06 茶会の裏側と自分の評価
麗花の使者である女官が迎えに来て、凜風は胸を弾ませついていく。正直、春の陽気が心地よく、お茶会日和だ。空を見て微笑む凜風を女官は訝しげな目で見つめた。
「麗花さま。珠倫さまをお連れしました」
「ご苦労さま。珠倫さま、お加減いかがかしら? みんな心配していたのよ」
どっしりとかまえている彼女のほかに、あとにふたり同席している。
「麗花さま、お誘いありがとうございます。ご心配をおかけしましたが大丈夫ですよ」
凜風はにこりと微笑み席に着いた。目の前は粉糖がまぶされている餅と茶器があり、そこへお茶が注がれる。
「それにしても驚いたわ。いくら足元が暗くても啓明橋から落ちるなんて」
麗花が切り出し、なんとか取り繕うと視線を彼女に移すと、麗花の口角がニヤリと上がった。
「泰然さまから夜伽に召される前に、てっきりその体にある醜い痣を見られまいと身投げを考えたのかと」
目はまったく笑っておらず、声も冷たい。予想外の麗花の反応に凜風は硬直してしまう。麗花の言葉に彼女の横に座っていた夏雲が袖で口元を抑えながら笑った。
「本当。私なら泰然さまに醜い姿を晒すなんて耐えられませんわ。どんなに暑くても漢服で首元まで覆わないとならないなんて可哀想ですよね」
麗花と夏雲が顔を見合わせ小馬鹿にした笑みを浮かべ合っている。林杏はなにも言わず、その表情から考えも感情も読めない。しかし、今はどうでもいい。
初めて参加する凜風でもわかる。彼女たちから珠倫に向けられる感情に好意などない。
押し黙る凜風に夏雲が声をかけてくる。
「どうしました? 本当のことでしょう?」
「そうそう。事実ですもの。ほら、お茶とお菓子を召し上がって。珠倫さまのためにとびっきり甘い菓子を用意したんですよ」
麗花は挑発的な目で凜風を見てきた。珠倫はあまり甘いものが好きではない。それもわかってのことなのだ。
「それとも孤児だったという哀れな女官に持ち帰りますか? 珠倫さまはお優しいから。欲しいのならもっと用意させますよ」
彼女の発言に夏雲が声をあげてあざけ笑う。そばに控えていた女官たちも同調し、凜風は心の中がすっと冷めていくのを感じた。
「麗花さま」
極力柔らかく麗花の名前を呼び、彼女に笑顔を向けた。
「お気遣い感謝します。そうですね、麗花さまは少し甘いものを控えないと。お気に入りの漢服が入らずに仕立て直す羽目になりますものね」
「なっ!」
凜風の指摘に麗花の顔が真っ赤になり、驚きで声に詰まる。そばにいた女官たちも目配せし、夏雲も麗花を見た。そんな彼女に凜風は穏やか声色で続ける。
「女官に手伝わせて腹部を必死に引っ込めて身支度するのは大変でしょう。今も座っている体勢、おつらいんじゃないですか? もっと体形に合ったものを着てもいいと思いますよ」
「なにを言っているの! 適当なこと言わないで!」
「夏雲さま」
激昂する麗花をよそに、今度は夏雲に呼びかけた。心なしか彼女の顔に緊張が走る。
「麗しい文字をしたためた書簡、見事だと聞いております。ですが、代筆もほどほどにしないと。いずれ泰然さまの前で筆写をお見せする機会があるかもしれませんから」
「はっ? なんで……」
夏雲から上品さの欠片もない切り返しがある。先ほどまでの余裕はどこへやら、夏雲は自身の女官を睨みつけ、彼女たちは首を横に振った。
「ちょっと、失礼じゃありません?」
目が据わった麗花に対し、珠倫は微笑を返した。
「あら、本当のことなら口にしてもいいんでしょう? それとも事実とは異なるのですか? だとしたら失礼いたしました。ここにいる女官含め誤解を解くために、どうぞ存分におふたりの体形や文字をこの場で披露なさってください」
麗花と夏雲の顔が怒りで歪む。目がつり上がり、唇を噛みしめひどい形相だ。その顔は十分に醜い。凜風は静かにため息をついた。
「
そう言って目の前の餅に手を伸ばす。極力上品さを意識して、ぺろりとたいらげた。
「美味しいです。ぜひまたお裾分けいただけると幸いですわ。では、失礼します」
呆気にとられる麗花たちを無視し、凜風は立ち上がると、その場を颯爽と後にする。その際、黙ったままでいた林杏と目が合ったが、凜風はさっさと歩を進めた。
背後では誰が喋ったのかと女官を責め立てる麗花と夏雲の声が聞こえる。彼女たちの女官からは、凜風が元々は孤児であり珠倫の女官だからか冷たく見下されることが多かった。
主とは別だと思ったが、そうではないらしい。濡れ衣を着せたのは申し訳ないが、彼女たちが陰で聞こえるように主の悪口を言っているのも原因のひとつだ。
「珠倫さま、お戻りになられたんですね」
部屋に戻ると春蘭がいたので、凜風は動揺が隠せなかった。
「ええ」
「凜風は、やはり疲れているようで部屋で休ませています」
どうやらその報告を伝えにきたらしい。珠倫の体調も気になるが、今はそこまでの余裕がなかった。あきらかに元気のない主に、春蘭は腰を屈め覗き込むようにして窺ってくる。
「どうされました? また他の即妃たちになにか?」
彼の問いかけに凜風は目を見張った。
(春蘭は知っていたんだ……)
珠倫にとって他の妃のお茶会は毎回、あのように好き勝手言われる場だったのだろう。あまり好きではない甘い菓子をあんなふうに強要され、持って帰ろうとすれば馬鹿にされる。
あえて自分も春蘭も連れて行かなかったのは珠倫なりの気遣いなのか。
(私、馬鹿だ)
『これね、他の即妃の方々に頂いたお菓子。凜風にあげるわ』
『ありがとうございます!』
知らなかった。珠倫がどんな思いをしていたのか。能天気に菓子をもらって喜んでいた自分が情けない。
「春蘭がいなくなって……私、やっていけるかしら」
凜風としての本音が漏れる。春蘭が去ったあと、他の女官もつくとはいえ、珠倫を守っていけるのか。
「大丈夫です、凜風がいますよ」
慰めでも苦し紛れでもない、すぐさま真っすぐな彼の言葉が耳に届き、凜風は顔を上げた。それに伴い、春蘭もゆっくり立ち上がる。
「凜風がいます。彼女は誰よりも珠倫さまを大切にし、大事に思っている。女官としても十分な働きを見せています」
いつも春蘭からは足りないところばかりを指摘されるのに、まさか彼の口からこんなふうに評価されるとは思いもしなかった。
「珠倫さまが明星宮に輿入れする際に孤児だった凜風に声をかけたとき、私は反対しました。けれどその判断が今なら間違っていたと言えます。凜風は勤勉なうえ素直で嘘がない。有能で信頼できる人間ですよ」
(やめて、やめてよ……)
目の奥が熱くなり、凜風は再びうつむく。泣きそうになるのを必死に堪え、声が出せない。
おそらく目の前にいるのが、凜風自身だったら春蘭の態度も言葉も違っていただろう。
春蘭が戸惑っているのがわかるが、顔を上げられない。そのとき不意に頭の上に温もりを感じた。手のひらの感触に驚き、顔を上げると春蘭も慌てて手を離した。
「申し訳ありません、つい……」
「い、いいえ」
気恥ずかしさで早口に答える。たったこれだけの接触になにを動揺しているのか。用件を終えた春蘭が仕事に戻るというので彼を見送り、心臓がうるさいまま部屋にひとりになった。
(なにこれ、わけがわからない)
以前、春蘭に触れられたときは勢い余って跳ね除けてしまったが、今回はそんな気になれなかった。
(でもこれ、珠倫さまの体なのよね)
もしかすると春蘭にとって珠倫とのこれくらいの接触は当たり前のものなのかもしれない。だから自分にも触れてきたのか。
その結論に達すると、今度は違う傷みが胸に走る。春蘭といると落ち着かない。凜風はひとまず元に戻る方法を探ろうと、書庫へ向かう決意をした。
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