第24話 エンジョイ
「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
何人目かのお客さんを見送って、ほうとひと息ついた。
評価は概ね好評。お客さんもあまり途切れなかったし、同じ1年生だけでなく先輩方の姿も見えていたのできっと付き合いで顔を出すばかりでなく題材自体に興味を持って貰えたのだろう。この時間帯で来た凪雪と蛍乃佳も、散々楽しそうに騒いで帰っていった。
感覚としては順調だ。長めに取られていたシフトの時間も、そうして接客しているうちあっという間に過ぎ去ってしまった。
時刻は10時半。そろそろ交代の時間だ。
並んでいたお客さんもちょうど途切れた頃で、交代するにはベストのタイミング。
「んー、来ないね」
「あぁ……」
ぱらぱらと次のシフトの人が姿を見せているのに、次の案内役だけまだ来ていなかった。大幅に時間が過ぎている訳でもないし、きっと並んだりゲームに参加していたりで遅れてしまっているのだろう。
「いいよ。丁度人途切れたし、あたしもう少しだけ待つから。代われる人代わって」
「いいの?」
「いいよ。約束とかあるでしょ? 行きな、きっとすぐ来るから」
「そう? じゃあ、あとはお願い」
交代の引き継ぎもあるし、あたしは放り出すわけにはいかないのだ。
先に仕事を終えて交代していくクラスメイトを見送る。廊下を眺めながら、次のシフトで来ていた真佑に心当たりを聞いてみた。
彼女は、中でギミックの管理をする係だ。
「んー、分からん。まだ遊んでんじゃない? そういえば2年のとこで見かけたような気もするし」
「んだよ、早めに来いよ……」
2年。ならまだ少しかかるかもしれない。
気長に待つことにしてふと廊下に視線をやると、少し先によく知った姿が見えた。
「……唯春?」
「────千秋くん!」
唯春だ。
隣に霞先輩もいる。揃いのクラTを着て、ふたりはまっすぐこちらへ歩いてきた。
「来ちゃった。まだ、終わらないかな?」
「あぁ。次の奴が来なくて」
珍しく髪をひとつに結った唯春は、いつもより興奮した様子であたしに駆け寄ってくる。
可愛い。どうやら結構楽しんだらしい唯春の乱れた髪を直しつつ宥めると、唯春はえへへと嬉しそうに笑った。
「そっか……じゃあ、もう少し待たないとなんだね。いはるちゃん、どうしようか」
「んん、」
ただ待ってろと言っても、きっと退屈させてしまうだろう。なら、
「やってく? 今ちょうど人いないし」
内容のハードル自体も、あまり高くはないのだ。装飾や音楽などで雰囲気作りをしつつトロッコを楽しんでもらうのが大きな趣旨であり、その中に場を繋ぐためのミニゲームを設置している感じだから。
そしてそのミニゲームも、動物を捕獲するというていで輪投げをしたり、宝物を探り当てるというていで箱の中身当てをしてもらう程度の簡単なものだ。
電気を消した上でカーテンを閉めているから多少は薄暗いものの、手元や装飾にもライトを用意しているし、そもそもそのカーテンにはあまり遮光性がないので真っ暗にもならない。
「じゃあ……そう、しようかな」
唯春と霞先輩が、顔を見合せて頷いた。
何だか、あたしの周りにはないふたりのふわふわとした空気感が、どことなく眩しい。
とりあえずふたりを中へ案内して、トロッコに乗せた。
「わ、すごい……」
「これ手作り?」
「そうです、一応」
トロッコ係に声をかけ、手元の台本通りに口上を述べる。
ふたりがきゃっきゃとはしゃぐので一応視線をやってみると、周りについたトロッコ係が頬を緩めているのが見えた。……まぁ、気持ちは分からなくもない。
「じゃ、出発しますか」
声をかけると、心得たようにトロッコ係がふたりの乗ったトロッコを押しルートを進み出す。きゃっと小さく上がった歓声に笑って、あたしは内部の説明に入った。
輪投げは5回中2回、箱の中身当ては3回中3回という好成績を残したふたりは、始終楽しそうにはしゃぎ、出口で景品の小物を受け取って洞窟を後にした。
ふたりを見送り係に一旦頼み、トロッコを入口まで戻す作業を済ませる。そこで、どうやらあたしたちが唯春を案内している間に到着したらしい次の案内役から謝罪を受け、手早く引き継ぎ事項を共有し、中の人たちに抜ける旨を伝えてあたしはふたりを迎えに行った。
「何とか抜けられました」
「そっか、よかった! ……ふふ、結構楽しかった。ね、霞」
「うん。楽しかったね」
「よかった。トロッコで酔ったりとか、しませんでした?」
「うん、それは大丈夫だよ」
10時46分。予定よりは遅くなってしまったものの、時間にはまだまだ余裕がある。
一足先に事前確認に入るという霞先輩をそこで見送って、あたしたちはふたりで歩き出した。そういえばどこに行くか全く決めていない。唯春が開いているパンフレットを、横から覗き込んでみる。
「へぇ。彩羅先輩のクラス、お化け屋敷やってんだ」
2E、お化け屋敷。
ふと見つけて声に出すと、唯春がひくりと震えて急にパンフレットを閉じた。
「もしかして、嫌?」
「嫌じゃないよ、全然。ただ……びっくりするのは少し、」
「あぁ、そか」
要するに、あまり気が進まないのだろう。
思えば学校祭の話をする時にも、彩羅先輩のクラスのお化け屋敷の話題はあまり聞いたことがなかった。きっと唯春が、意図してそれを避けていたから。
「…………今、ちょうど彩羅がいる時間帯なんだ。30分からって、言ってたから」
「へぇ、そうなのか」
「……あきくん、お化け屋敷は?」
「んー、あんま行かねえけど、そんな怖くはないな。割と楽しめる方だと思う、あたしは。唯春、行くの?」
むむと表情を険しくして、唯春が考え込んでしまった。
友人のクラスだから行きたいという気持ちと、お化け屋敷には入りたくないという気持ちが拮抗しているのだろう。
「ん……」
「あんまり無理しなくていいんじゃねえの? 苦手だから行けなかったって言えば、分かってくれると思うし」
あまりにも真剣に悩むので、つい唯春の髪を撫でながら声をかけた。
でもまぁ言ってしまえば学校祭でやる高校生レベルのお化け屋敷なので、絶叫するほど怖いだとか、そういうことはないと思うけど。
「──あきくん、絶対、離れないでね」
どうやら、行くことにしたようだ。
強くあたしの腕を掴んだ唯春が、覚悟を決めたようにキッと前を見据えた。
列に並ぶ間、唯春はあたしの腕を掴んで絶対にあたしから離れようとしなかった。
何度か『やっぱりやめようか』と確認するも、彼女は首を横に振るので、しがみつかれるのを受け入れながら順番を待つ。
「うわっ!!」
中から、驚いたような叫び声が届いた。
するとすぐ隣で唯春がびくりと肩を震わせて、あたしの腕を掴んだ指先に力を込める。
「怖い?」
「怖くないよ。驚いただけ」
本当に、頑固な人だ。
つい笑うとじっとりとした視線を感じ、あたしは慌てて表情を引き締めた。
「次の方、どうぞ」
受付から、声がかかる。
順番が来たようだ。
セーラー服姿の受付が、あたしたちふたりを目の前ににっこりと笑った。
確かこれは、近隣の中学校の制服だったはずだ。雰囲気作りのために借りたのかもしれない。これは結構凝っている。
「ようこそおいでくださいました。中に入る前に、少しだけ私の話を聞いてください」
中からもう既におどろおどろしいBGMが聞こえてきていた。唸るような、何かぶつぶつと呟くようなそれは、よく耳を澄ませばお経のようにも聞こえる。
「昔々、学校にはもっと生徒が多かったんですよ。それで当時はこのあたりもとても賑やかだったそうなんですが、私が聞いたその学校では陰湿ないじめもあって、それが大きな事件へ発展してしまったそうなんです。
とても可愛らしい、女の子だったというんですがね。
そのいじめは聞くだけでもとてもひどくて、泥水を頭から浴びせるだとか、机や持ち物に落書きをしたり捨てたりだとか、姿を見れば悪口を言い、話しかけられても無視をして……心を病んでしまった女の子は、とうとう自ら命を絶ってしまったんです。それも、自分をいじめていたクラスメイトたちを強く怨み、呪いながら。
以降、いじめていた人たちもひとりずつ、苦しみながら命を落としていきました。
その後、女の子の霊を鎮めるために、慰霊碑が建てられました。でもその怨みは消えないようで、憎む相手が誰ひとりいなくなった今も、彼女はその場所でずっと誰かを待ち、呪い続けているんです。
おふたりには、これをお渡しします」
手渡されたのは、一本の百合の花の造花と赤いリボンに結び付けられた小さな鈴、それから懐中電灯。ふたつ連なるように結ばれた鈴は、ぶつかり合って涼やかな音を立てている。
「つけば分かると思いますが、この道を進んでいただいた先にその慰霊碑があります。おふたりにはこれから、その場所まで行って女の子の霊を供養してもらいます。辿り着いたらこの花をお供えし、手を合わせてあげて、『どうかお眠り下さい』と唱えてください。
そしてこちらの鈴は、道中おふたりをお守りする魔除けの鈴です。全てを終えるまでは、決して手放さないようにお願いします」
百合の造花と懐中電灯を受け取って、魔除けの鈴とやらは唯春に持たせた。いけない、もう既に表情が強ばっている。
だってただ驚かせるだけかと思えば、ストーリーとミッションが案外としっかりしていて、中の雰囲気もどうにもおどろおどろしいのだ。あたしでさえ緊張してしまう。
「ご注意頂きたいことがふたつあります。
まずは、中は薄暗く、いくつか仕掛けもあります。危ないので、決して走らないようにお願いします。
もうひとつ、もしご気分が悪くなってリタイアされる場合は、中に生徒がいますので遠慮なくお声がけ下さい。こんな風に、鈴を大きく鳴らしていただいても結構です。その場合はこちらからお伺いします」
「分かりました」
受付の人が目の前で大きく手を振って、手元の鈴ががしゃがしゃと音を立てる。
なるほど。お客さんがどの辺を通っているかの大まかな位置把握とともに、リタイアのための合図として鈴を渡しているのか。
「そろそろ準備が整ったようです。──では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
静かな笑みと共に、受付があたしたちをお化け屋敷の中に送り出す。
あたしは隣で静かに怯える唯春の様子を伺いながら、ゆっくりとお化け屋敷の中に足を踏み入れた。
暗幕で限界まで暗くされた教室内を、懐中電灯の微かな灯りを頼りに進んでいく。
背後でずっと鳴っている低いお経のBGM、壁に付けられた御札や血糊や手形、そして、道端に転がっている不気味な人形。
「唯春、大丈夫か?」
「ん、だいじょうぶ、」
小さく頷いた唯春は、けれどあたしの腕をぎゅっと抱き締めて肩に顔を隠すようにしながら歩いている。
「鈴持ってるだろ? 駄目だと思ったら出よう。午後に響いても困るし」
唯春のメインは、午後からの演劇だ。
まさか、お化け屋敷でダウンして出られません、なんてことがあったらよくない。
唯春が、ぎゅっと鈴を握りしめて小さく頷いた。今のところはまだ進むつもりのようだ。まぁ、まだこれといって怖い要素はないから耐えられる範囲なんだろうが。
歩幅を唯春に合わせながらゆっくり歩き、上からぶら下がるぼろぼろの布切れをくぐって、曲がり角に差しかかる。そしてあたしが一歩踏み出すと、
「ひっ……!!」
壁の向こうから数本の腕が突き出され、うぞうぞと蠢いていた。その壁の向こうからは、『助けて』『痛い』というような助けを求める声が聞こえている。
息を飲むような悲鳴をあげて、唯春があたしの後ろに隠れる。
「うお、びびった」
不意をつかれると驚いてしまう。
とりあえず、もはや痛いくらいにあたしの腕を掴んでいる唯春の顔を覗き込んだ。
「ほら、ただの手だよ。大丈夫」
唯春の手の震えが伝わって、鈴がからからからから、と小さな音を立てている。唯春の手をぽんぽんと撫でて、背中をさすり、落ち着くのを待った。
「……うん、行こう」
OKが出たので、また先を目指して歩き出す。
不意打ちで驚かされたことが相当こたえたのか、唯春はそれから過剰なくらい周囲を警戒して歩いた。
本当に、これだけ嫌なのに友人の顔を見るためだけにわざわざ入ったのかと思うと微笑ましさすらある。見たくないなら顔を隠していろと伝えると、唯春は泣きそうなのをこらえながら小さく頷いてあたしの肩に顔を隠した。
お陰で、木の下でうずくまっていたお化けが急に顔を上げて脅かしてきたイベントに関しては、上手くスルーできたみたいだ。
「あー、ここか」
それから暫く進むと、ようやく入口で言われた『慰霊碑』らしきものを発見した。
その前に机が置かれていたから、ふたりで目の前に立って入口で渡された花を置いてみる。確かここで、もうひとつやれと言われたことがあったはずだ。
「あきくん、もう終わったでしょ? もう行こう、ね、」
震える声で、唯春があたしの袖を引いて急かす。
でも多分、ここで全てのミッションを終えたらもうひとつくらいイベントが起こるはずだ。唯春のためにスルーして出てもいいけど、スタンバイしている先輩方に若干悪い。
「あと、手合わせろって言われてただろ? すぐだから。もうちょい」
よしよしと唯春を宥めて、目の前のオブジェに向き直りそれらしく手を合わせてみた。
セリフは確か、
「どうか、お眠り下さい」
「おやすみなさい……っ!!」
隣でやけくそになる唯春に、つい吹き出す。
しかしこれで終わりかと気を抜いたその時、オブジェの陰から誰かが飛び出てきた。
「あぁああぁぁああぁ……!!!!」
叫ぶような声を上げて出てきたのは、血まみれの顔をしたセーラー服の女子生徒。
ひゅっと心臓が縮む。
なるほど、そう来たか。狙い通りまんまと驚かされて深いため息が出たその瞬間、けど隣から嗚咽が漏れ出すのが聞こえて、あたしはぱっと唯春を見た。
「……っう、」
あぁ、泣き出してしまった。終わったと思って安心しきったところだったから、流石にこらえられなかったらしい。
「あー……、もう限界? びっくりしたな、もう多分終わりだから、大丈夫」
「ひっ、ぐ、……んん、」
何かを話す余裕もないようだ。
まぁ、怖いなりに頑張った方だろう。頭を撫でて落ち着かせつつ、これは流石にお化け役を困らせるかと視線をやった瞬間、けれど視界いっぱいにお化けが近付いてきた。
「唯春、ごめんごめん! うち! 彩羅だよ!! 怖かった? 全然お化けじゃないよー!」
彩羅先輩。
どうやら、オブジェの向こうから飛び出してきたのは彩羅先輩だったらしい。
申し訳なさそうに眉を下げた血みどろのお化けが、唯春を抱き締めて背中をさする。その様は少し、いや結構カオスだった。
「びっくりしただけ、だから、へいき」
「いや、ガチ泣きだろ」
「ごめんごめん、うちがラスボスだから超気合い入れてたの! 泣かないでー」
心配したらしい他のお化け役や仕掛け係が、どやどやと姿を現して声をかけてくる。それに大丈夫と返して、彩羅先輩が笑った。
「唯春、来てくれてありがと。千秋ちゃんも、よく来たね! どうだった?」
「いや、めちゃくちゃ怖かったです」
「でしょ! すっごい頑張ったんだ。話も考えたし、おどかし方も研究してさ」
あたしたちで明るく話している間に幾分か落ち着いたらしい唯春が、泣きじゃくりながらいそいそとあたしのところまで来て肩に顔を埋めた。あたしは少し笑って、その頭を撫でながら様子を伺う。
「ん、そろそろ出れそうか?」
「うん、ごめんなさい」
耳が真っ赤だ。泣いてしまって、恥ずかしくなってしまったらしい。
「だいじょぶ、この先はびっくり要素ゼロだから! 真っ直ぐ行けば出られるよ」
「分かりました、ありがとうございます」
きっと次のお客さんを待たせている。
そろそろ行こうと唯春の肩を叩くと、唯春はそっと顔を上げて彩羅先輩の方を向いた。
「彩羅、……がんばって」
「あらら、目真っ赤だよ。後で冷やしときな。うん、ありがと。めっちゃ驚かせるよ!」
くすりと唯春が笑うのを見て、彩羅先輩が幾分か安堵したような表情になる。
「唯春。うちも劇、見に行くから!」
ひらひらと手を振り彩羅先輩に別れを告げて、あたしの腕を掴み直した唯春が、前へ向き直ってひとつ洟を啜った。
「怖かったんじゃないんだよ、びっくりしただけなの」
「ん、分かってる」
「嘘じゃないよ。急に出てきたから、驚いただけ。何か、涙が出ちゃっただけなの」
「あぁ、分かってるって」
一生懸命言い訳をする唯春は、けどまだあたしの腕を離さない。
あたしは、唯春の様子を見ながら少し足早に出口までの道を進んだ。やがて教室外の明るい光が見えてきたら安心したようで、まだ少し余韻を引き摺ってしゃっくりをしていた唯春は、ふうと深く呼吸をし平静を取り戻した。
「お疲れ様でした」
出口にいた人に、懐中電灯と唯春が持っていた鈴を預ける。そこで若干目を見開かれたので隣を見てみると、唯春の顔は涙でぐしょぐしょだった。
中が暗かったせいで、この惨状までは見えていなかったらしい。
「っぶは! 唯春、顔やべえな」
「わらわないで」
唯春を連れてお化け屋敷を少し離れ、廊下の端で彼女と向き直った。
ポケットからハンカチを出して、丁寧に顔を拭ってやる。抵抗せずされるがままになっているけど、どことなく不機嫌そうだ。
「保健室で保冷剤貰ってくるか。あんまり腫れてはねえけど、ちょっと赤くなってる」
「ん、」
目元を指でなぞり、頬に触れる。
小さく頷いた唯春を連れて、とりあえず保健室に向かうことにした。
「唯春せんぱーい!! どうしたんですか、何があったんですか!!!」
少し休憩を挟んだ後、気分転換にと1Aに連れてきた。
11時から凪雪と蛍乃佳が入ると聞いていたから、顔を見に行くのもいいだろうと思ったのだ。
そうしてふたりで列に並んで、自分たちの番が来た時、受付にいた蛍乃佳が顔色を変えて唯春に飛びついてきた。
「目が痛いんですか? 何か嫌なことがあったんですか? 唯春せんぱい、」
「ふふ。何でもないんだ、大丈夫」
「お化け屋敷に行ったんだ」
あたしが教えてやると、蛍乃佳は一気に納得した表情になって頷いた。
「わっ、分かります! わたしもなゆちゃんと行ったんですけど、終わったあとに驚かせてくるのはずるですよね!! そんなのびっくりするじゃないですか! わたし叫んじゃって、なゆちゃんに笑われちゃいました」
ふたりも先に行ってきたらしい。
蛍乃佳が熱弁するのを唯春は楽しそうに聞いて、時折うんうんと頷いている。
唯春をここに連れてきて、正解だった。
「もう、お花置いて手合わせたら終わりだって思うよね? なのにあそこで出てくるなんて」
「そうですよ!! あんなの、びっくりしない方が無理です! ……せんぱい、千秋ちゃんに守ってもらいましたか!」
「うん」
蛍乃佳の得意げな視線が刺さる。2、3回くらい飛んできたウインクを適当に払って、それから後ろに並ぶ列に視線をやった。
「そろそろじゃね?」
「あっ!」
中の様子を窺った蛍乃佳が、OKサインを貰ったらしくひとつ咳払いをする。
「じゃあ、ご説明します!」
彼女が机の上にあったカンペを手繰り寄せて、持ち上げ、あたしたちを見た。
「千秋ちゃんと唯春せんぱいは、不思議な館に迷い込みました! 出るためには鍵を探さなくちゃいけません。館の住人から出される3つのミッションを上手くクリアして、ゴールをめざしてください! では、行ってらっしゃい!」
セリフを言い終えた蛍乃佳が、テーマパークみたく両手を振ってあたしたちを送り出す。あたしは唯春を連れて、とりあえず教室の中に入ることにした。
「──あっ、唯春せんぱい、千秋ちゃんも! 今日、わたしとなゆちゃんで応援に行きますねー!!」
後ろから大声が飛んできて、あたしと唯春はふたり顔を見合せて笑った。
「うん、ありがとう。頑張るね」
「あたしは別に、何もしねえけど……」
何だか、初めは助っ人でステージに立つだけだと思っていたけど、段々と話が大ごとになってきている気がする。
まぁでも唯春が嬉しそうなので、唯春がいいならあたしはそれでいい。
「……緊張してきちゃった」
隣で唯春が呟く。
きっと行くたびに声をかけられるから、期待されていることにプレッシャーを感じてきてしまっているんだろう。
「あぁ。でもま、練習通りやれば大丈夫だよ」
あたしが見た唯春は努力を重ねていたし、素人目にもすごいと思った。入院中の部長と霞先輩が連絡をとっていてアドバイスももらったというし、いつも通りやれば成功するはずだ。
「うん」
唯春がぎこちなく頷いた。
あたしはその背中をぽんぽんと叩いて、衝立で仕切られた道筋を進む。
ひとつめは、なぞなぞが大好きな怪人からのなぞなぞの出題だった。
あたしは全然分からなかったけど、唯春はすぐに閃いて正解を言い当てていく。数問正解したところで、満足したらしい怪人から道を教えてもらうというていで次のミッションへ進むことを許された。
ふたつめは、16ピースのジグソーパズルだった。司書だというその人が、大事な資料をばらばらにしてしまったから直してほしいと申し出てくる、という設定だ。完成すると鍵のイラストになり、この鍵が外へ出るために必要な鍵だと教わって最後のミッションへ向かった。
「ようこそ、ここまでよくたどり着かれました」
無表情でそう告げたのは、今回のラスボス、凪雪だ。
仮装で使うような黒いマントに先のとがったつば広の帽子をかぶった彼女は、布を掛けたテーブルの上に、3つの紙コップとそれぞれ形の違う3つの鍵を並べて言った。
「いたずら好きの妖精が、外へ出るための鍵をどこかへ隠してしまいました。これを見つけ出さないと外へ出ることはできません。正しい鍵を、コップの中から探し出してください」
棒読みでそう説明した凪雪は、それぞれの鍵をよく見せてからコップの中へ隠し、そのコップをシャッフルし始めた。
「さあ、どれですか」
「ん……? 悪い、分かんなくなったわ」
目で追っていたはずが、途中から見失ってしまったようだ。一番右のような気もするし、真ん中なような気もする。
あったのは確か、ハートの鍵と、クローバーの鍵と、それから丸い鍵。パズルで提示されたのは丸い鍵だったはずだ。
「丸、だよね?」
「あぁ。右か、真ん中……?」
唯春が、真剣に考えるのを見守る。
あたしはお手上げだ。あとは唯春にかかっている。一応自分でも考え直してみたところで、凪雪が言葉を発した。
「一度オープンして、やり直しましょうか。回数制限はありませんし」
唯春と顔を見合せた。
頷きが返ってくる。彼女も、分からなくなったようだ。
「じゃあ、そうしましょう。一応今回は──……左、ですね」
コップを持ち上げて、凪雪が中身を見せてきた。左か。どうやらあたしは、かすりもしていなかったらしい。
「じゃあ、もう一度混ぜますね。覚えてください。これです、このコップの中の、丸い鍵」
「うん」
気合いを入れ直したらしい唯春が、こくりと頷いて顔を近付けた。
「っふ。じゃあ今度は、ゆっくり動かしますね。ちゃんと目で追ってください」
コップの中に鍵を隠して、もう一度凪雪がシャッフルを始めた。真ん中、右、左、真ん中、左、真ん中、右、左……
「はい、見つけてください」
凪雪の手が止まった。
よし、今回はちゃんと覚えている。
「左!」
「左だな」
声が出たのは、ほぼ同時だった。
これは合っているだろう。
「正解です」
コップがオープンされた。左のコップの中から出てきたのは、丸い鍵だ。
「やった!」
唯春からハイタッチを求められて、応える。
楽しかったらしい。凪雪にもハイタッチを求めて喜びを分かち合い、唯春はにこにこと鍵を持ち上げた。
「これ、手作り? すごいね」
「ありがとうございます。針金と紙粘土で作って、色付けとコーティングもしてます」
「へぇ、本格的だな」
「ダンボールとかだと安っぽいし、使ってるうちに折れたり破れたりしてボロボロになったら嫌だから。子供も触るかもしれないし」
確かに、この謎解き脱出ゲームは、作られ方がどことなく子供向けのようにも感じていた。だからクイズもさほど難易度が高くなく、手で触れたりして楽しめるようなものが色々用意されていたのだろう。
「蛍乃佳の声がここまで聞こえてました。すみません、あの子朝からあんな感じでテンション高いんです。お化け屋敷もギャーギャー叫んで、怒って、かと思ったら笑ったりして」
何となく想像がつく。きっと凪雪も、退屈しなかっただろう。こいつならきっとどれだけおどかされても無反応だったはずだから、隣にいる蛍乃佳が騒がしすぎる方がお化け役の先輩たちも救われる。
「ふふ、楽しそうだね。ぼくなんか、すっごくびっくりしちゃって全然周り見る余裕もなかったよ」
「そうなんですか? 確かにクオリティは高かったですよね。一緒に行くのが千秋なのも、多少心配だし」
「はぁ? あたしは、」
「千秋くんは、ぼくが行くって言ったからずっとそばにいてくれたんだ。多分ぼく、千秋くんがいなかったら入るのも無理だった」
「そうでしたか。よかったです。彩羅先輩には会えました?」
「うん! あの、最後のところにいたんだよ。飛び出してきたの」
「あー、あの人ならやりそう……」
初めこそ距離感があった凪雪と唯春だけど、今ではこうしてあたしを抜きにして楽しそうに話すようになった。
慣れてみればお互い気安いらしく、何だかあたしや蛍乃佳とはまた違った関係性を築いているようだ。
「午後の、1時からでしたっけ? 私と蛍乃佳も行きます」
「本当? ありがとう」
「千秋も、しっかりやんなさいよ。見ててあげるから」
「うわ……あたしはいいよ、あたしは」
「唯春先輩、大丈夫ですよ。何かあっても千秋が全部上手く何とかしますから」
「ふふ、そうだね」
好き勝手言いやがって。場馴れした演劇部員ならまだしも、演劇自体本当に久しぶりだったあたしに一体何をしろと言うのか。
アドリブなんてしたことはない。まぁでも考えようによっては、あたしが最後姫を迎えに来る役目を完遂できさえすれば話は終わるのだ。……ん? ならあたしの役割も、話の結末を握る重要な役割じゃないか。
「あきくん? 緊張してきちゃった?」
「……してねえ。全然」
「ふふ、あきくんも緊張するんだね? 頑張ろうね。朱里ちゃんも、映像見るからって」
唯春が代役をすることを聞いた時の反応も、『あの”ファム・ファタール”!! たくさんの男を虜にする姫にぴったりの人選じゃない! あぁっ悔しい! 私も見に行きたい!!』などと喜んだのだそうだ。こっちはこっちで、結構な変わり者である。
やがて関わりが増えていくにつれ、今は熱心に唯春を演劇部へ勧誘しているらしい。唯春自身は、何度も丁寧に断っているけど。
ちなみに、彼女は近々退院予定だという。
「嫌だな……」
実際会ったことはないが、唯春から話を聞くのでどんな人かは大体分かる。
とにかく押しが強く、鋼でできているのかというくらいハートが強靭で、どこか他人とは一線を画するような芸術家気質も持ち合わせる、まさに猪突猛進といった感じの人。
実はあたしは、正直あまり唯春をあの人に見せたくない。
まぁこれは、あたしの勝手な嫉妬心なんだけど。悪い人じゃないのは分かる。部員たちも慕っているようだし。
まるで、灼熱の太陽のようなのだ。
ある者は強く惹かれ、ある者はその熱に焼かれて塵になってしまうような。風谷が言っていた。朱里さんの情熱や本気さについていけなかった人、その輝きに耐えられなかった人が演劇部を辞めていったらしいのだと。
「ね? こうやっていつも、朱里ちゃんの話したらむっとなっちゃうの」
「あー……、これ多分嫉妬ですね。その朱里先輩って、グイグイくる感じの人ですか?」
「うん、少し困っちゃうくらい」
唯春と凪雪のこそこそ話が、こちらまで筒抜けだ。
目の前であたしのことを相談するなんて、一体どういうつもりなんだろうか。しかも凪雪まで、わざわざ説明してみせたりして、正直ひどく居心地が悪い。
「分かった! じゃあもっと、あきくんに好きって言うようにするね」
「そうしてください」
どうやら、話が終わったらしい。
そろそろ出ようと言いかけたところで、けど唯春に袖を引かれて言葉を止めた。
「──ぼくが好きなのは、あきくんだけだよ」
耳をくすぐる吐息。
満足げな笑顔がぶつかる。
「ん」
優しく髪を撫でて、目を見つめた。
唇の動きだけで『あたしも』と伝えると、唯春は表情を崩して喜ぶ。
はいはいバカップル、という凪雪の嘆きが聞こえてきそうだ。少し長居しすぎたようだし、そろそろお暇した方がいいだろう。
「凪雪ちゃん、ありがとう!」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございました」
凪雪が、優しい表情で唯春を見やって微笑んだ。それを嬉しそうに受けて、唯春は凪雪に手を振る。
近頃の凪雪は保護者みたいだ。あたしが思う以上に、きっと色々背負っているに違いない。本来はそんなたちではないのに、他に誰もやる人がいないから自らまとめ役を買って出ているのだ。
まぁでも、本人が楽しそうなのであたしは特に何も言うつもりはない。
あいつは少々変な風に考えすぎるのだ。だから、そんな暇もないほどに周りに振り回されていれば、少しは自己中になれるだろう。
出口では、景品の受け渡しが行われた。
中身はお菓子の詰め合わせだ。
「11時半か。そろそろ何か食べて、準備行った方がいいな」
「ん、そうだね」
舞台上で必要なものは、もうリハーサルの時に持って行っているので当日の運搬はない。着替えとメイク、最終確認を済ませてしまえば、あとはもう本番なのだ。
身体を支配していく、この独特の緊張感。
どれくらい人が来るだろうか。真佑が人を連れて行くと言っていたし、凪雪や蛍乃佳も行くと言っていたし、まさか誰もいないなんてことはないと思うけど。
「ごはん……あんまり入らないかも」
唯春が苦笑しながら言った。
どうやら、緊張であまり食欲がないらしい。
「軽くにしとくか」
食べすぎたり食べなさすぎたりして腹が鳴ったら集中できないし、下手に刺激物などのたぐいを口にして支障が出ても困る。
「たい焼きとか、ポテトとか……それとも、焼きそばふたりで分ける?」
うちの学校祭では飲食物を出店できるクラスの枠が限られており、その大抵は上級生が持っていくのだ。また、デザート系は屋内でも食べられるが、ご飯ものの店は校庭に並んでいるため外に出なくてはならない。
そして外は、3年生の出店が多い3年生の領域だ。
「焼きそばが、いいな」
「そうだな。そうしよう」
焼きそばといえば、イベント系では代表格に上がる屋台飯だろう。クラスは3年C組。校庭の模擬店エリア中央だ。
「よし、行こ」
「うん」
もうすぐ昼時だから、もしかしたら混み出してしまうかもしれない。でも今日は晴れているから、空いていればエリア内にある休憩スペースで食事が取れる。
まずは腹ごしらえだ。
それが終われば、すぐに午後の大仕事に取り掛からなくてはならない。
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