第6話 空白の布石
「信じられない! 田舎者だとは知っていたけど、これほどとは思わなかったわ!」
朝、采女たちが運んできた食事をとりながら綾衣が開口一番そういった。采女たちには女御が入れ替わっていることは知らされていないようだった。
下働きの采女ならほかの女御の元へと働きに行くこともあるから、情報が漏れないように、とのことだという。
「夜中に出ることが危ないのは分かるけど、そこまで言うほどではないでしょう!」
あれから乳母にも問い詰められた。夜中に出歩いたといってもほんの少しで、あの後はすぐに寝た。
朝は夜明けより少し前に起きて、洗顔と整髪をしてから、十二単という重ね着の衣装に着替えた。女御らしい、赤を基調にした派手な色彩に、長く引く袴に
普通の衣でさえ重たくてしようがないのに、それを何枚も重ねるのだから下手な鎧より重い。昨夜であった侍の方がよっぽど身軽に見える。
「丑三つ時は、あやかしども達が出てきやすいの。呪いの正体が分からない以上、あやかしの関与も考慮に入れて動くのが賢明よ」
「あやかしは見えなかったけど……」
「まぁ、宮中に入り込もうっていうあやかしはいないわね。陰陽師たちが幾重もの結界を張っているのだから」
「それは聞いた事はあるわ。なんでも四方の霊山がその結界のかなめって」
綾衣が、それは知ってるのねとつぶやいた。それを知らずに都に来るのは世間知らずにもほどがあるだろうに。陰陽師が操る術は、自然に宿る”霊力”をもとに行使するものだと聞いている。
だから、都を覆うほどの結界を作り出そうと思えば、大きな力を蓄えた霊山が必要だ。
「端午の節会まで時間がないわ。今日は衣装合わせなんだから、しっかりしなさいよね」
「そういえば、女御様は? あれから全く会わないけれど」
「女御様の居場所は話せないわ。影武者が知る必要はないでしょう」
「……」
その言葉に、いとは奥歯をかみしめた。表情の変化に目ざとく気付いた綾衣がぱちんと扇を打ち鳴らした。カワセミの絵が描かれた涼やかな色合いの扇だった。
そうだ、貴人は季節に合わせて小物をその都度入れ変えているんだった。
まったくもって、暇な方々の考えることはつくづく不合理だ。
(そんなことをしている暇があったのなら————)
「何よその顔。私だって、本当は女御様と居たかったというのに、普段そばにいるはずの者がいないのは不審だからって理由で、あなたにつく羽目になったのよ」
「私がここにいれば、女御様は安全なのよね?」
「ええ、それだけは確かよ」
きり、とした吊り目がいとを見てうなずいた。この目は信じられる。何か隠してはいるかもしれないが、とりあえず”家族は現在無事”だということが分かった。家族との連絡手段は今のところ必要ないな、と思った。
もし、いとが両親に本心から望まれて女御付きの女房になったなら、この状況に異を唱えてくれるかもしれなかった。
——— けれど、本当はそうじゃない。
いとは気づかれないように手を強く握りしめた。
いとは一人、広い部屋に座っていた。綾衣はほかの女房達と衣装を取りに行くと言って、取り残されて半刻以上たっただろうか。なれない衣を少しだけ下ろし、足を投げ出して座る。真新しい畳のにおいが鼻につく。
これよりも、若葉が顔を出す山の中で座った方がよっぽどましだ。
さて、現状を整理しよう。
「謎解きは苦手だけど、ただただ指をくわえて過ごしてたら何が起こるか分からないし。家族のことも分からないし……」
ぼんやりとした顔で冥府に行くことだけは勘弁だ。閻魔様の前で、身代わりにされたのだと自己弁護したところで、効果は薄い。閻魔様と弁舌で勝てる自信がない。
出家したところで、極楽への道は遠い。少しでも減刑を望むのが人の子というものだ。何もしないよりも、行動して少しでも閻魔様の心象をよくしておきたい。
いとは脇に置いてある碁石と碁盤を取り出してジャラジャラと並べ始めた。いとを示すのは右下の黒い点だ。そこから始めよう。相手側は分かりやすいので、対角線上の左上の黒い点。
登場人物の中で女御側と思われる人物を白石、呪いをかけたと思われている人物を黒石で表す。とはいえ、数日のいとの周りで浮上した人物はかなり少ない。
「まずは女御様自身。歳は私より少し上の19歳。女御として入内するには少し遅いころだけれど、それまで右大臣側が何らかの工作をしていた、なんて話もあったから仕方ないかも」
工作云々は完全に綾衣の又聞きだ。見た目は絵に描いたようなお姫様で、見た目もほっそりとした柔らかな印象だった。呪いをかけられたと思い込んでいるからか、その柔らかな印象は陰りが見えた。
いととしても、思い込みで気が落ちているのであれば早く終わらせてあげたい。
(御坊が言うには、強すぎる呪いは怨霊に化けるらしいけれど。そんなことになったら、御所も危ないかもしれないな)
いとが産まれるずっとずっと昔のことだけれど、怨霊にたたられ都が廃墟同然になったことがあるらしい。今はその怨霊と化した人をまつり、魂を慰めることで沈静化しているとのことだが、にわかに信じがたい。
そもそも、女御様は呪われていないのだから、怨霊になるわけがないので、いとはその考えを即座に屑箱に入れ込んだ。
女御に見立てた白の碁石に、二つ白の碁石を並べた。
「乳母とその娘で女御の乳兄弟の綾衣。綾衣は私と同い年で、女御様を姉のように慕っているから、私への当たりが強いのは仕方ない。
乳母は女御様について行ったから、最近会ってないけれど、彼女が呪いだなんだと言い始めたそうね」
呪いの証明は本業の陰陽師でも難しいと聞く、それならば乳母とはいえ一介の女房に呪いの断定ができるだろうか。
いとは頭を振った。
「根拠が薄い。それなら、身代わりを立てて私を呼び寄せる必要がない」
身内とはいえ、十数年は交流を絶っていた家の人間を呼び寄せるのは、いくら何でも危険ではないだろうか。こちらはいくらでも偽ることができるのだから。
現状、こちらは何も偽っていないので、先ほど浮かんだ仮説は否定しておこう。
「さて、敵側……というより、容疑者ね」
本家に対しても交流がなかったのだから、相手側の情報となるともっと厳しい。けれど、綾衣がちゃんと話してくれた。
いとは白の碁石とは反対側の隅に黒の碁石を三つ置いた。疑わしい人物はほかにもいるだろうが、まずは三つあればいいだろう。
「まずは右大臣本人。
中央のことは知らないけれど、絵物語では常にそういう競争があった。
同じ腹から生まれてきたとしても、骨肉の争いをしないといけない世界でよくここまで上り詰めたと、いとは感心したものだ。
現状、乳母と綾衣はその兼原何某が呪いをかけた張本人だと思っている。確かにそれが一番わかりやすい構図だと思う。政敵の出世をつぶすにはそれが手っ取り早い。けれど、若い時分から権謀術数を繰り広げてきた御仁があからさまな行動をするとは到底思えない。
もし、この件が明るみになれば彼が40年もの歳月をかけて築き上げた全てを水泡に帰すことになるからだ。
——— 人間は得られない苦しみより、得たものを手放すことの苦しみの方がよっぽど苦しい。得るために費やしたものが大きければ、大きいほど。
そう御坊が言っていた。右大臣として権勢を誇っている人間がそうやすやす尻尾を出すわけがない。
「だとするなら……その娘の
いととしてはそっちの方が現実的だと思った。今いる女御や更衣の中で一番早くに入内し、夭折してしまったが皇子を生んだこともある。丁度女御様と同い年で、幼いころから都の美人の双璧としてもてはやされていたらしい。
あちらの情報があまりないが、もし彼女が女御様に敵愾心を持っていて、入内することで競争しなければならないと思ったなら、下法に手を染めてもおかしくない。
「ここと接触したいけれど、現状それができるのが節会の宴かぁ……」
こっちとしても危険は伴うが、虎穴いらずんば虎児を得ずという言葉がある。飛び込む価値はあるだろう。
そして、最後の一つ。できれば、考えたくなかった。最後の石はためらいがちに置いた。置かれた黒石が、カタカタと小さく震えて落ち着いた。その名前を言う気にはなれなかった。悲観的にもほどがある。そんな考え方ではこの陰謀に初めから白旗を上げたも同然だ。
だから、それは最後まで言わないでおこう。
「あとは……あの侍」
いとは碁石の入った箱を見つめた。どちらの石を取るべきか迷った。はじめは怪しいので黒一択だったが、いとを身代わりだと即座に見抜いたから白でもいい気がしてきた。
いとが身代わりだということはごくごく一部の人間しか知らないことだからだ。それに、宮中の奥まで入り込めるということは、かなりの立ち位置にいると考えられる。
「でも、あの仮面怪しいよね。何か隠してるんじゃないかしら、ほら。変な恰好をしてごまかす感じで」
いとは袖で顔を覆った。いとはずいぶん迷った末に、侍の場所は空白にしておいた。けれど、それは碁盤の中央———天元と呼ばれる位置だった。
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