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 ──と、そんなことを考えながら部室の鍵を閉めて職員室に返し、わたしたちは校舎を出た。

 先輩たちと別れて、玄関に立つ。

 冬が近い。ふるりと肌寒くて、マフラーに口もとをうずめる。夜の帳が降りた空は、いつになく澄んでいて綺麗だった。

 冬は好きだ。わくわくして、楽しい気分になれる。雪は降るだろうか。クリスマスは、お正月はみんなで集まれるだろうか。楽しみで、つい鼻歌を歌ってしまう。



「──ほの、ご機嫌だね」



 ふいに後ろから声をかけられて、わたしはぱっと振り返った。


「なゆちゃん!!」


 なゆちゃんだ。

 疲れた表情のなゆちゃんは、ほうと息を吐いてわたしの隣に並んだ。

「どうしたの? 生徒会?」

「そう。作業があったの。ぜんっぜん終わらなくて、今やっと切り上げてきたとこ」

「大変だぁ……お疲れさま!」

 ぎゅっと抱きついて見上げると、なゆちゃんがふわりと笑った。

 クマができている。少し無理をしているのかもしれない。でも、なゆちゃんが頑張りたくてやっていることだから、わたしは応援することしかできない。

「ほの、この後は?」

「んーとね、迎えに来てくれるんだって! お買い物の帰りに寄ってくれるみたい。なゆちゃんも乗ってく?」

「いいの?」

「いいよ! ほら!」

 メッセージでお母さんに聞いてみて、すぐに返ってきた快諾の画面を見せる。

 帰りもなゆちゃんと一緒だ。嬉しい。



「あ、来たって!」



 到着したらしいメッセージを受け取って、見つけたお母さんの車に駆け寄った。

 なゆちゃんが、お母さんに頭を下げる。


「すみません、よろしくお願いします」


 車の中を覗くと、助手席に陽葵、後部座席の奥に涼がいるのが見えた。

 どうやら、みんな来ているらしい。

「なゆちゃんひさしぶりー! 散らかってるけど、適当によけて乗って! お姉、空けてあげて」

 陽葵が助手席から振り向いて言う。

 なゆちゃんに待ってもらって車の中を片付けていると、奥の方で頬杖をついた涼が憎たらしく笑いながら言ってきた。

「お姉真ん中座んなよ、ちっさいから」

「はー?! ちっさくないし!! これでも平均くらいはあるし!!」

 小さい頃は可愛かったのに、小3になった今はこうして憎まれ口を叩くようになってしまったのだ。

 本当は、なゆちゃんが隣に来ると緊張するからという理由なくせに。


「っはは」


 なゆちゃんが、笑った。

 きっとそれはわたしたちが騒がしかったからなんだけど、それでもなゆちゃんが声を出して笑うことはあまり多くないから、やっぱり嬉しい気持ちになってきてしまう。

「ほらー、なゆちゃんに笑われたじゃん! 涼、あんたも手伝いなさいよ!」

「はぁ? オレのせいじゃないだろ! オレはお姉に真ん中乗れって言っただけだし!」

 そうして始まってしまった喧嘩をお母さんが叱って、片付けが終わった車にふたりで乗り込む。

 やがて、わたしたちを乗せた車はにぎやかに走り出した。

 なゆちゃんはもう何度もうちに遊びに来てるし、こうして同じ車で帰ることも今回だけじゃないので、うちの妹や弟とも結構打ち解けているのだ。

 わたしも、こうしてなゆちゃんが楽しそうにしてるところを見るのは嬉しい。


「ね! 唯春先輩は、いつ連れてきてくれるの? ひまり、楽しみにしてるんだけど!」

「……千秋も来る?」

 この前の学校祭で唯春せんぱいに陽葵と涼を紹介してから、陽葵は唯春せんぱいのことが気に入ってしまったようで、こうして何度も名前が出るようになった。

 千秋ちゃんも、弟の夕陽くんが小学校の6年生にいる関係で涼と話せることが多いらしく、ゲームやテレビの話で案外と盛り上がるみたいなのだ。

「うーん……じゃあ今度、みんなうちに呼んでお菓子パーティーとかする?!」

「あー、絶対騒がしくなる。お母さんにご迷惑でしょ、せめてどこか外とかで」

 唯春せんぱいも千秋ちゃんも騒がしいのは多分あんまり好きじゃないから、4人で遊ぶことを計画したり誘ったりしたことはそんなになかったんだけど。


 ──やっぱりわたしは、みんなで楽しいのが好きだ。


 お願いしたら、お母さんが『いいよ』と言ってくれたから、週末の予定が合うところで計画を立てることにした。


 楽しみだ。

 何だか、今からわくわくしてきた。



「あ、この辺で」



 住宅街を車で進み、やがて見慣れた景色が見えたところでなゆちゃんが声を上げた。もう家に着いてしまったらしい。

 その声で車は緩やかに速度を落として、数メートル先で止まる。


「ありがとうございました」


 車の扉が開いて、涼しい空気が車内に流れ込んだ。夜と、それから微かに冬の匂い。

 なゆちゃんが荷物を持って降りていくのを、家族が手を振って見送る。わたしはひとり、なゆちゃんに続いて車を降りた。



「ほの」



 少しだけ冷たい手のひらが、わたしの頬に触れる。

 大好きな、優しい感触。

「えへへ」

 触れ合うと胸の内側がとくとくと甘く鳴って、ふわりと体温が上がって、離れたくなくなってしまうのだ。

「じゃあ、学校行ったら千秋ちゃんと、唯春せんぱいにもお話しておくね! んふふ、楽しみ! わたしも、お菓子作ってみようかなぁ。クッキーと、カップケーキと……」

「あんまり欲張んないの。大変でしょう」

「あ! なゆちゃんは甘いもの食べられないから、甘くないのも用意しなくちゃ!」

 困ったように笑いながら、なゆちゃんが相槌をくれる。


「ほの。お母さん待たせてるし、そろそろ」


 そうして話が止まらなくなりかけたその時、なゆちゃんがそっとわたしを止めた。

 あぁ、もうそんなに経ってしまったのか。

 みんなの待ちくたびれた顔が頭に浮かんで、仕方がないので帰ることにする。


「なゆちゃん、ぎゅっと、して」


 最後にそっとおねだりすると、なゆちゃんは優しく笑って頷いてくれた。

 わたしの手を引いて玄関に入り、ふたりきりになった瞬間なゆちゃんがわたしを抱き寄せる。わたしもなゆちゃんの背中に手を回して、ぎゅうっと彼女を抱きしめた。


「また明日ね、ほの」


「うん。また明日」


 強く抱き締めあって、それからなゆちゃんが唇にキスをくれる。

「なゆちゃん、夜更かししちゃだめだよ? お勉強も大事だけど、なゆちゃんは頑張りすぎだから休まなくちゃ! わたしだって、なゆちゃんが無茶したら怒るんだからね!! そうしたらわたしだって、」

「分かった。分かったよ、ごめん」

 困ったように笑うなゆちゃんの両頬を捕まえて、目の下に薄らとできたクマを指先でなぞった。


 彼女は、”自分を甘やかす”という言葉を知らない。


 常に自分の中に課題を置き、遂行のための計画を立て、実行、結果は詳細まで分析し、不足があれば改善して次の計画へ繋げるのだ。そこに休みは存在しない。たゆまぬ努力と、決して現状に甘んじない姿勢。

 自分でさえ、自分を許せはしないのだ。

 彼女は強いから。強すぎるから。だから、かすり傷などでは立ち止まることができない。泣くことができない。足が立つうちは歩き続け、指が動くうちはペンを握り続けるのだ。

 立つことが叶わなくなるまで。

 彼女のその呼吸が、鼓動が完全に止まってしまうまで。


 気付かないうちに、血まみれになってまでも。


 その目の下のクマに、唇を押し当てた。

 彼女はわたしにはこんなに深い愛をくれるのに、彼女自身のことは何ら愛していないのだ。常に自分を削って、他人を生かす方法だけを考えている。まるで自分のことが道具にでも見えているみたいに。

 それがわたしには、どうしようもなく惜しくて、悲しい。


 だからわたしは、彼女のそばで彼女の手を握り続けるの。



 彼女を、あふれるほどの愛で満たすの。




「ほのも、しんどくなったら私を頼って。ほのは”元気の仮面”が得意すぎるから、心配」




 その言葉に苦笑して、小さく頷いた。

 しんしんと雪が降り積もるように、胸の内側が静かな愛で満たされていく。

 触れ合ったその暖かさに、痛みが癒されていく。


「わ」


 ──扉を開けた。


 濃紺の夜空にふわりとちらついた白いそれは、新しい季節を告げる知らせだった。





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