第20話 指を絡めて




 今までに足を踏み入れたことがなかった演劇部室に、今日初めて入ることになった。

 演劇に関する物品や器具などが雑多に並べられた室内では、もう既に何人かの生徒が制作作業を開始している。


「ん、もう時間だね。じゃあ、ミーティングしまーす! 皆、一度手止めてくださーい」


 霞先輩が声をかけると、散らばっていた部員たちが手を止めて集まってきた。

 霞先輩の進行で進められるミーティングでは、部活開始の挨拶とともに今日の予定や連絡事項の確認が行われ、その流れであたしに視線が向く。


「で、1年生の茅岡千秋さんが今日見学なのでよろしくお願いします」


「お願いします……」


 慣れない場で、らしくなく緊張してしまう。

 けどどうやら思いの外歓迎された様子で、和やかな雰囲気のままミーティングは締められ、部員たちはまた各自作業に戻った。

「千秋ちゃん、ようこそ。ごめんね、無理言っちゃって」

「いえ、大丈夫です」

 部員たちに指示をしながら、霞先輩が笑った。

 ほわほわとした感じの印象があったけど、副部長をやるだけあって部員たちへの態度はしっかりしている。

「いはるちゃんには代役をお願いしてて、基礎練習から参加してもらってるんだ。一応、主役みたいな役どころだから……」

「──主役?」

 初耳だ。思わず唯春の方を見ると、唯春は気まずそうに苦笑した。

「でもね、全体の中心になるシーンは別にあるから、いはるちゃんには見せ場だけ立ってもらうかたちになってるんだ。初めは声だけでやろうとも思ったんだけど、主役がステージにいないのはやっぱり少し問題があって……」

 確かに、そういったポジションなら役者なしでは違和感が生じるだろう。見ている側も人がいないとなると混乱するだろうし、それなら代役を立てた方がいい。

「部員の他の子も正直手一杯だし、もともとやる予定だった子の代役に立つ自信がないって子ばかりで……。あっ、今は入院してる子で部長なんだけど、すごくキャラが濃……ううん、カリスマ性が強くて」

 確かに、部長の代わりに主役としてステージに立てと言われたらプレッシャーはすごそうだ。しかも見ると、部員は1年生が多い。


「2、3年生はあんまりいないんすね?」


「うん、そうなんだ。3年生は夏で卒部しちゃったし、うちの学年は途中で辞めた子が多くて。今2年生は、部長とわたしと入れて少ししか残ってないかな」


 それは大変そうだ。

 ただでさえ人手に不安のある中、さらに部長が欠席なんて。本番までの準備期間だって、もう半月もないくらいだろう。


「あの、あたしも手伝いましょうか」


 そのために呼ばれたなら、あたしは比較的手が空いている方だし協力することはできる。

「忙しくない? 今日は本当に、いはるちゃんに来てもらってるから千秋ちゃんにも声掛けてみただけなんだ。手伝ってもらえるなら嬉しいけど、無理だけはしないで」

「いえ、全然大丈夫です。そんな忙しくもないんで」

 ちらと唯春の顔を見てみると、他の部員と話しながら楽しそうな表情を浮かべていた。

 唯春が演劇部に初めて顔を出してからもう一週間くらいになるというし、きっと熱心に練習へ参加するにつれこんなにも馴染んだのだろう。彼女自身結構やる気のようだから、感覚としてもとても充実しているんだと思う。

 昨年の学校祭は、唯春にとっては思い出したくもない冷たい記憶になってしまったようだから。こうして今年はいい思い出になるんだろうと思うと、彩羅先輩と霞先輩が唯春のそばにいてくれたことに感謝したかった。


 学年の違うあたしでは、それは難しいから。


「今回はね、恋のお話なんだ。大元は竹取物語がベースになってて、それを組み直したものなんだけど……かぐや姫が地球に来たのは、月で罪を犯したからだって話、知ってる?」

「聞いたことがあるような気も」

「そう。それでね、その罪が何なのかっていう考察はすごくされてて、その説のひとつに、『許されない恋をしてしまったから』っていうのがあるらしいんだ」

「許されない、恋……」

「うん。強いのは不倫だとか、もしくは衣通姫伝説みたいな話とか……。今回は、それを使った脚本になってる」

「もしかして、先輩が書いてるんですか?」

「うん。まぁ、プロには到底届かないけどね」

 手渡してもらった脚本を開いてみる。

 折りグセがついていて、書き込みも多い。初めのページの登場人物の欄には主人公である姫や夫婦、貴公子5人や王様の他必要キャストが列挙されており、その姫のところには手書きで『桃沢唯春』と書き込まれていた。


「あ。そうだ、千秋ちゃん。千秋ちゃんも、ステージ上がってみる?」


「へ」


 脚本に見入っていたあたしへ、ふいに霞先輩が思ってもみなかったことを提案してきた。

「ほら、姫に迎えが来るラストのシーン。その役は本当にそこにしか出番ないし、立ち回りも少ないし、声はわたしがやるから本当に衣装着て舞台に上がってくれるだけで大丈夫なんだ」

「いや、でも……」

「本当はわたしがやる予定だったんだけど、もし千秋ちゃんが引き受けてくれたらわたしは演出の方に集中できるかな、なんて」

 ページをめくってみる。竹取物語は日本の話だけど、この脚本では西洋風の世界観に書き換えられているようだった。そして最後のラストシーン、姫を迎えに来てその肩にストールをかけてやり、手を取って舞台上からハケるだけの役どころが確かにあった。

「ん゛ー……あたしでいいなら、まぁ、お手伝いはしますけど……」

「よかった! じゃあ、よろしくね。一応練習は週6でやってるんだ。予定が合う時、参加しに来てくれると嬉しいな」

「分かり、ました」

 これは大ごとになってしまった。

 あたしとしては多少大道具小道具の手伝いをするくらいの気分でいたのに、まさか見せ場のちょい役で、ステージに上がることになってしまうなんて。

 それにしても、霞先輩はこんなに押しの強い人だっただろうか。……いや、副部長をやるくらいだし、部室に来ると雰囲気が変わるし、演劇が絡むと割とこんな感じが通常運転なのかもしれない。


「霞さーん!! 少し見てください!」


 と、ふいに衝立で仕切られた奥のスペースから呼ぶ声がして、先輩がくるりと振り向いた。

「今日は、衣装合わせもしてるんだ。部で持ってたりして既に形がある衣装に、手を加えて使おうと思ってるんだけど、作り直しが必要かもしれないから。おいで、千秋ちゃん」

「あ、はい」

 呼ばれるまま後ろを歩いて、衝立の中を覗く。

 そこには、今まさにフィッティング中の唯春がいた。



「これ……厳しいですね」



 深みのある、鮮やかな赤のドレス。

 ネックラインはビスチェタイプ、シルエットはプリンセスラインだ。デコルテ周りは、素肌ではなくシースルー素材で覆われている。また、腰はリボンで絞られていて、ふわりとボリュームのあるスカートの足元からはフラットヒールのパンプスがちらついていた。

 全体的に色は目を引く鮮やかさだけど、美しく上品な印象を受けるデザインだ。──が、

「んん、そうだね……。いはるちゃん、少しお胸苦しいかな」

「うん……ごめんなさい、ぼく、」

 どうやら胸が収まらないらしい。

 顔を真っ赤にしている唯春がいっそ不憫で、あたしは苦笑することしかできなかった。

「いいえ、全然ですよ! 体格は同じくらいなのでいけるかなーと思ったんですけど、やっぱ唯春さんスタイルいいから! 丈はちょうどいいですね。ウエストはどうですか? きつくないです?」

「ん、うん……。最近少し太ったみたいで……本番までは、気をつけるから」

「大丈夫です、少し余裕ができるように作り直すので! じゃあ先輩、少しだけ失礼して採寸しちゃいますね」

 衣装担当の1年生がメジャーを取り出し、メモを取りながら調整を始める。

 時短と、経費・人員削減のために、既存のものを最大限活用する方向性で衣装を用意しているのだろう。既製品を持ち寄れるところは既製品も使っているようだ。机に広げられたノートには、びっしりと衣装の準備経路や調整内容、サイズなどがメモされていた。

「でも、すごくよく似合ってるよ。もう少し華やかな感じにアレンジしても良さそう。ね、千秋ちゃん」

「あ、はい。めちゃくちゃ綺麗で」

 不意打ちで会話が回ってきて、ついぽろりと本音がこぼれ落ちてしまった。

 まっすぐ唯春と目が合って、その瞬間唯春の頭からぼふんと湯気が出る。いけない、耳まで真っ赤だ。

「千秋くん、向こう、行ってて」

「あー、分かった。悪い」

 素直に言うことを聞いて、いそいそと更衣スペースを出る。そこで衣装をあらかた確認し終わったらしい他の部員と合流して、霞先輩の指示が飛びあたしも色々と見てもらうことになった。

 貴公子たちの衣装は、シャツにタイ、ジャケット、そしてボトムスにブーツだ。あたしもそれに近いものになるらしく、一式分サイズを確認された。

 深い夜色のロングコート。使うブーツは、多少身長を盛る効果のある厚底、かかとも高いものだ。確かに、あたしの身長では唯春を見上げる形になるから、舞台に上がるなら多少高くなった方が見栄えはいいだろう。ありがたくそうしておくことにして、衣装合わせは終わった。


 ──……何だか、あたしがあれこれ言う間もなく、さっさと外堀を埋められてしまったような気分だ。


 それから改めて、今後の予定やあたしが今回やること、演劇部の全体的な活動内容について説明を受けた。

 軽く考えて引き受けたわけではもちろんないが、いかんせん演劇は全くの専門外なのでプレッシャーと緊張がすごい。

 台本のコピーをもらい、自分がどこのどんな役を任されたのか確認し、その日はそれから全体の感覚を掴むということで練習を見学して時間を過ごした。






 練習時間終了、帰宅路。

 もう既に日は暮れ、辺りは夜に染まりかけている。


「はー……、慣れねえ……」


 深い深いため息が喉からあふれて、隣を歩く唯春が気遣わしげにあたしを見た。

「疲れちゃった?」

「まぁ……だって、劇なんて小学校以来なんだぞ? それにその小学校の時も村人3くらいのポジションだったし、演劇部の助っ人ってのも緊張するっていうか……」

 セリフは霞先輩が声をあててくれる、というのが本当にありがたかった。だからあたしはそれに合わせて動けばいいわけだけど、何せ全くの素人なので動きが棒になる。これで喋れと言われていたら、本当に劇を台無しにしていた自信があるくらいだ。


 その点、唯春は演劇部の面々にも引けをとらない完成度だった。

 そういった経験があるのかと聞けば学校の発表会でやったくらいだというし、演技について勉強したり練習したりしたことも特段ないらしい。

 けど、聞けば小さい時はひとりでよくごっこ遊びをしていたし、本を読む時声に出してみるのも好きだったというから、そもそも演じるということに抵抗感が少なかったためにこうしてすぐ馴染めたのかもしれない。


「ぼくは、何か……嬉しい。あきくんと一緒にできるなんて、思ってもみなかったから」


 唯春が嬉しそうに笑った。

 確かに、行事ごとで何かを一緒にやるというのはこれが初めての経験かもしれない。

 体育祭だってクラス対抗だし、そもそも唯春は運動が好きじゃないのでその流れでマラソン大会も駄目だし。あたしと唯春の体力差からして、一緒に走るなんてのも難しいだろう。

 それに、泊まりがけの行事だって学年をまたぐことはないし、ふたりとも部活はしてないし、あたしは委員会にも入っていないし。


 けど、演劇部の助っ人という形で同じ舞台に立てるというのは、考えてみたらとてもありがたい機会をもらえたのだと思う。

 何だか霞先輩に気を遣わせてしまったみたいで、多少申し訳ないけど。

「あっ、でもね、ぼくたち以外にも助っ人はいるんだよ。音響関係には放送局が入るっていうし、撮影も放送局と写真部がしてくれるって。ぼくたちは見せ場のお手伝いをすることになるから、緊張は、するけど……」

 あたしの考えていることを察したのか、唯春が慌てたようにそう言ってきた。

 あたしが、遠慮してやめたがるとでも思ったんだろうか。ああして一度引き受けたことを放り出したりはしないし、第一、唯春が喜んでいるのにあたしが嫌がるなんてことがあるわけはないのに。


 霞先輩は、今回の話のメインは貴公子や王様からの求婚シーンになると言っていた。それを姫があしらうところまでがセットだ。

 そして見せ場はまた別にあり、そこに唯春とあたしが出ていくことになると。


「あ゛ー、頑張るか……」


 ぱっと姫を連れて、さっとハケればいいのだ。それがあたしの役割。何も難しいことはない。迎えに来ました、行きましょう、終わり。


「うん、頑張ろう」


 唯春が楽しそうに頷く。

 そうだ。あたしは唯春の笑顔を守るのだ。あたしのせいで悲しませるようなことがあってはならない。ない演技力をどうにか振り絞るのだ。そうしたらあとは、ナレが締めてくれる。



 ──……不思議な気分だ。



 実は今まで、こうやって何かに一生懸命になった経験があんまりなかった。

 なのに今、あたしは不思議と充実感を抱いている。中学の時のバスケ部も、正直周りが部活に入る雰囲気だったから参加したという気持ちが強く、やるにはやるがどうしても義務感が拭えなかったのだ。

 でもあたしは、今日、強制されたわけでもないのに自らやることを選んだ。


「実は……ぼく、少し安心したんだ。あきくんが来てくれて」


 唯春は完璧ではない。完璧に見せるのが得意なだけだ。不安じゃないのではない。不安じゃないように見せるのが得意なだけ。

「ま、あたしは迎えに行くだけだけど……今日見てただけでも唯春はすげえなって思ったし、いざとなったら演劇部の人たちもいるから、唯春らしくやったらいいと思うよ」

 一体何様のつもりだ。自分で笑いそうになって、けれどそこで唯春に手を取られたので言葉を止めた。


「うん。ありがとう。……ぼくなりに、頑張ってやってみるよ。だって、あきくんがいてくれるから」


 指を絡めて繋ぎ合う。そのまま子供みたいに手をぶんぶんと前後に振って、唯春がセリフを喋り始めた。あたしはそれにほとんど勘で返して、唯春に違うと訂正される。

 夜道にふたりの笑い声が響いた。その日はどうしてか気分が高揚していて、初めて涙が出るくらい笑い、名残惜しいまま解散した。



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