどこか冷めたような表情をしている。都育ちの姫君らしく、顔は白く化粧も濃かった。しかし、くどさはなく自身がまとっている香りも、涼やかな水辺を思わせるすがすがしい香だった。

(鳴滝とはよく言ったものだな……)

 鳴滝殿や明陽殿とは女御の住まう館の名前なので、関係性はあまりないのだけれどそう呼ばれることでだんだんと館の名前に沿った風になるのだろうか。

(だとしたら明陽殿というのは少し可哀そうではあるかな)


「ずいぶんと急な話だったではないですか」

 そばにいる綾衣がはっきりとした声色で抗議をする。鳴滝殿の方の女房は妙齢な女性から、長年仕えているであろう老齢の女性もいた。軽く倍以上いるので、どっちが家主か分からなくなりそうだ。


「それは申し訳ありませんわ。こちらをお持ちしましたの」

 そういって、鳴滝殿の女御がそばに控えていた女房に目配せした。ぺこりと頭を下げたのは、女房の中でも一番年上の女性だった。

(乳母に近い関係なのだろうか)

 顔はおしろいで隠しているが、手にはしわが刻まれていて、手の甲や親指などにシミが浮かんでいた。

 どこか、いとの母親と同じ似ている感じがした。

 

 女房が差し出したのは、手のひらに載るくらいの木箱だった。綾衣に視線を送ると、音もなく近寄って木箱を受け取った。

「遠く唐国より取り寄せた品々ですの」

「唐国……ですか」

 唐国とは都から遠く離れた異国のことだ。表向きは交流を絶ってはいるが、いとが住んでいた紀伊の館には唐国の品々も流通していた。なじみの商人から目利きの方法を教わったこともある。


「貴重なものをわざわざありがとうございます」

「いえいえ、病で伏せっていらっしゃる明陽殿さまの慰みになればと思いまして」

 表情を和らげて女御は息をついた。その響きは心配しているようでもあり、こちらの出方をうかがっているようでもあった。

(今のところ怪しいところはないけれど……)


 話を切り出してもよいが、彼女が”明陽殿こちら”をどこまで知っているのか分からない以上、下手に動くことはできない。

 そこからは、綾衣が言葉を切り出した。女御のお召し物をほめ、最近はやっている読み物の話を振っている。

(すごいな……)


 しかも、田舎者のいとには気づかれないようにこれがどのようなものか示してくれている。女御が綾衣にいとを任した訳が分かった。いとがどれほどぼろを出そうと、綾衣が怪しまれないように隠すことができるからだ。

(これほどの才能を埋めていいのかな……)

 紀伊の館であったなら、国府の仕事の一部を任されそうだ。いとがそうであったように。


 女御と綾衣の話が続いていると、ふと誰かの気配がした。ガチャガチャと金属がこすれる音がして、ごとんと膝をつく音がした。間違いなく女性のそれではない。

「女御様、早くお戻りを」

 聞こえてきた声は男の声だった。珍しい、こんなところで男の声をきくなんて。しかも、聞こえてきた金属音は鎧に太刀の金具が当たっている時の音だ。

(護衛の侍かな)


 だとしても、女性しかいない館に侍が来るなんてちょっと警戒しすぎではないだろうか。あ、でもそうか。こちらは病に臥せっているという噂なのだ。情報を取りに来たのであれば、警戒しすぎることは決して不思議ではない。

「声をかけるなと、申したはずですよ」

 女御ではなく、年長の女御が影の人物に告げた。その表情はあまり友好的とは感じられなかった。まるで、野良犬でも見ているかのようだ。


(確かに貴人は侍を厭うことが多いと聞くけれど。あんまりではないかしら)

 かばう気はないけれど、職務を果たそうとしただけだろうに。

 声をかけたのに怒られた男は、それでも引き下がらず言葉をつづけた。


「女御様の兄君、中将殿がお見えとのことです」

 その名前を聞いた途端、女御の表情ががらりと変わった。顔に手を当て、急にそわそわとしだした。先ほどまで纏っていた空気が色づくのを感じた。

「まあ、お兄様が!? こうしてはいられないわ! 申し訳ありませんわ、明陽殿さま、わたくしは失礼いたしますわっ!」

 そういって、ぞろぞろと女房を引き連れて去っていく。どちらが家主か分からないが、見送りだけはしようと廊下に出た。


 ぞろぞろと引き連れて歩いているので、女御の後姿は分からなかったが、声をかけたと思しき侍の姿は分かった。女御たちよりも頭一つ分以上も高く、白い頭巾で顔を覆った侍は、間違いなくあの夜忍び込んできた男だった。


「——— っ、あいつ!」

「柳?」

「あの———」

 侍には見覚えがある、と言いかけて口を閉ざした。余計な詮索をかけられてしまう。言葉を飲み込み、当たり障りのない単語を探した。

「ずいぶん背が高いのね」


「ええ、名前は知らないけれど鳴滝殿の女御を警護している侍なのは知っているわ。仮面で顔を隠した侍なんて、奇妙でしょ」

 それはそうだ。奇人だからと決めつけるのは簡単だ。しかし、あの時の彼の言動にはそれらしいそぶりはなかった。

(何か深い理由があるんだろうな……)

 

 天元に彼をおいたのは間違いではなかった。彼の行動に大きな矛盾が生じたからだ。


 ——— なぜ、鳴滝殿の侍が明陽殿の女御のことを気にかけるのか、と。

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