第21話 1年B組
「はは、超ウケる。見に行こ」
学校祭の作業時間にあてられた、とある日の午後。クラス展示で使うトロッコの塗装作業をしながら、真佑が笑った。
「いや、まぁ……演劇部的にはそれが嬉しいんだろうから、拒否はしねえけど……」
唯春が劇に出る話と、流れであたしまで出ることになってしまった顛末、そして少し前から練習にも参加していることを真佑に話したのだ。そうしたら真佑は、面白いことを聞いたように食いついてきた。
「へぇ。んで、先輩が主演ね……。でもあの可愛い人が着飾って主演なんてやったら、そのあとモテて大変じゃない?」
「…………は? いやいや、さすがに」
「知らないの? あんたがよく教室に連れてくるから、唯春先輩1年で人気になってるんだよ。まー、恋人がいるって話は知れてるから今んとこ誰も動かないけど」
「え」
頭が混乱してきた。こいつは何を言ってるんだ? 唯春は可愛い。分かる。唯春はモテる。まぁ許したくはないが分かる。1年生の間で人気。……それは知らない。
そして、
「あー、私が言った。唯春先輩、束縛強めの恋人いるからやめとけって」
お前か。
どこから話が漏れたのかと思って、相当焦ってしまった。実はあたしと唯春の関係がバレる心当たりも、全くないわけではないし。
「……いつ?」
「んー、あんたらが付き合い始めたくらいで」
じゃあもう結構早い段階で周知の事実になっていたのだ。まぁ今のところ、相手があたしであることは知られてないみたいだけど。でも、これではあまり油断ができない。
「まーお陰で、先輩が遊びまくってるみたいな噂は完全に消えたでしょ。先輩がいくら人気になっても、アタックする人もいないし」
「それはそうだな」
「あんたも唯春先輩も、下手に他人を踏みつけるようなやり方は好きじゃないかと思って。本当は退学させてやっても良かったんだけどね。ちょっと話に尾ひれはついたかな。
束縛系に溺愛されてるから、下手に唯春先輩に近付いたりしたら報復されるらしい」
「怖」
「はは。まー人の口なんてそんなもんだよ」
真佑はバレー部で、上の学年とも仲がよく顔が広いし、情報通なポジションにいるから噂のたぐいは操作しやすいのかもしれない。
真佑たちの中学校は、外から聞くだけでも度々荒れることで有名だった。
今こうして話している真佑はあたしにとってはごく普通の友人だ。けど、見ていると行動や発想は中々にハードだったりするので、あたしがもしあの時徹底的にやり返す気概でいたら、どうなっていたか本当に分からない。
どこか荒波を生き抜いてきたような強さが、真佑からは時折垣間見えるのだ。
「まー……味方としては心強い、か」
「それ褒めてる?」
真佑がこっち側で本当に良かった。
あたしはそれほど頭が回る訳でもないし、駆け引きじみたことも苦手だから。もし情報戦になったりしたら、ボコボコにされてしまう。
実際、今回の件でどうやら教師が動いて親にまで話がいったようで、主犯格らには厳重注意だか謹慎だかの処分が下ったらしかった。退学にさせてもよかったなんて言うくらいだから、多分これも真佑が何かしらしたんだろう。
他人の評価なんてあてにならない。今度はその流れで主犯格らが過去に起こした問題まで掘り返されて、そいつらに問題児のラベルが定着し始めているらしい。少し前まではその敵意を唯春へ向けていたくせに、素晴らしい手のひら返しだ。寒気がする。
まぁでも、そんなこともあたしたちからすれば特段大事な情報ではなかった。大して興味もない。そんなことに思考を割いてやるほど、あたしたちは優しくないのだ。
許すよりも責めるよりも、無関心がいちばん効くだろう。謝罪は無用。一生許さないし、そのまま忘れてやるつもりである。
「で、千秋何担当だっけ?」
真佑が、ぺたぺたとトロッコを筆で撫でながらこちらへ振り向いた。あたしは手元にあった紙を手に取り、その文字をなぞる。
「案内役。『探検家の皆様、ようこそいらっしゃいました。今回ご案内させて頂きます、茅岡と申します。これよりご案内致しますのは、金銀財宝眠る未知の洞窟です。道中、様々な動物たちも姿を見せるかもしれません。皆様には、数々の試練を乗り越えながら、ここに眠る秘密の財宝を目指して頂きます。
注意事項説明させて頂きます、まずトロッコの中で立ち上がったり身を乗り出す行為は危険なのでおやめ下さい。ご気分が優れない場合など、何かありましたら遠慮なくスタッフへお申し付けください。迷子にならないよう、しっかりとトロッコにお掴まり下さい。
準備はよろしいですか? それでは、出発致しましょう!』」
「おお、ぽい」
「でしょ」
これをテンション高めに、笑顔で、身振り手振りもつけながら言わなくてはならないのだ。同じ担当者の中で熱量の違う人がひとりいて、熱心に指導されるのである。
「その財宝って、何になったんだっけ?」
「えー……、手作りの小物とか、お菓子とか。今多分景品係が話してると思うけど、中のミニゲームの成績で景品変えるって」
財宝という名目があるとはいえ、あまりにも高価なものは用意できない。加えて、用意できる数量の関係で、景品を渡すのは何度来場しても1つのみという制限もついた。
まぁ、高校の学校祭ならこんなものだろう。うちの学校はそれほどお金持ちなわけでもないし。
お客さんには案内役の他、トロッコを押す係が3人ほどつく。道中は騒いで雰囲気を盛り上げる役割も担っており、案内役は用意されたミニゲームの結果を記録して、出口の見送り担当へ引き継ぎまた入口に戻る形になるのだ。
「シフトは? 先輩と合わせるんでしょ?」
「ん。で、演劇部の発表の時も抜けなくちゃだし、多分その前後あたりがフリーになるかな」
ただ、当日どれだけ混むかは正直分からない。まだ1年生だから高校の学校祭の感覚は知らないし、どれだけの人が来るのかも正直把握はできていない。
それでも、人が混み出すようならお客さんの整理やアトラクションコース内の仕掛けの準備にも適宜人手を足さなくてはならないだろう。
そうなれば、唯春との約束に支障がない程度はあたしも1Bにいるつもりではある。
「千秋んち、家族来るの?」
「んー、多分。真佑は?」
「どうだろ。時間あったら来るとは言ってた気がするけど。もし1B来たらよろしく」
「あぁ……弟だっけ?」
「そ。私とそっくりだから多分分かると思う。今中2なんだ」
真佑の弟とは会ったことがないけど、話を聞く分にはひょうきんな性格らしい。でもこんな姉と仲良くできるのだから、弟の方も相当個性が強いに違いない。
「分かった。もし来たら丁重にご案内するよ」
「ふ。じゃあ私も、あんたの劇に人たくさん連れてくわ。期待してて」
「いや……あ゛ー……、さんきゅ」
でも正直、あたしは何も喋らないしそれほど動きがある訳でもないので、あたしはともかくとして演劇部のプラスにはなるだろう。気にすることはない。
だからといって、皆唯春に注目すればいいとも思えないのが複雑なところではあった。
だって真佑でもそう思うなら、確実に唯春は舞台に立った瞬間多くの人間の心を奪うだろう。それでもし、どこの誰とも知れない奴があたしの見ていない隙に唯春を狙ったらどうする。正直あたしは、あたし以外が唯春に触れることも許し難いのだ。
ただ、唯春が望む唯春の幸せだけは、奪わないように極力努めているけど。
それでも、あたしにだって許せないラインはある。必要以上にベタベタと触れること、距離感が近すぎること、明らかに唯春に気がある態度をとること、唯春に意味を含んだ視線を向けることおよびその方向、そして、…………いや、もうやめておこう。
とにかく、唯春を愛していいのはあたしだけだ。それに、唯春を苦しませたり悲しませたりすることは誰であろうと許されない。
「千秋、色作ってくんない? 足りなくなってきた」
「へーへー」
器を手に取って、既に使い古されてベタベタのボトルから絵の具を出した。美術部の子が確か黄色と赤と黒などと言っていた気がするので、適当に色を混ぜていく。
もうカラになりそうだ。後で買い足しておかなくてはいけないかもしれない。
「こんな感じ?」
「んー……、ちょっと明るくない? 黒足してみてよ」
「確かに。全然違えわ」
あたしは初めの色は作ってないし、作るところを見たわけでもないので、色合いを寄せるには手探りで足していくしかない。適当な捨てる木の切れ端に絵の具を乗せて、近付け、比べてみた。
「ん、もういいんじゃない? それでいいよ。貸して」
「適当だな……ま、いいか。だいぶ近いし」
「うん。それに後からまた傷つけたりするし、教室薄暗くするはずだし、それっぽく見えればいいんじゃない?」
洞窟っぽく、教室内は真っ暗とはいかなくても薄暗くなるようにセットされる予定だ。また、足元やギミック付近には必要に応じてライトを配置し、手元用の明かりも用意する予定になっている。
真昼間の、しかも日が差す教室を洞窟にだなんて難しくはあるけど、どうやらそれらしいBGMも流すらしいので、あたしたちは適当に盛り上げて雰囲気を作ればいい。
「唯春先輩は? 来るの?」
「え? んー、多分?」
「なに、何でそんな曖昧なの」
「だって……なんか恥ずくね? 自分のクラスに連れてくるとか」
「今更でしょ。ていうか、先輩も見に来たいんじゃない?」
「そうか……?」
そういえば、うちのクラス展示の進捗をやたら気にしてくるなとは思っていた。何をしてるの、どんな感じ、あきくんはどんなことするの。──そうか、あれはもしかして、行きたいというアピールだったのか。
まだシフトが確定していないから何とも言えないが、もしはっきりしたら話しておこう。多少時間帯がずれても唯春は唯春で先輩たちと回るだろうし、あたしも空き時間はふらふらしながら自分のクラスの付近には居るつもりだし。
ただ可能であれば、唯春が来るならあたしと一緒か、もしくはあたしがいる時にしてほしい。もしあたしがいない時に来てクラスの奴らが唯春に近付いても、唯春は優しいから拒否できないだろう。馴れ馴れしくしてくるのを許すのにも限度がある。軽い談笑は許そう。名前を何度も呼んだり必要以上に見つめたり体に触れたりするのはNGだ。いざとなれば、唯春の恋人が嫌がるからやめろと言えばいい。
つまりはまぁ、あたしが嫌だからやめろという意味だけど。
それと、1Aの展示に顔を出してもいいかもしれない。唯春は蛍乃佳を可愛がっているようだし、最近は凪雪とも打ち解けているようだから。……凪雪に至っては、あたしの愚痴で盛り上がっているような節があるのが若干居心地が悪いが。
あたしが至らないのはもう充分に自覚しているし、その分唯春にもたくさん頼ってしまっているし、凪雪や蛍乃佳にもだいぶ迷惑をかけたから否定はしない。
ただやっぱり、恋人の前では格好よくいたいじゃないか。
──なんて、全く本当に今更だ。
「よし、もうチャイム鳴るな。片付けるか。今日の放課後は? 演劇部か」
「ん。バイトも入れてないし、練習顔出してくる。あとは、大道具の手伝い」
出番があるとはいえ、毎日毎日頭から終わりまで通しまくるわけじゃない。部分ごとに細かく取り上げていったら最後のシーンまで届かない、なんてこともざらだ。部活時間もそれほどあるわけじゃないし。
だからそういう時は、あたしは大道具の手伝いに加わっている。
初めは、『多分今日最後までやれないから用事あったら行っていいよ』、という霞先輩の声掛けがきっかけだった気がする。
あたしとしては興味があるから見ていたいんだけど、どうやら助っ人で呼ばれた人間が手持ち無沙汰にしていると気を遣わせるらしいから。手伝いますと言い出したのは自分だし、そうして手が空いている時間は、練習風景を横目に眺めながら作業の手伝いをすることにしている。
「なんか、あんたがそうやって楽しそうなとこ初めて見たかも。唯春先輩すごいわ」
「どこが。あたしだって人間なんだからはしゃいだりするだろ」
あたしは一体何だと思われてるんだろうか。
ずっと仏頂面でいた記憶なんてないし、まぁ確かに最近はいつになく楽しいけど、それは驚かれるようなことなんだろうか。
「あ」
チャイムが鳴る。
絵の具を入れていた器にはラップをかけ、使っていた道具や塗装中のトロッコはクラスに割り当てられた置き場へ片付けた。
この妙にそわそわして落ち着かないような感覚は、案外と不快じゃない。
そういえば学校行事でこんな感情になるのも久しぶりか、と思い至って、あたしは真佑の言いたかったことを理解した。
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