第27話 月はかく語る




 劇『赫夜月語り』は、竹取物語をベースにして様々な要素を取り入れ作り変えられた、霞先輩オリジナルの脚本だ。

 まるで絵本を読み聞かせるような、静かな語りからストーリーは始まる。

 このナレーションは本来なかった部分だが、主演が朱里さんから唯春に変わるにあたって書き換えられた部分である。




 これはいつの話だったか、ある日貧しいきこりの夫婦が、森の中で大層美しい姫が倒れているのを見つけ保護することとなった。

 姫はそれまでの記憶の一切を失っていたものの、子供のいなかった夫婦はその姫を実の娘のように可愛がった。

 それから次第に、姫の美しさは国中に知れ渡っていった。

 何人もの人間が姫のもとへ通いつめ、求婚をしたが、そのどれも姫が頷くことはなかった。その中でも特に思いの強かった貴公子たちは姫に強く結婚を求めたが、姫が出した難題に応えることができず心折れていった。



 ある日のこと。その姫の話が、国の王様の耳に入るところとなった。

 王は夫婦に使いを寄越し、褒美を沢山遣わすから姫を王の妃とするよう王命を下した。夫婦はこれ以上ない名誉に姫へ妃となるよう伝えたが、それにも姫が頷くことはなかった。

 しかし姫の意志さえろくに聞かないまま、王は姫を妃にする話を進めてしまう。

 そんな中、姫が日ごとに落ち込み考え込むようになってしまった。

 初めは結婚が不安なのだろうと思っていた夫婦も、けれど姫の話を聞いてそれが違ったことを知った。



『わたくしは祖国で、とある罪を犯しました。



 わたくしには心から愛した者がおりました。しかしそれは、決して許されないこと。あの方は決して、愛してはならない方だったのです。


 あの方は流刑を言い渡され、今後再びあの地を踏むことを禁ぜられました。

 その時、わたくしは乞うたのです。あの方だけでなく、どうかわたくしにも罰をと。

 けれどわたくしは、とある尊い身分のお方の御心に留まり、刑を免ずる代わりにその側室としてお傍へ召されることとなってしまいました。

 それはつまり、既に数え切れないほどいる愛人の、そのひとりになるということです。


 しかしわたくしには、あの方以外と添い遂げるなんて考える事もできませんでした。


 あの方はわたくしに、必ず迎えに来ると仰いました。

 わたくしはそれを、ずっと、ずっとお待ちしていたのです。けれど、いつになってもあの方はいらっしゃらない。

 到底耐え難いことです。

 次第にお手紙も途絶え、わたくしはとうとう耐えられなくなって居所を抜け出しました。愛するあの方に、わたくしが参りますとお手紙を出して。


 わたくしは罪人でした。

 誰にも助けを乞うことなどできません。


 それでもあの方にお会いしたい一心で、わたくしは慣れない道のりを急いでいたのです。

 しかし恥ずかしながら、わたくしはろくに外へ出たこともない箱入りでございましたから、すぐに限界を迎えてしまいました。


 そこでわたくしは、おふたりに助けていただいたのです。


 初めはあまりに混乱していて、本当に何も思い出せませんでした。

 自分がどこから来たのか、どうしてここにいるのか、どこへ行かねばならないのか。本当に何も、何も。



 けれど近頃、夢を見るのです。



 迎えに行けなくてすまないと。

 一刻も早くわたくしに会いたいと。


 遠い見知らぬ地で、心労に病がたたったのだとあの方はわたくしに仰いました。

 あの方は決して、わたくしを忘れてなどいなかったのです。だってこうして、肉体を失い魂となってまでもわたくしに逢いに来てくださるのですから。わたくしを愛して、くださるのですから。


 どうか、わたくしを、あの方のもとへ行かせてくださいませ。お願い申し上げます。


 わたくしにはあの方しかいないのです。

 あの方のものになれるのなら、わたくしには何だって恐ろしくなどありません。

 皆様には申し訳ありませんが、わたくしはもう何も待ちたくありません。もうひとときも、あの方と離れていたくはないのです。


 お願いします、どうか、』



 夫婦は慌てて姫を止めた。

 そういうことなら王様からのお話は全て断ろう、添い遂げたい人がいるならそうしよう、だからどうか命だけは捨てないでくれと。


 しかし、姫の表情は晴れないまま。


 やがてその話は王の耳に入ることとなり、王は姫を守るために姫の居所に護衛を寄越して、姫が早まらないよう見張らせた。



 そして、とある肌寒い秋の日の夜。

 いつになく月は寒々として美しく、どこか惑わされるような妖しさがあった。


 夫婦はふと姫のことが心配になり、その様子を見に部屋に向かった。

 しかしそこには、姫の姿はない。

 護衛がいたはずだと様子を見てみるも、王から遣わされた護衛はみな惑わされたようにぼんやりとしてただ夜空を見つめるばかりだった。


 そして姫を探しに外へ出た夫婦は、それらしき姿を見とめて駆け寄った。



『申し訳ありません。

 本当はもっと早く行くつもりでしたが、思いの外ここでの生活が心地よく、つい長居をしてしまいました。


 こんなにも愛してくださって、何もお礼ができないのが本当に心苦しいのですが、わたくしはもう行かなければなりません』



 夫婦は姫を止めようとしたが、その姫の前に現れた人影を見た瞬間何も考えることができなくなってしまった。

 そんな夫婦を心配している様子だった姫も、目の前に現れた愛する人に肩にストールをかけられた瞬間、全てを忘れたように表情を明るくして涙を流した。



『あぁ……、いいえ、いいえ。わたくしはちっとも、待ってなどおりませんわ。──お会いしたかった……愛しております、貴方様』



 そうしてふたりは束の間再会の感動を分かちあって、それから手に手を取り合い月の光に導かれるように姿を消してしまった。


 夫婦はただ、ふたりを見送ってしばらくその場に立ち尽くしていた。



 それはひどく眩く美しい、とある月夜のことだ。






 冒頭、ぼろぼろの姿で倒れている姫を夫婦が見つけるそのシーンの姫は、着替えの手間を省くために別の演者が担当している。

 その演者がハケてきて、今度は見張りの兵の衣装に着替えるのを横目に見ながら、あたしは場面転換で室内のセットを舞台上に出す。

 そして、唯春演じる姫は、次のシーンから初めてステージの上に姿を現すのだ。


「おぉ、すごいね」


 隣で風谷が呟いた。

 唯春が登場した瞬間、客席から歓声が上がったのだ。

「ま、当然か。唯春さんだもんね」

「そうだな」

 一時はどうなることかと思ったが、舞台上でセリフを述べる唯春は、練習で見た時と変わりない堂々とした出で立ちだった。

 やがてモブ貴族たちが姫の美貌に惹かれ噂するようになり、そこから場面は貴公子たちの求婚シーンへと移る。


 姫は彼らに、愛のない結婚はできないと言いそれぞれ婚約のための課題を設けた。

 それは伝説に語られる宝物、外国のどこかにある秘宝など、金だけでは到底解決できそうもない無理難題である。

 しかし姫を諦められない貴公子たちは、それぞれ姫を我がものにするため奔走するのだ。

 彼らがひとりずつ姫の出した難題を遂げたという武勇を語り、同時にその旅の様子を軽く演じることでストーリーは展開していく。

 しかしある者は嘘がばれ、ある者は大怪我を負い、ある者は命を落としてしまうことで、5人の貴公子は誰ひとり勝利を得ることがないまま役目を終える。

 姫は多くの貴公子の人生を大きく振り回したことに多少の罪悪感を覚えつつも、心の奥底にある強い抵抗感から結局はすべての求婚相手を突き放したのだ。


 次に登場するのは、姫を気に入った国の王。

 彼は噂に聞く姫がとても気になって王命を下し、それが突っぱねられても諦めきれず、今度は会いに行って再度振られるのである。

 それでも王は権力者であるため、婚姻の話を進めるのは容易だった。

 そんな中姫は段々と記憶を取り戻し、引き離された愛する人の霊を見るようになった。それは月の出る夜に現れ、束の間姫と睦みあったのち日が差す頃には消え失せてしまう。どんなに手を伸ばして縋っても、朝になれば綺麗に消えてしまうのだ。

 強気な態度の王と、取り戻した過去の記憶。追い詰められてしまった姫は、自らの罪と思いを告白する。


 ……というのが、唯春が行き詰まっていた、長ゼリフを含む重要なシーンだった。


 ここのシーンでの”愛する人”は、声だけの登場となっているためあたしが出ていくことはない。そして袖では、あたしを含むみんなが息を呑んで舞台上の様子を見守っている。

 流刑先で病にかかり、命を落としたという想い人。その霊が現れるのだ、私もそこへ行かせてくれ、といえば姫が何を望んでいるのかは明らかであった。

「やっぱり、唯春さんすごいね」

「ん、すごいわ」

 風谷と雨田が小声で話すのが聞こえる。

 確かに、いつにも増して唯春の演技には磨きがかかっていた。姫が震え声で”再会”の許しを乞うその姿は、中々に痛々しい。

 しかし夫婦は姫を懸命に止め、王も手紙や護衛を寄越し心配したことで姫は絆されて何とか思いとどまるのだ。

 それから表面上は穏やかに過ぎていく日々。

 王は姫を気遣うように態度を軟化させ、やがてふたりは文通もするようになる。

 誰もが完全に、姫の心を変えることができたのだと思い込んだ。彼女は苦しい過去を忘れ、色濃くも辛い恋より今そばにいる自分たちを選んでくれたのだと信じきった。

 ──しかし。


「千秋、そろそろ」


 声をかけられて、あたしは頷く。

 ひどく緊張していた。

 もう一度身なりを整え、腕にはストールを携えて、舞台上に出ていく準備をする。



 場面は移り、秋のとある妖しげな月夜。



 胸騒ぎを感じた夫婦は、姫が寝室にいないことに気付き外へ探しに出る。

 スポットライトが照らすのは、ステージを降りた客席中央だ。言葉を交わしながら歩き回って、呆けた様子の護衛も通り過ぎ、夫婦はやがてステージ上で姫を見つける。




「申し訳ありません。本当はもっと早く行くつもりでしたが、思いの外ここでの生活が心地よく、つい長居をしてしまいました。

 こんなにも愛してくださって、何もお礼ができないのが本当に心苦しいのですが、私はもう行かなければなりません」

 静かな、唯春の声。

 それはどこか寂しげな色を帯びていて、けれど絶対に覆らない意志の強さも感じさせた。

 そこへ、焦った様子で引き止める夫婦のセリフが続く。



 ──今だ。



 足早にステージ上へ出て、姫の前に立ち足を止めた。


 あぁ、確かに。


 すごく視線を感じる。これは緊張するなという方が無理だ。独特の空気感。客席は暗いから表情までは分からないものの、ライトの熱と大勢の意識がこちらへ集まっているような感覚がどうにも落ち着かない。


 ──でも、明るく照らされた唯春は、息を呑むほどに美しかった。


 霞先輩は、その”許されない恋”が何なのかについては明言しなかった。

 だから、あたしなりに考えてみたのだ。

 例えばあたしと唯春は付き合っていて、それは周囲に隠した秘密の関係で、けど唯春にはもう既に婚約者がいる。それは到底断ることのできない、高貴な身分の人間が相手だ。


 だからこそ、あたしたちの関係は絶対に許されない。


 そんなある日、あたしたちの関係がばれて、あたしたちは引き裂かれてしまう。

 あたしは罰せられて、遠い地へ追いやられることになった。でも、その美しさが相手の目に留まった唯春は、罪を許される代わりに愛人として身を捧げろと言い渡される。


 それはどんなに絶望的なことだろうか。


 愛する者と引き裂かれるだけでなく、好きでもない相手の数え切れないほどいる愛人の、その末席に収まれだなんて。

 しかもあたしは、必ず迎えに行くと約束しておきながらその後病にかかって命を落とすんだろう。どんな苦行だ。それならあたしだって、幽霊になっても唯春に会いにいく。



 そうして今、あたしたちは再会を果たしたのだ。



 あたしが姿を現した途端ぼんやりと呆けてしまった夫婦を心配していた唯春の肩に、持ってきたシルバーのストールを掛ける。

 するとその瞬間、唯春はぱっとこちらを向いて目を見開いた。


「『本当に、申し訳ない。随分と長い間をひとりで待たせ、耐えさせてしまった』」


 霞先輩が裏で、マイクを使ってセリフを言う。

 それに合わせて口を動かし、手を伸ばしてそっと彼女の頬に触れた。

 すると彼女はみるみるうちに表情を崩し、涙声になる。その顔を見ていると何だかあたしまでつられそうになって、つい誤魔化すように笑ってしまった。

「あぁ……、いいえ、いいえ。わたくしはちっとも、待ってなどおりませんわ。…………お会いしたかった、」

「『あぁ、私もだよ』」

 あたしの腕を掴んだ唯春が、指先にぎゅっと力を込めた。次のセリフを言おうと息継ぎした唯春の喉の奥で、呼吸が震える。

 ほんの数秒間の沈黙。次のセリフが出ない。

「はる、」

 唇の動きだけで、彼女の名前を呼ぶ。

 すると動揺したように瞳が揺れて、次の瞬間決壊した。その目から涙が溢れ出したのを見て、あたしはとうとう彼女を抱きしめる。

 こんなの台本にはない。

 でも。



「──愛しております、貴方様」



 もう、耐えられない。


 涙にぬれた声が、体育館に響いた。

 お互いの体温を感じながら、耳もとでその頼りない呼吸を聞く。


 この瞬間。


 こうして再会できた瞬間、ふたりはどんなに嬉しかっただろうか。

 生きて再び会うことは叶わなかった。

 でも最期、その命をもってふたりは添い遂げることができたのだ。

 どんな地位も、名誉も、財も必要なかった。誰にも認められなくても、それでもふたりは、破滅を享受してでもお互いを選んだのだ。



「『私も、君を愛している。他の誰かとの幸せなんて願えない。だって、私には君しかいないんだ。これが間違いだというなら、それでもいい。誰に許されなくたって、』」



「えぇ。──わたくしはずっと、ずっと、永遠に貴方だけのものですわ」



 視線が絡んだ、数秒。

 唯春を観客から隠し、そのまま唇を重ねた。

 わっと歓声が上がったような気がしたが、くらくらする頭では何も考えられない。


 唯春が他の奴と結婚?


 そんなの、到底許せない。あたしのものだ。他の誰にも触れさせはしない。

 ”愛する人には生きていて欲しい”、なんて、そんなのは綺麗事だ。だって、唯春があたし以外の誰かに愛されると考えただけで、あたしは気が狂ってしまいそうなのに。


「ン、」

 あたしの首に腕を回した唯春が、それに応えて目を瞑った。


 触れるだけのキスを、3秒。


 それからどうにか離れて、指先で唯春の頬を濡らす涙を拭う。

 落ち着いたようだ。やがて、小さく深呼吸した唯春が、微笑みながらあたしを見上げて次のセリフを口にする。



「お願い。どうかわたくしを、連れていって」



 頷きで返して、彼女の手を取った。

 まだ姫の名を呼ぶ夫婦を、姫が気にかけることはもうない。

 そうしてBGMの盛り上がりが最高潮になったところで、あたしは唯春とふたりでゆっくりと舞台上から退出した。

 ナレーションは、ふたりが想いを遂げたのを確認して物語を終幕へと導く。


 全てを終えて緞帳が降りる中、会場には大きな拍手が満ちた。



 それを聞いた唯春は、心底安堵したように表情を綻ばせて、床にへたり込んだ。



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