第29話  「あなただよ?」

 「さくら、起きてる?」


 暗闇の中、珊瑚ちゃんの声が耳元で小さく呟かれた。


 「……うん」


 当たり前に俺は眠ることができていない。こんな状況でおとなしく眠れる男なんて存在するのだろうか。

 ただ、眠くはあるのでおとなしく目を閉じて眠りにつくのを待っていた。

 隣では雛乃ちゃんが可愛らしい寝息をたてている。

 そんな雛乃ちゃんの寝息も俺がなかなか寝付けない理由だ。


 「寝れないんだ?」

 「まあ、こんな状況じゃあね……」

 「男の子からしたら夢みたいな状況じゃない?」

 「悶々とするだけだよ」

 「ふーん、見晴さんはあたしでもえっちな気分になるんだ?」

 「そりゃあ……まぁ」


 女の子に対して、この返事はいかがなものかと自分手も思うが、これ以上の返事を思い付かなかった。


 「へへ、よかったぁ。雛乃ちゃんとばっか遊んでるから、あたしじゃダメなんじゃないかって思っちゃってた」

 「そういうわけじゃ……」

 「うん……そうみたいだね」


 珊瑚ちゃんは俺の上に馬乗りになり、まじまじと俺の顔を見つめてくる。


 「顔真っ赤。見晴さん、ほんとに可愛い」

 「か、可愛いって……。可愛いのはさくらちゃんだか──っ!?」


 俺の言葉を唇を塞ぐことで遮る珊瑚ちゃん。

 その唇はすぐに離される。

 可愛いなんて、男として生きてきた俺には縁遠い言葉。言われて嬉しい言葉でもないのに、妙に顔に熱を帯びる。


 「ううん、見晴さんだよ。あたしに見つめられて顔を真っ赤にしてるのも、キスをされて恥ずかしそうにしてるのも全部見晴さん。あたしが好きなのもさくらじゃなくて見晴さん、あなただよ?」


 そう言った後、珊瑚ちゃんは「もちろん、さくらのことは親友として大好きだけどね」と付け足した。


 「あたしも今、すごい顔が熱いの。見えるかな?」


 暗くてよく見えないのもあるけど、俺はまっすぐ珊瑚ちゃんの顔を見つめられない。

 俺は首を横にふった。


 「そう……じゃあ、こっちならどう?」


 珊瑚ちゃんは俺の右腕を掴み、自らの胸へと突きつけた。

 トクン、トクンと、珊瑚ちゃんの心臓の鼓動が伝わってくる。


 「ね? すごいでしょ。見晴さんはどうかな」

 

 珊瑚ちゃんは垂れた髪の毛を耳にかけ、俺の胸に耳を当てて、心臓の鼓動を確かめる。

 その仕草が色っぽくて、俺の心臓は更に早く鼓動する。


 「あはは、どんどん早くなってるよ」


 それを珊瑚ちゃんにも感じ取られたようで、更に恥ずかしくなってくる。


 「はぁ、なんかこのリズムすごい落ち着く」


 珊瑚ちゃんが俺の胸の上でぐったりとうなだれる。そんな状態にも時間が経つにつれて慣れ始め、俺の鼓動は徐々に通常のリズムへと戻り始める。


 「……ねぇ、見晴さん。今日あたしがいないとき、雛乃ちゃんと何してたの……?」

 「何って……き、キス」

 「ほんと?」

 「う、うん」

 「そんな雰囲気じゃなかったんだけどなぁ」

 「その……舌も入れられたけど」

 「そっかぁ、なるほどね。……ねぇ、あたしともしてよ」

 「……何を?」

 「わかってるくせに……、雛乃ちゃんとした大人なキス」

 「……うん」


 俺は雛乃ちゃんと珊瑚ちゃんを平等に見ている。いや、見ようとしている。二人としっかり向き合ってどちらかを選ぶために。二人もそれを望んでる。

 だから俺は断れない。


 「ありがと……」


 珊瑚ちゃんは胸から顔を離し、再び俺の顔を見つめてくる。

 その顔がカーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされて妙に艶かしい。垂れてきた髪を耳にかけ直し、俺の顔へと近づけてくる。

 

 唇同士が優しく触れる。短時間で唇が離される。

 枕によって首と布団の間にできた隙間に、珊瑚ちゃんは両手を差し込み、俺の身体を抱き起こす。

 鼻が触れ合うほどの距離感で、俺の目にはどうあがいても珊瑚ちゃんの、艶かしい顔が映りこむ。


 「ベロだして?」


 俺は静かに舌を出す。暗いとはいえ、人に対し舌を出すというのは恥ずかしいものだ。


 「んっ」


 こうしてだした俺の舌に、珊瑚ちゃんの舌先が触れる。

 そうして触れ合った舌を、珊瑚ちゃんは器用に絡めてくる。徐々に舌の根元まで深く絡められていく。

 ついには唇同士も触れ合い、吐息混じりに唾液を交換する。

 俺は高まっていく快感に、無意識に自分からも舌を絡めていく。


 なんだか甘い。朧気な俺の意識は珊瑚ちゃんの唾液に対しそんな感想を抱いた。そんな甘さを求めてひたすら舌を絡めていく。

 部屋中に俺と珊瑚ちゃんの色っぽい吐息が響く。もう、雛乃ちゃんが起きちゃうとか、部屋の外に聞こえちゃうかもという心配なんてしている余裕なんてない。

 ただ、甘い快楽を求めるだけ。


 こうして甘い快楽を求めているうちに気づかず、もう離させまいと俺の右腕は珊瑚ちゃんの首に回っていた。

 呼吸のために唇を離しても、舌は絡めたまま。

 これを何度繰り返しただろうか。時間もかなり経っているように思う。


 「はぁ……はぁ……♡」


 やっと舌も離れると、俺の身体は力が入らず、珊瑚ちゃんに身を委ねるようにうなだれる。

 珊瑚ちゃんの胸に顔を埋めて吐息を漏らす姿は女の子同士でなければとても変態的に映るだろう。


 身体が熱い。疲れてる筈なのにもうさっきまでの快楽を求めている。

 もう脳みそがとろとろだ。なにも考えられない。

 いつの間にか、珊瑚ちゃんに頭を撫でられていた。優しく撫でてくれる珊瑚ちゃんの手がすごく落ち着いて、俺の目蓋は徐々に重くなる。


 「はぁ、ほんと、見晴さん可愛い……♡」


 そんな珊瑚ちゃんの言葉を聞き届けて、俺の意識は途絶えた。


◆◇◆


 「ねぇ、どんな寝相だったらあんなことになるの!?」


 雛乃ちゃんの追求に俺は狼狽えていた。

 昨晩の記憶は朧気だ。珊瑚ちゃんとキスをしたのは覚えているが、いつ寝たのかとかそういうことは全く覚えていない。

 ただ、目が覚めたら俺の右手は俺の上で眠りについていた珊瑚ちゃんの首に回っていて、珊瑚ちゃんの手もまた俺の首に回っていた。


 ようするに、抱きついたまま寝ていた、ということになる。事後のような雰囲気だ。

 その事について先に目覚めた雛乃ちゃんに追求されていた。


 「き、キスだよ……多分……」

 「多分?」

 「わ、私も……あまり覚えてない……」

 「さくら、昨日終わったらすぐ寝ちゃったんだよね」

 「あ、珊瑚ちゃん起きたんだ」

 「うん、おはよう。さくら、雛乃ちゃん」

 「おはよう」

 「おはよう……じゃなくて! なんで珊瑚はさくらに抱きつきながら寝てるの!?」

 「え~、それは昨日……ねぇ、さくら」

 「え?」

 「さくら、覚えてないんだ? あんなに気持ちよかったのに」

 「ねえ! ほんとになにしてたの!?」


 朝から元気だなぁ、なんて時計に目を向けたらもう昼過ぎだった。そんなに寝てたのか。


 「取り敢えず……ご、ご飯を食べに行かない?」


 逃げようと取り敢えず放った言葉だが、どうやらご飯という言葉に雛乃ちゃんのお腹がぐぅー、と反応した。


 「し、仕方ないから今は許して上げる、から早くご飯行こ」


 雛乃ちゃんは、恥ずかしそうにお腹を押さえながら立ち上がる。

 俺の寝巻きを身に付けている雛乃ちゃんは、サイズがあっていないためか、それとも寝起きのためか、少し歩きづらそうだ。

 それでも雛乃ちゃんは部屋の扉に辿り着き、静かに開けた。


 「さ、二人も」

 「うん」


 俺と雛乃ちゃんも立ち上がり、食事のために部屋から出ていった。


◇◆◇


 食事も終え、着替えなども終えると、俺たちは再び部屋でお喋りだ。

 雛乃ちゃんのおすすめな漫画やゲームの話、珊瑚ちゃんが見たいという映画の話など、たくさんお話していると、あっという間に時間が過ぎていく。


 もうカーテンの隙間からは赤い光が差し込むような時間になった。


 「じゃあ、そろそろあたしは帰ろうかな。遅くなってきたし、家も遠いし」

 「それならあたしも」

 「あ、うん」

 「服は洗って返すから」

 「うん」


 俺たちは部屋から出て、玄関まで向かった。

 靴を履いている二人の後ろ姿を見つめながら俺は、俺は静かに口を開く。しっかりと二人に伝えなければいけないと、そう思ったから。


 「あの……、私しっかり答え出すから……少し時間がかかっちゃうかもしれないけど、それまで私のこと、好きでいてくれる……?」


 俺は珊瑚ちゃんに対しても、桃井さくらに対しても、罪悪感を抱えている。

 俺が桃井さくらになってしまったことで、本来桃井さくらが得るはずだった楽しい高校生活は俺のものとなってしまった。

 桃井さくらの身体を奪った俺が、桃井さくらを差し置いて幸せになってしまっても良いのかと、この身体に転生してからいつもそう思っている。


 でも、二人に対し曖昧な態度を取り続けたら二人のことも不幸にしてしまう。そんなことは俺も、桃井さくらだって望んでいないだろう。

 だから、俺は答えを出すのだ。それで俺が桃井さくらとして幸せになるとしても。


 多分これからも、俺は二人の幸せと罪悪感で板挟みになって悩み続けるのだろう。

 これが本来の二人を歪めてしまった俺の償いだ。

 でも、もう覚悟なら決めた。


 途端、俺の唇が覚えのある柔らかな感覚に包まれた。

 雛乃ちゃんの唇だ。すぐに離れ、交代するように珊瑚ちゃんの唇でも塞がれた。


 「当たり前でしょ? あたし、もうさくらじゃないと考えられないから」

 「あたしもだよ。だからそんな顔しないで」


 俺は今、どんな顔をしていたのだろうか。玄関に鏡はないためわからない。でも指摘されるくらいひどい顔となっていたのだろう。

 珊瑚ちゃんは俺の事情を少し知っている。だから、俺がどんなことで悩んでいるのかも察して、心配させてしまったのかもしれない。

 俺は頑張って口角を上げ笑顔を作り、二人に視線を向ける。


 「ありがとう。待っててね」

 「うん!」

 「じゃあ、また明日」

 「また明日」


 手を振り、玄関で二人を見送る。

 俺は昨日今日で、二人の気持ちを痛いほど受け止めた。

 今度は俺の番だ。どんなことがあろうと、二人を不幸にすることだけはあってはならない。

 二人の気持ちをのらりくらりと避けない。

 しっかりと向き合って、そして答えを出す。それが、俺が桃井さくらとして生きていく上での新たな目標だ。

 

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