第8話 香合わせと追憶と②

 綾衣のおかげで、節会に合わせる衣装と香は整った。いととちがって生粋の都の人であるから、衣装の見立てはうまかった。


「本当は女御様の桜色の袿をまとってもらうつもりだったけど、あなたには萌黄の方が似合うのよね」

「顔が似ているのに、なぜなんだろうね」

 影武者なのだから女御の衣をそのまま着ればいいものだと思っていたが、薄い色合いの衣だと、いとの顔が青ざめて見えるのだ。


「体調が思わしくない、とは言われているけれど、さすがに似合わない衣を着せていたら、さすがに馬鹿にされるわね」

 いとはそういうものなのかぁ、と思った。いとにとっては、服は寒さ暑さを和らげ、けがを防止するという役割以外考えたことがなかった。

「まぁ、これも勉強と思って着飾ることを覚えることね」

「えぇ……」


 うろたえるいとの背後に回り込んで、帯を締める。

「柳の将来のことなんてこれっぽっちも興味ないけど、あなたを見て都の姫君も所詮はこの程度か、って思われたくないの」

「ケンカ売ってる?」


「売るわけないでしょ。いずれどこかの男に嫁ぐことになるんだったら、少しでも見栄えをよくするのよ」

 そういわれても、結婚なんて親が適当に連れてくるだろう。垣間見、なんてごまかしている覗きだって、あるかどうかも怪しい。


(私より、かがりの方がありそうよね……)

 まぁ、今見に来たら箒で追い出すところだが。

「よし、できた」

 そういって、綾衣はいとを立たせる。みずみずしい若葉をほうふつとさせる黄緑色の衣の下には薄い水色を重ねている。それに合わせて緋袴の色も普段より抑えめだ。

「化粧もちゃんとできてるね」


 鏡を覗き込んでみると、そこには白い顔をしたいとがいた。おしろいで日焼けを隠したのだろう。紅を刺した頬や唇は血色がよく見えた。

「眉もぼうぼうだったから整えた。これで、そこそこの顔になったんじゃない」

「……すごい」

 あんなに黒かった肌が、薄くなっている。ぺちぺちとほおをはたいてみると、しっかりと自分の顔というのが分かった。

(化粧でここまで変わるのね……。紀伊の館でもちょっとぐらい習えばよかった)


「ほめても何も出ないわよ。さっきといい、なんなのよ」

「なれないからちょっと恥ずかしいけど、なんだか心が弾む気がする」

 その言葉に、綾衣は腕を組んだ。いつものからかいが入るかと思ったが、深くうなずいた。


「そうでしょうとも。きれいになりたくない人なんていないのだもの」

 後に何か続いたようだったが、駆け込んできた采女の言葉にかき消された。

「女御様! 綾衣様! た、大変です!!」

 ぜいぜいと肩で息をしている少女は、慌てて平伏した。その姿を見た綾衣がキリッとにらんだ。


「なんです? 今衣装合わせをしているのが分からないの?」

「そ、そうではなく……!」

 無地の衣をまとった采女はまだ12歳かそこらだろうか。動きやすいように髪を下の方で無造作に束ねている。紀伊の館にいたときの自分によく似ていた。

「だったら、なんなのです?! 出て行きなさい!」

「そんなっ!」


「落ち着いて、話して御覧なさい」

「ちょ……女御様!?」

 慌てて言葉遣いをただした綾衣のそばを通り抜け、いとは采女のすぐ前にしゃがみこんだ。人の気配に気づいた少女が顔を上げる。


「女御様……?」

「その様子だと、何かあったようですね。順に、覚えている限りのことを話してちょうだい」

 記憶にある女御の言葉をなぞって話す。手を触れることが許されるなら、肩に少し圧を加えてあげてもよかった。人の感覚があると、落ち着くことができるから。転んだ村の子を慰めるのは日常茶飯事だった。


「それが……鳴滝殿さまがいらっしゃったんです」

「鳴滝殿さまがっ!?」

「は、はい! 使いの者が言うには、女御様にお見舞いをしたいとおっしゃっているそうで……」

「そう、ごくろう。すぐに向かうとお伝えして。お茶とお菓子の準備をなさい」

「か、かしこまりました!!」

 ぱたぱたとあわただしい足音が消えていく。いとが立ち上がると、青ざめた綾衣が語気を強めた。


「ちょっと! なんで、引き受けるのよ!」

「……大丈夫、手はある」

 いとは体にまとっていた衣を脱いでいく。そして、手早く化粧台の方へと向かった。塗っていたおしろいを手拭いでふき取った。

「だからって———!」

 まさか、御自らいらっしゃるとは思わなんだ。ここでばれればすべてが一切合切終わりになる。女御も救えず、家族も救えず、それどころか自分は女御を騙った悪者だと決めつけられる。とんだ濡れ衣じゃないか。


「相手は女御様にあったことは?」

「ない、はずよ。幼いころから比べられたとしても、顔を合わせたことはないわ」

「じゃあ、一つ目の懸念は消えた」

「なんでそう堂々としているのよ」

 あきれも入った声だけれど、これでも最高峰に緊張している。白昼堂々紀伊の館から抜け出した時よりも、だ。


(女御様の性格の演技もできた。お見舞いってことは居座ることはないだろう……。けん制のつもりかな)

 もし、鳴滝殿の女御が呪いをかけた本人なら、これとない機会だ。違っていたら、ほかの犯人の線を濃くするだけだ。

 どちらにせよ、急ではあるがこちらは入れ替わっていることを悟られなければいい。筋金入りのお姫様ならそば仕えの女房に話させるだろう。

「よし、準備できた」


 そういって、鏡の前から立ち上がったいとを見て綾衣は案内するように踵を返した。

「なるべく私が話すから、柳は黙ってて」

「……分かった」

 いとは深く息をつくと、綾衣の後ろをついて行った。

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