第3話 呪われた女御と交換条件

「身代わり……ですか?」

 それは、どういう意味だろうか。いとはこくりとのどを鳴らす。確かに、この妖怪変化が跋扈する世の中で、呪術の類を心配するのも分からなくもない。実際、宮中の中には、それらを調査し時に対処する部署があると聞く。


「それは、どういう意味ですか?」

 袖の中でこぶしを作り、静かに尋ねた。いとにとっては寝耳に水だ。

(ただの話し相手だと思ったのに……)


 それに、不可解な点があった。


(女房が二人?)

 女御ともなれば、ぞろぞろとお供を引き連れているのだと思っていた。いとの家に住まっている家人の方が多いのではないかと思ったくらいだ。


 室内を見渡すと、そば仕えの女房は目線を合わせず、冷ややかな雰囲気をまとっていた。彼女だけが40代ほどで、もう一人は若い。いとより少し上くらいで、先ほどの女房と顔立ちがよく似ていた。


 いとが言葉を探していると、女御の乳母らしき女房が口を開いた。

「左衛門の大姫……いえ、中姫。女御様には今、呪術の類がかけられている疑いがあります」

「のろい……ですか?」

 まさか、女御に呪いをかけるという人がいるなんて思いもしなかった。そういわれ、いとは彼女たちをもう一度よく観察した。


 どうりで昼間だというのに、閉め切っているわけだ。戸が開いているのは、女御たちがいる間だけであとは全部閉められている。雨戸まで閉めるのは大げさだろう。

 そういえば、女御がいとを呼ぶ声もなんだか力がなかった。顔を合わせてみると、顔色が悪く、時折せき込む姿見えた。呪われた、と言われてもぴんとこない。


「これから先、あなたには女御様の代わりを務めてもらう」

「私に務まるでしょうか?」

「女御様の代わりに座っていればいいのです。貴女が話すことも、動くことも許されません」

「それは暴利というものです」


 そもそも、いとは話し相手ということでこの場所に来た。それが呪いの身代わりになれ、というのは理屈が通らない。

「暴利かどうかは関係ないのです。女御様は左大臣家の威信のため、入内なさったのです。その役に立てるのですから、誇りなさい」

 ゆっくりと首を振る。長年都にいた身内ではなく、わざわざ遠くの国から呼び寄せた傍流の娘を呼び寄せた理由が今分かった。


 女御様と歳が近い親族の娘がいと以外いなかったからと、傍流の方が何かあった時に立ち直りやすいからだ。


(さて、どうする?)

 いとは頭を下げて思案した。はた目からはその命令を受け入れているかのように見える。けれど、そんなものを受け入れるほどいとは世間知らずではない。

「では、一つ提案がございます」

「なんでしょう?」


「先程、女御様が呪われたとおっしゃいましたが、その根拠はございますか?」

「なんですって!?」

 いとの言葉に間髪入れずに背後に座っていた女御が叫んだ。振り返ると、つり目気味の大きな瞳をした女房がいた。

 年のころはいととそう変わらないだろう。気の強さがにじみでてている娘は続けた。


「さっきから聞いていれば、あなた何様のつもりよっ! 根拠だって、あるんだから!」

 いとは女御に背を向けないように少しだけずれて娘の方に体を少し向けた。

「それを今お聞きしている次第です。そういうあなたは?」

「あたくしは女御様の乳兄弟の綾衣あやぎぬです。よく聞きなさい。女御様は入内してすぐの儀式の最中にお倒れになり、今も療養なさっているのです」


「綾衣……。おやめなさい、御前ですよ」

 母である乳母が制止しようとしたが、娘は止まらなかった。

「きっと女御様の入内に反対していた……」

「綾衣、おやめなさい。私を案じてのことなのはうれしいけれど、あまり話すものではありません」

「はい、女御様……」


 女御に言われれば、綾衣と呼ばれた娘も静かになるしかない。儀式で倒れた、となれば一大事だ。そんなこと、何も聞かされてなかった。

(それこそ噂好きの都の人たちが知らないわけではないだろうに)

 いとはふと考えた。呪いの類に詳しいわけではないけれど、女御様の周りにそれらしき”霧”は見えなかった。長年市井に交じって人を見ていると時折見えるのだ。


(何かを背負っている人には”霧”がかかっている時がある)


 それが悪い物か、いい物かは分からないけれど霧が濃くなればなるほど、その人は疲労していていた。でも、それを他の人に言う気にはなれなかった。

 人と違うものが見える、それだけで人は容易に排斥するからだ。


「それで、条件があると言っていたわよね?」

 ゆっくりと息を吐きながら女御は言った。今にも消えてしまいそうな声だったが、しっかりといとの顔を見た。

「はい。もし、呪いの正体がわかれば私を家に帰していただけませんか」


「家に?」

「はい」

「家よりここの方がよっぽどいい暮らしができるはずよ」

 息が詰まりそうな宮中暮らしより、ずいぶんましだろう。それに、うまく金子をためて家に帰る振りをして都から離れることだってできるだろう。

「弟たちがいます。まだ幼く、姉が恋しいと泣きながら別れてきました」

「まぁ、それは……」


 女御が口元を覆ってうつむいた。まぁ、実際には宮中の土産話を持って来いと泣きつかれたのだが。

 おそらく、入内という大きな役目に心を必要以上に責め立てたことから来る疲労だろう。そこに呪いがあるわけない。


(呪いなんてものはないのだ。そう思うからこそ、そこに呪いがあり、妖怪変化がいるのだよ。心は容易に呪いを生み出すものなのです)


 昔そう説いた御坊がいた。旅をしながら修行をしていた御坊はいとの”眼”に気づき、その力について教えてくれた人だった。だから、隠し通してきた。ここでも隠していかなければいけない。


 いとが女御に”気のせいだ、何も見えないのだか”と言ったところで、誰も信じてはくれないだろう。それどころか、早く家に帰りたいから嘘をついているのではないかとあらぬ疑いをかけられるかもしれない。


「それに、秋には妹の裳着の儀式もあります。それには間に合わせたいのです」

「お前が呪いの正体を見極めればそのように取り計らいましょう。ところで、名前は左衛門とするように」


「女房名ですね。女房として働くにあたって主人から与えられるという」

「ええ。武藤左衛門の娘ですからね」

 それはちょっとどうかなぁ、といとは思った。左衛門という役職は複数人に与えられているし、その娘となれば何人も宮中にいるだろう。偽名をつけるならもっと風情のある名前にしたい。

 なにがいいだろう。姓に合わせるなら武衛門となるだろう。うん、却下。風情から遠ざかっているじゃないか。


 そういえば、といとはひらめいた。

 自分の名前の由来は生まれた屋敷に植えられた柳の木からとられたと乳母が言っていた。柳の枝は糸のように見えるから、いと。刺繍は貴族の娘のたしなみの一つだから、名前としてよいだろうと父が決めた。

 この明陽殿の庭先にも大きな枝垂桜があった。決めた。いとは顔を上げ、女御に告げた。


「それならば……柳とお呼びください」

「柳?」

「柳は決して折れません。もし、身代わりとして生きろというのなら、生き延びることが私の役目だと思うからです」

「そうね……柳、いいわね」

 こうして、いと……柳は女御の身代わりとして、呪いではない証明を探すこととなった。

「………」

 その様子を綾衣がじっと見つめていた。

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