05 即妃同士の茶会への誘い
「珠倫さま、私はすぐそばに控えておりますのでなにかありましたらいつでもおっしゃってくださいね」
「あ、ありがとう」
いつも珠倫が過ごしている自室に春蘭に連れられてやってきたが、どうも落ち着かない。自分が使用するのも、春蘭の過保護な態度にもだ。
凜風の体になっている珠倫は、凜風の助言もあり、いつもの女官部屋ではなく個室を与えて養生させている。しかし珠倫となっている凜風はひとりで過ごさせてもらえるわけがなかった。
「それにしても、もうあんな無茶はなさらないでください。腕輪を取ろうとしたなんて。そんなものいくらでも代わりを用意しますから」
寝所で横になろうとした凜風に春蘭は腰を落としてしっかり目線を合わせ訴えかけてくる。珠倫と話し、寝付けずに散歩に出かけ啓明橋の上で月見をしていたら、お気に入りの腕輪を落とし、それが水路へと転がっていたのを追いかけ、バランスを崩したと説明することにした。
「凜風がいなかったら、どうなっていたか……。寿命が縮まりました」
本当に心配したという面持ちに珠倫本人ではなくても罪悪感を覚える。
「ごめんなさい」
「謝らないでください。あなたは無事だった。それがすべてです」
謝罪する凜風に春蘭は言い切る。あまりにも迷いのない口調に凜風は顔を綻ばせた。
「春蘭は優しいんですね」
「そんなことありませんよ。あなたは特別です。あなたのためならこの命も惜しくない。全力でお守りしますから」
真剣な表情で告げられ、凜風の心臓が跳ね上がる。脈拍が上昇し、つい春蘭から目を背けてしまった。
珠倫になってから、彼の意外な一面ばかりを見ている。同じ珠倫に仕える身ではあったが、彼がこれほどまでに珠倫を大事にしているとは思いもしなかった。
あきらかに凜風に対する態度とは異なる。これは珠倫だからだ。自身に言い聞かせながら、今度はどういうわけか胸がずきりと痛む。
(なんで、なんでこんな気持ちになるの?)
「それもあと少しですが……。そういえば泰然さまからの夜伽の件は、事情をお伝えしたらお見舞いの品を贈ってくださるそうです」
そこで泰然の名前が出て、凜風はふと我に返る。春蘭は優しく微笑んだ。
「あなたならきっと泰然さまのお眼鏡に適います。なにも心配する必要はありません」
「……はい」
安心させるように告げられ、凜風は頷く。早く元に戻る方法を見つけなければと思いながら。
翌朝、凜風は緑の液体が入った小皿とさっきからずっとにらめっこをしていた。けれどいつまでもこうしてはいられない。
「ほら、飲んでください」
春蘭が今か今かと見張るようにこちらをじっと見てくる。その眼差しの威圧感はなかなかのものだ。
「どうしても、飲まないとだめよね?」
「もちろんです。ただでさえ目が覚めない間は飲みそびれていましたから」
間髪を入れない返答に凜風は肩を落とした。これは珠倫の体調を整えるため、毎日飲んでいる薬だ。薬草を煎じて葛湯と混ぜたものだが、どう見ても食指が動かない。
とはいえ珠倫の体のためだ。凜風は意を決し、器の端に口をつけ、中身を飲み干した。
(にっがーーーーーーーーい)
反射的に戻しそうになるのを必死に抑えた。珠倫は普段、涼しげな顔をして飲んでいたが、こんなものを毎日飲まないとならないなんて凜風には耐えられない。
「珠倫さま? どこか気分が?」
背中を丸める凜風に春蘭が近づく。
「も、もう少し……甘くならないかしら?」
涙目で訴えてみたが、逆に春蘭には不思議そうな顔をされた。
「珠倫さまはあまり甘いものがお好きではないでしょう。それにしても頭を打った影響が味覚にも出ているなんて」
「春蘭、少しいいかしら?」
そこで顔を覗かせたのは、凜風として女官の格好をした珠倫だった。
「凜風、体は大丈夫ですか?」
同じ質問をしようとしたが先に春蘭が尋ねる。珠倫は困惑気味に微笑んだ。
「少しずつ女官の仕事に慣れていきたいの。ごめんなさい、記憶があやふやだから迷惑を書けるかもしれないけれど……教えてくれる?」
珠倫はそっと春蘭の袖を掴み、上目遣いで彼を見る。やけに上品で弱々しい声色に、それを見ていた凜風の背中に寒気が走った。
(わ、私、そんな言い方や振る舞いはしないんだけれど……中身は珠倫さまとはいえ、なんなのこれは)
気恥ずかしくて直視できない。春蘭はそっと珠倫の肩を叩いて彼女を落ち着かせた。
「わかりました。でも無理はしないでくださいね」
「うん」
目を泳がせながらふたりのやりとりを見て、凜風は内心でため息をつく。なんとも複雑だが、しばらくはしょうがない。
「では、その前に珠倫さまへ薬の塗布をお願いします」
「……ええ」
そこで我に返る。珠倫の痣に薬を塗るのは凜風の役目だった。そのときいつもさりげなく春蘭は席を外していたが、彼の性別を考えると当然だろう。湯浴みの付き添いなどもすべて自分が行っていたと思い返す。
春蘭が部屋を出たので、凜風は首元まで覆っている長袖の漢服の釦をはずしていく。
「珠倫さま、大丈夫ですか? なにか不便は?」
「大丈夫よ。凜風こそ平気?」
話しているのも、声もすべて凜風なのに、その中に珠倫を見る。
「私は大丈夫です。それにしても日課の薬湯、こんなに苦かったんですね」
つい舌を出す凜風に珠倫は笑った。
「私も慣れるまではつらかったわ。でもそのうち大丈夫になるはずよ」
「それまでには元に戻りたいですね」
なにげなく凜風が呟いたが、それに返事はなかった。珠倫は慣れた手つきで痣に塗る薬の準備をしている。
「あ、薬を塗るのは自分でしますよ!」
「いいわ。自分の体だもの、やらせて」
なんとも言えない気まずさを感じつつ凜風は肩を剥き出しにして肌を晒す。色白の肌とは対照的に青紫色にくすんだ肌は見ていて痛々しい。しかし珠倫の体になってわかったのだが、違和感もなければ痛みもない。
「醜いわね」
珠倫は顔をしかめながら薬を塗っていく。薬草の香りが漂う布が肩に押し当てられ、わずかな冷たさに凜風は眉をひそめた。
「毎日薬を塗ってくれている凜風にこんなことを言うのもなんだけれど、本当はね、無駄だってわかっているの。痣は薄くなるどころか年々濃くなっているし」
「珠倫さま……」
おそらく自分で鏡を見て痣を確認するのと、第三者の視点で痣を見るのとではまた印象も違うのだろう。珠倫の言葉には苛立ちや悲しみ、嫌悪が混じっている。
「きっと泰然さまもこの痣を見たら、私をここから追い出すかもしれないわ」
自嘲的に呟いた珠倫に凜風が口を開く。
「そんなことありません! この痣はすぐに完治は難しいかもしれませんが、いつかきっと良くなりますよ。それに、この痣の有無関係なく珠倫さまは誰よりも素敵な女性です。泰然さまがそんな方なら、見る目のない男性だった、それまでです。こっちから願い下げですよ!」
「まぁ、凜風たら……」
珠倫は辺りを見渡した。誰かの耳に入ったら不敬罪で訴えられるのも厭わない内容だ。けれど、その心配はどうやらなさそうだ。
「すみません、私……」
我に返った凜風が身を縮める。つい熱くなってしまったが、想いは本気だ。
「ありがとう。凜風。じゃぁ、私、春蘭について女官の仕事を学んでくるわ」
「無理だけはならないでくださいね」
体を拭いた布や薬器を持って立ち上がり、珠倫はその場を後にした。凜風は衣服を着て首元までしっかり覆う。
(このあとは、どうしよう……)
まだ本調子ではないのだから、と言われたもののずっと横になっているのも性に合わない。いつもは女官として忙しく仕事に追われ、ここ最近はさらに春蘭についていろいろと積極的に学んでいた。
手持ち無沙汰になってしまい、凜風は行儀悪いのも承知で仰向けに倒れ込んだ。
(珠倫さまが動けない分、私がなんとか元にも戻る方法を探らないと)
そうは思っても、手がかりはおろか、どうすればいいのか皆目見当つかない。
(書庫へ行ってみようかしら?)
「珠倫さま」
「な、なに?」
そこで名前を呼ばれ、凜風は勢いよく体を起こした。扉の向こうから声をかけてきたのは春蘭だ。
「
麗花は珠倫と同じく嬪の地位にある即室だ。茶会を開くのが好きで、珠倫はよく声をかけてもらって参加していた。凜風は付き添ったことはないが、気分転換にはうってつけだろう。
「行くわ! そうお返事して」
明るい声で即答した凜風に、扉の向こうで春蘭が息を呑んだのが伝わってくる。
「よろしいのですか? まだご気分が優れないと言ってお断りすることもできますが……」
「だ、大丈夫よ。せっかくのお誘いですもの。同じ嬪同士、交流を深めておくのも大事でしょう?」
それとなくフォローを入れる。春蘭は了承の意を唱えそのまま下がろうとした。その前に凜風は思い出したように彼の名を呼ぶ。
「春蘭!」
「どうされました?」
足を止めたのが気配でわかる。凜風は扉の方へ向けて早口で捲し立てた。
「り、凜風のことなんだけれど……。私より彼女の方が重症なのに無理していると思うの。どうかしっかり休ませてあげて」
凜風の中身は自分たちの主である珠倫だ。体調云々の前に彼女に女官仕事をさせるわけにはいかない。
「承知しました。大丈夫です、凜風のことは気をつけて見ておきますから」
「うん。お願いね」
春蘭の返答にホッと胸を撫で下ろす。そして部屋で再びひとりになり凜風はため息をついた。
(しょうがないけれど……春蘭との距離が遠く感じる)
そこで頭を振った。今まで春蘭とはそこまで親しくなかった。彼が明星宮を去ることになり、その流れで彼の秘密を知ってわずかに距離が縮んで……。ここ最近の話だ。
不必要に寂しさを感じる必要はない。
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