第28話 ご褒美




 エンディングの音楽に合わせて順番にステージへ戻って、お客さんへ礼をし挨拶する。

 最後、唯春と並んで頭を下げると、もう一度客席から拍手をもらった。それから唯春と上手下手に別れ、ステージ端でも頭を下げる。

 そうして全てを終えフェードアウトしていく音楽とともに、最後の緞帳が下りた。


「おお……! 千秋、やったな!!」


 いたずらが成功した子どもみたいに、風谷が駆け寄ってきて肘であたしをつついた。

 兵の衣装を着た雨田も、後ろから歩いてきて笑う。

「あ゛ー、」

「霞先輩も直前でセリフ変えたし、アツかったー!」

「うん、あれはびっくりしたね」

「あぁ……」

 そうだ。

 本来脚本にあったのは、『あぁ。私も君を愛している。私には、君しかいない』というセリフだった。それが本番中急に変わって、あたしは何とかニュアンスで合わせたのだ。

 きっと、あたしが急に本来とは違うことをしたのを見て、流れや雰囲気がズレないように合わせてくれたのだろう。

 本来はもっと静かで、もっと穏やかな雰囲気に仕上げられたシーンだったから。

「……ちなみに、唯春さんの唇はどうだった?」

「やめな薫、変態臭いよ」

「だって気になるだろー! いやでも、よかったよ。悲願の再会って感じしてさ」

 正直言うと、ついカッとなってしまって衝動で体が動いたので後先を考えていなかったのだ。そして今じわじわと後悔が湧いていたところだったから、そういう評価をもらえたのは意外だった。



「みんな、お疲れさま。とりあえず次の人待たせてるから、すぐ撤収して演劇部室集合ね」



 姿を見せた霞先輩がステージ全体に号令をかけて、部員たちが慌ただしく動き出した。

 発表自体は明日もあるので引き上げはしないものの、道具は全て片付けて次にステージを使う人へ場を譲り渡さなくてはいけない。

「千秋ちゃん、ここは大丈夫だから先にいはるちゃんのこと部室まで連れていってくれる?」

「分かりました」

 唯春の衣装はドレスだから片付けに加わるには動きづらいし、移動にも時間がかかるから先に戻っていいということだろう。

 演劇部の後輩たちと言葉を交わしている唯春を見つけて、声をかける。

「唯春、先上がろう」

「いいの?」

「あぁ」

 それに、舞台袖がごった返すと逆に片付けが遅くなる。どうやら次の出演者ももうスタンバイしているようだし、あたしたちはとりあえずさっさと出てしまった方がいい。


「あ、エレベーター使えるはずだからエレベーター使っても大丈夫だよ!」


 遠くから飛んできた霞先輩の声に返事を返して、唯春の手を取った。

「行こう」

「ん、」

 感傷に浸る間もないらしい。

 まぁ、今は全部成功して終われたことを喜んでおくとしよう。

 持って帰る荷物を腕にかけ、唯春を連れてあたしはステージを降りた。






 やたら他人の視線を集めてしまうのを避けながら唯春を連れてエレベーターに乗り、ボタンを押してひと息ついた。


「はぁ……疲れちゃったな」

「そうだな」


 疲れたと言いながらも笑顔のまま、唯春が壁に寄りかかってあたしを見つめる。

 少し前までは、涙でメイクが崩れてしまい挨拶の順番を待つ間直してもらっていたくらいだったというのに、もうご機嫌らしい。


「なんか、頭がいっぱいになっちゃって……あきくん見たらすごく安心して、わけ分かんなくなって、来てくれたんだと思ったら、我慢できなくなっちゃったの」


 あの時唯春が泣いたのは、もちろん感情が高ぶったというのもあっただろうが、何より、あたしが現れたことで張りつめていた糸が切れてしまったのだと思う。


 あたしのことだけを考えろと言った。


 それは、無理に頑張って我慢してステージに上がった結果、そこで限界が来てしまうのを防ぐためだ。

 よく観客を野菜だと思えなどと言って緊張を和らげようとする人がいるが、効かない時は本当に効かないし、何よりそう考えようとする過程で自然と観客を意識せざるを得ない。

 それなら、余計な事は一切考えるなと言った方が今はいいと思ったのだ。


 結果、最後の最後にあたしが目の前へ現れたことによって、限界までこらえていたものが唯春の中で決壊してしまった。



「あきくんがいたから、あの場所に立っていられた。──あきくんがいるから、ぼくはぼくを許せるんだ」



 彼女は、自分の話をするのが苦手だ。

 だからみんな、彼女のことを『全てを兼ね備えた高嶺の花』だと思い込む。

 顔もいい、スタイルもいい、勉強もできる、家事も完璧で料理が上手く、そのくせ驕ることのない物腰穏やかで謙虚な性格。


 それはまるで、才色兼備で決して手の届かない、高価な宝石のような。


 けど実は、彼女は体育が嫌いで、手を抜いているのではなく本当にできない。とか、本好きではあっても難しい小説をたくさん読んでいるわけではなく、空想好きでファンタジーを好む。とか、面倒見がいいお姉様ではなく甘えるのが好きなひとりっ子。

 とか、ファンが聞けば解釈違いだと言い出しそうなネタはたくさんあるのだ。


 彼女の家には父親がいない。

 そして、父親がいた記憶さえも、彼女の中には残っていないという。

 家の中ではそのことに関する話題はタブーな雰囲気で、どうしていないのかについては詳しいことを知らない。ただひとつ、多分これからもう一生会うことはないらしいという認識があるだけ。

 聞けば教えてくれる。

 でも、話すたび言いにくそうにするから、いつしか彼女は聞くことをやめた。

 小さい頃の彼女の遊び相手は、人形、絵本、折り紙、クレヨン、テレビ、そして、近所に住んでいたひとつ年上のお兄さん。でもお兄さんも、幼稚園や学校は違う場所に通っており、少しずつ疎遠になって会わなくなったらしい。

 いつも疲れた顔をしているお母さんのために、唯春は一生懸命家事を覚えた。勉強も頑張った。でもそれでも、お母さんは唯春のいないところで苦労しているようだった。

 ある日、家に母の友人が訪ねてきたことがあった。

 お茶をしながら談笑しているらしかったふたりの話は、いつからか唯春の中のタブーに触れ始めた。


 その時初めて、唯春は自分の母親が泣くところを見たのだ。


 見てはいけないものを見たと思った。

 ここにいてはいけないと思った。

 でもどうにも体が動かなくて、唯春はその続きを聞くのをやめて手元の小説に逃げた。



 生まれてこなければよかった、と思った。



 だってもし自分が生まれなければ、ここに自分がいなければ、彼女は今よりも幸せな生活を送れていたかもしれないだろう。

 父親の面影の残る子供を毎日眺め、その子供がまだ幼いために無理をして働いて金を稼ぎ、家に帰っても自身のことに時間を使う余裕もないまま子供の世話をし。

 でももしそれがなければ、彼女は自分のためだけに生きられたはずだろう。


 ──じゃあ、”唯春”の存在意義は?


 学校に上がった。

 友達はできた。

 けどそれも、進級・進学すれば疎遠になっていった。

 それは薄い壁を一枚隔てたような、何とも心もとない関係性だった。


 高校に上がった。

 謂れのないことで、どんどん周りの人間が離れていった。

 弱みは見せず、壊れてしまわないように、決して傷つかない硬い宝石を装う。でもそうして自分を偽るたびに、唯春はますます自分のことが分からなくなっていった。


 どうして”唯春”は生きてるの?

 何のために、生きていなければならないの?


 あたしと出会った瞬間のことを、唯春は”運命だった”と形容した。

 まるで緻密に編まれた物語のように、明確に、この人と自分は『出会わなくてはならなかった』、と思ったのだと。

 ああしてやたらとあたしに話しかけてきたのは、唯春なりにあたしを繋ぎ止めようとした結果の行動だったのだ。


「唯春。今日、凄え良かったよ。今まででいちばん良かった。……綺麗だった」


「だった?」


「綺麗だよ。可愛い」


 唯春の髪に触れて、そっと唇を落とした。

 満足いく言葉をもらえたらしい唯春が、嬉しそうに笑って両手で顔を覆う。



「……ふふ。いちばん、嬉しい」



 あたしのものだ。

 あたしだけの、可愛い唯春。


 腰を抱き寄せ、額にキスした。顔を上げた彼女と視線が交わり、そのまま唇を重ねる。

「ん……」

 今はあたしの方が身長が高いから、何だか変な感じだ。縋りついてくる彼女にどうしようもなく興奮してしまって、崩れそうになる理性を必死で手繰り寄せた。


 明日は、さらに多くの人が見に来るだろう。


 そうしたら多くの人間が、きっと唯春に惹かれてしまう。

 こんなに愛おしい彼女を他人の目に晒すなんて、本当はあたしの方が耐えられないのだ。それでも彼女に我慢をさせたくないから、あたしは扉の開いた鳥かごを抱きしめている。

 最後の瞬間、彼女が眠りに帰ってくるのを、ひとり静かに待ちながら。


「──ストップ」


 あぁ、いいところでエレベーターが止まってしまった。

 艷めく真っ赤な唇を指先で拭って、涙の滲んだ目もとに口づける。それからくしゃくしゃになってしまった髪を手ぐしで直してやって、彼女から一歩距離を取った。

 やがてゆっくりと扉が開いたのを見て、あたしは先にそこを出る。

「あきくん、」

 ぱたぱたと追いかけてきた彼女が、あたしの袖を掴んで引き止めてきた。

 そのままあたしが腕にかけていた荷物の中からポケットティッシュを出して一枚抜き、唇に触れてきたところでその意味を察する。

「くち、ごめんね」

「ン……悪い、さんきゅ」

 このまま行ってやらかすところだった。

 本当に、余裕がなくていつも唯春に助けられている気がする。これでは”スタイリッシュで格好いい”恋人にはほど遠い。



「あきくんも、今日……格好よかった」



 ──全く、どこまであたしの理性を揺さぶれば気が済むんだろうか。

 深く息を吸って、吐き、一旦唯春から目を逸らして壁のポスターを睨み、それからようやく彼女の目を見た。


「ありがと。嬉しいよ」


 あたしに逢いに来てくれたこと。

 生きていてくれたこと。

 きっと唯春とあたしは、本当に出会うべくして出会ったのだ。

 こうして出会って、初めてお互いが完成した。だからきっとあたしたちは、どちらかが欠けていてもずっと不十分なままだったのだ。


「いっ、行こ!」


 一瞬硬直した彼女が、次の瞬間はっと正気に戻って先を歩き出した。

 スカートをつまんでさっさと足を進める姿はもう慣れたもので、あたしは笑いながらそのあとを歩く。

 耳が真っ赤だ。可愛い。

 普段はしっかりしているのに、唯春は恋愛ごとになるとふにゃふにゃになってしまうのだ。しかも快楽に弱くて、最近はあたしが聞いてくれると分かったのかおねだりも増えたし。

「急ぐと転ぶぞ」

「転ばないよ! 慣れたもん」

「へぇ」

「あきくんこそ、厚底で転ばないでね!」

「あー、そういうこと言う?」

 あたしの身長は別に低くない。160cm。むしろ、同年代で言えばそこそこ高い方だろう。それに厚底とはいえ、転びそうなほど高いものは履いていない。唯春とは4~5cm差だから、精々それをカバーする程度だ。


「っわ!」


 と、目の前で急につんのめった彼女の腰を抱き寄せて引き止め、あたしは笑った。

「ほら、言わんこっちゃない」

「っひぐ、」

 驚いて声も出ないらしい彼女の首筋に、ひとつキスを落とす。それから、頭をぽんぽんと撫でて手を離した。


 ──あぁ、きっとこんなことは、本当に今回しかないのだろう。


 霞先輩にお礼を言っておかなくては。

 彼女はきっと、ずっとあたしたちを心配してくれていたんだろうから。



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