第5話 夜桜の出会い(後半)

「伏せろ」

 そういわれ、いとは身をかがめた。いわれるままだというのは、少し癪に障るので、目で声の主を探した。頭を押さえ、顔を上げると嗅いだことのない深い香のにおいがした。雨に濡れた後の森の奥のような、ぼんやりとした頭がさえてくるような匂いだった。


 ——— 侍、だ。


 紀伊の屋敷にはいなかったが、この宮中に入って時々見かける太刀を下げた男たちのことだ。貴人の身辺警護や、罪人の連行、都の治安維持といった任務をこなす荒仕事を生業にしている。


 いとの見立て通り、目の前の男は白い布を頭から被ってはいるが、その手には冴えた光を宿す太刀が握られていた。頭巾のようではあるが、ずいぶんと造りがいい。足元を見ると、大鎧ほどではないけれど、防具がつけられていた。


 背丈は大きく、父よりも頭一つ分大きい。まぁ、普段から荒っぽい仕事をしているのだから、図体がでかくなるのはよくあることだ。紀伊の屋敷でも、荷運びが得意な男たちはいとを片手で持ち上げることができた。


「……逃がしたか」

 頭巾をかぶったままの男がぼそりとつぶやいた。あまりしゃべり慣れていないのがわかるような低く、無感情な声だった。逃がしたか、ということは何かを追ってここまで来たのだろうか。

(ここにいるということは女御様側の侍? ここは女御様の振りをすればいいかな)


 こほん、と咳払いをしていとは頭の中に思い描いた女御になり切った。


「おい、なぜこの時間にのこのこやってきた」

 いとの方を見もせず、侍は言った。手には刃が握られたままだ。逃がした、とは言っても警戒が解けていない。そこまでの相手ということだろうか。

「そなたこそ、何者です。ここをどこだと心得ているのです」


 女御様と似せて、声色を変えて尋ねた。そそくさとたたずまいをただし、正座をして胸を張る。

「屋敷から出るなと、女御様から言われていただろう。よもや、丑三つ時に出るとは」


「そのようなこと、申したことがありませんが」

「丑三つ時は結界の効力が弱まる。知っているはずだぞ」

 この男、声に感情がないわりによくしゃべる。朴訥、かと思えば饒舌なのだろうか。今まで見たことのない性分の男だな、といとは思った。


「夜中に目が覚めたのです。このような満月の夜は眠りが浅くなるものでしょう」

「ならばこそだ。俺がいなかったら、お前は今頃首と胴が割れていたところだぞ」

「言っている意味が分かりませんが」

「…………」


 女御様の振りをしているが、全く効いていない。いとが話せば話すほど、男の言葉数が減っていく。おかしい、姿勢もしゃべり方も女御様のそれを真似ているというのに。相手の出方を待っているからか、いとも黙ってしまった。

「……おい」


 ずいぶん言葉を考えていたというのに、出てきたのはその言葉。

「お前、何か勘違いしているな?」

「なにがです?」

 男は大げさにため息をつき、いとの方を振り返った。ばさり、と頭巾が風でめくれ上がり、顔があらわになった。


「質問を質問で返すな……お前、影武者だろ」

「っ!?」


 驚いた、二つの意味で。正体を見破られたことが一つ、そしてもう一つが。

「それ……仮面? よね?」

 侍の顔は口元以外、仮面でおおわれていた。仮面と言っても、祭りや宴で使われるような華美さは全くなく、どちらかと言えば防具の一つである半首はっぷりの額部分を伸ばしたようにも見えた。


 目だけを出し、あとは黒漆で塗り固められその姿は絵巻物の烏天狗に見えた。白い頭巾で頭を包み、武具をまとったその姿は異様だった。夜桜のせいもあって、まるで絵巻物の中に入り込んだようにも思えた。


「……」

 いとは何を言おうか迷った。仮面について言えば相手の機嫌を損ねそうだ。太刀の目利きはできなくもないが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

「どうして、わたしが柳だと気づいたの?」


 自分が女御様ではなくその影武者だということはもう気づかれている。ならば、これ以上真似をし続けるのは馬鹿げている。

「わかるだろ、普通」

 即答、だった。頭によぎった感情にふたをしていとは続けた。

「あなたはずいぶん、女御様についてご存じなのね」

「…………身代わりには関係のない話だ」

 ずし、とまたさっきと同じ感情がよぎった。


「こっちとしては死活問題なんだけど」

「おい、影武者」

「柳」

「……」

「柳、です」


 ずい、と侍に近づきいとはきっぱりと言った。立ち上がってみると、その背丈の違いに驚くばかりだ。いとの視線よりだいぶ上に侍の顔がある。おそらく6尺は優に超えているのではないだろうか。

(侍じゃなくて鬼なんじゃ)


「では、柳。俺は俺の役割を果たす、それだけだ」

「ちょっと……待ってよ」

 そのまま踵を返して去っていこうとするので、いとは慌てた。男の言葉からして、女御様の身に何か迫っているのは間違いない。いとの目では見えなかった”何か”をこの男は知っている。


「屋敷に入れ」

「それはそうだけど……その、待ちなさいよ」

「戻れ」

 そう命令され、いとの感情のふたが外れた。いとは声の限り叫んだ。


「待ちなさいっていうのが聞こえないのっ!?」

 そこで、ようやく男の感情が揺れたのがわかった。ぎょっとこちらを振り返り、ぽかりと口を開けた。

「お前……俺が見えるのか?」

「はぁ!? なにをいってるの!? 私は現にこうして、あんたと話しているんですけど?」


「いや、それだと……。そんな話……誰も……」

「訳が分からないことを言わないでちょうだい! さっきからこうして話をしているじゃない、何か問題でも?」


 いとが腕を組んでいうと、男はゆっくりといとに近づいてきた。上からのぞき込まれて一瞬たじろきかけたけれど、悟らせないようになんとか自分を鼓舞した。

「確かに……。それなら、お前が……ありえない」


 男の様子が明らかにおかしい。先ほどまでの研いだ刃のような雰囲気が消えうせ、あからさまに動揺している。ひたすら、いとと話をしていたことが信じられない様子だった。

(信じられないって、どういう意味よ)


 まさか、妖怪変化の類だと思われたのだろうか。失礼千万な話だ。いとは確かに田舎育ちで、女御様の振りもうまくできない影武者だが、ちゃんと人の子どもだ。


「女御様に何が起こっているのか、答えて」


 もしかしたら、という淡い期待を男はバッサリと切り捨てた。まるでその問いには初めから答えを用意していたかのように。


「応える義理はない。影武者としてせいぜい励め」

「何様よ! 後、勝手に入り込んだって衛士に突き出すわよ!」

 それには男は答えず、ただ一言言った。

「女御は呪われている。確実に」

「そんな話、信じるとでも?」

 この”眼”のことは伝えるにはあまりにもちぐはぐだ。息を吸い込むと、夏が近づいてくるとき特有の湿ったい空気がのどを通り抜けていく。


「女御様の体が思わしくないのは、入内という重責に慣れていないからよ」

「ならばなぜ、お前が身代わりにされた?」

「——— それはっ!」

 一瞬の動揺をつかれた。目をそらした瞬間に、強い音がいとの頭上でなった。恐る恐る見上げると、男がいとを見降ろしていた。ドン、というのは桜の木を殴ったからか。


「何のつながりもない人間、か。人死にだけは避けたいのでな」

 もっていろ、と男が差し出したのは香り袋のようなものだった。

「な、何よ……!」

「身代わりの身代わりと言ったところだ。気休め程度だが、持っていろ」

 それだけを告げると、男は夜闇に消えていった。いとが追いかけようと思ったが、いとの叫び声に目が覚めたという綾衣につかまってしまった。


(あの男、絶対何かつかんでる。今度会ったら、縛り上げてでも情報を吐いてもらわないと)

 そう思い、いとは寝具の中に潜り込んだ。

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