幕間 今宵、蛍は美しく
1.夏の騎士と四季の庭
小さい頃に夢見ていたこと。
この暗い森に、ある日勇敢な騎士様が現れて、わたしと家族を救い出してくれること。
敵は強くて怖い大魔王だ。
大魔王は口から火を吹いて、鋭い爪で引っ掻いて、大きな足で踏んでくる。わたしたちを守ってくれるお母さんももうぼろぼろだ。もうすぐわたしたちはゲームオーバー。
でも、騎士様はどれだけ待っても現れてくれなかった。
だからわたしが、代わりに騎士になったの。
小さな騎士、蛍乃佳。
わたしは王子様になるほど格好よくないし、お姫様になるほど可愛くない。うん、やっぱり、騎士がぴったり。
わたしがみんなの前に立つと、大魔王は少し怯んで『よけろ』と言ってきた。わたしには攻撃できないらしい。
わたしが大魔王の注意を引きつけていると、お母さんが逃げようと言ってきた。
だからわたしたちは、大魔王の隙を狙ってその暗い森から逃げてきたのだ。
わたしは騎士だ。
みんなを、守らなくちゃいけない。
でも、後になって思うことがある。
たぶん大魔王も、苦しくて、辛くて、どうしようもなかったのだと思う。助けてほしくて、けれどどうしたらいいか分からなくて、もがいた指先から出たビームでわたしたちを傷つけてしまったのだと思う。
あぁ、大魔王も、そう思えば可哀想な人だった。
──あの場所へ戻りたくは、ない。
けど、とうとうひとりぼっちになってしまった大魔王は、あの後誰にも頼れず泣いたんじゃないだろうか。
なんて、今もそんなことを、時々考えてしまうのだ。
それからわたしは、敵のいない綺麗な花園に腰を下ろすことになった。
それは春だけが欠けた、四季折々の庭。
明るく楽しい夏。ひとり静かに終わりを待つ秋。傷ついた誰かを守り、その痛みを引き受ける寒く厳しい冬。
それからわたしは、冬の魔法使いに出会った。
人の何倍も重い制約を自分に課す彼女は、いつだかわたしに言った。
かつて私の先を歩いた鶴がいた。
大層美しく気高い鶴であったが、いつしかその鶴は周囲からの期待に応えることに疲れ、深く傷ついてしまった。
だから私が名乗りを上げたのだ。
私が降らせる雪が鶴よりも白ければ、飛び立つ鶴を隠してやれるだろう。鶴よりも美しければ、皆鶴などではなく降り積もる雪を見上げるだろう。
だからそのために、私は完璧な雪を深く降らせなければならないのだ、と。
優しい魔法使いだった。
呪われた大魔王から弱りきった家族を守らなくちゃいけなかった騎士は、その大魔王から逃げ切り穏やかな生活を得た。
けれど騎士は今も、振り上げた剣を下ろせずにいたのだ。
もし次に悪いものが騎士たちを襲ったとして、その時剣を下ろしたままでいたら、騎士たちは反撃する間もないまますぐぺしゃんこにされてしまうから。
でも魔法使いは、そんなわたしの手を握ってわたしを叱った。
あなたは何ひとつ完璧じゃない。見ていてはらはらする。その細い剣を下ろして、今少し眠ったらどうだ。
何かあったら私も戦える。とにかく、自分の力を過信するのはやめろ、と。
その時わたしは、実はとても安心したのだ。
彼女はわたしと一緒に戦ってくれると言った。わたしも眠ってもいいと言った。
本当はわたしは、立派な騎士なんかじゃなくてちっぽけな子どもだったから。
それを分かって隣にいてくれようとする彼女が、わたしにはとても嬉しくて、それから大切なひとになったのだ。
ある日魔法使いは、わたしに愛の言葉だけを残して姿を消してしまった。
すでに魔法使いの事が大切になっていたわたしは、その喪失を惜しみ、暖かかった夏の庭も一気に華やかさを失ってしまった。
ある日、夏の庭に風の精が現れて言った。
そんなに大切なら、引き止めておけばよかったじゃないか。行かないでくれと縋ればよかったじゃないか、と。
わたしの愛と魔法使いの愛は違ったのだ。
だからこそ魔法使いは、わたしからの返事を求めず静かに姿を消したのだ。
わたしがそう説明すると、風の精は分からないというように目を丸くして首を傾げた。
それの何が悪いのか。自分なら、絶対に手放したくないものがあって、それをつなぎ止めておける方法があるなら何でも使う。たとえそれがずるであってもだ。
むしろそんなに他人のことばかり考え優先していて、君は幸せになれるのか、と。
風の精は、自由な気性だった。
誰にも媚びず、阿らず、ただひたすらに自分らしさとその理想を追い求めている。
わたしにはそれが、とても素敵なことに思えた。
だからわたしは風の精のそばへ行って、彼女を友人と呼んだのだ。
ひとりぼっちだった彼女は、やがて新しい地で友人ができたようだった。それは冷たい雨のようで、あるいは身を貫くほどの強烈な雷でもあって、けれどあの風と対になって肩を並べてくれる人だ。
そうしてわたしも、魔法使いとの再会を果たした。
風の精が教えてくれた通り、わたしは身勝手な方法で魔法使いをわたしのもとへ繋ぎ止めた。それなのに魔法使いは、泣いて喜び、わたしの手を握ってくれたのだ。
彼女と過ごす毎日は、とても幸せなものだった。
彼女がくれる愛はいつもまっすぐで、優しくて、そして深い。うだるような暑さは心地よい涼しさに包まれ、乾いてひび割れた大地は澄み切った潤いに満ちるようだった。
そうしていつしかわたしは、魔法使いがくれた温もりに、強い愛情を抱くようになっていた。
それは、ある日突然庭に蕾をつけた花が、ふわりと花びらを開くように。
だから今度は、わたしから愛の言葉を返したのだ。
家族はもう、わたしが守る必要はない。
わたしは魔法使いの手を取って、彼女を守る騎士になる。
彼女と手を繋ぐのも、抱きしめ合うのも、唇を触れ合わせるのも、言葉を交わして愛を伝え合うのも全部、胸の内側がじわりと暖かくなるような嬉しさがあるのだ。
わたしは、不器用だけど本当は誰よりも優しくて、でも自分には厳しくて、深い深い愛をくれる彼女のそばにい続ける。
彼女が沢山たくさんくれた愛を、今度はわたしが、彼女へ返すの。
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