第17話 焼肉
金曜日、午後6時半。
煙と肉の匂い、そして人の話し声に賑やかな店内で集まったのは、ぼくを含めた6人だ。
「いやー、時間合ってよかったね! みんな、だいじょぶ? 無理してない?」
彩羅ちゃんが一同を見回して再度確認し、それからぱっと表情を明るくした。
「あの……何かすみません、こんなに大ごとになって」
ぼくの向かいに座った千秋くんが、隣に並ぶふたりを見やってから申し訳なさそうに声を上げる。確かに、4人から始まった話だったはずが、今はこうして6人で顔を突き合わせていた。
「いーのいーの! 人多い方が楽しいし! 後輩諸君は気にせず食べて!!」
「そうだよ。わたしも楽しみにしてたから。全然気にしないで」
先日千秋くんに持ちかけた焼肉の話は、あのまま冬野さんへ伝わり、そこから千秋くんの友人がふたり参加することになったようだった。
曰く、もうひとりの人選は冬野さんの強い要望によるとのことだ。
「んじゃ、自己紹介からはじめよっか! うちは湊彩羅。2年E組、部活は吹奏楽部」
「2年D組、佐鞍霞です。演劇部で副部長してます」
「同じく、桃沢唯春です。部活はやってないかな」
横に並んで座った3人から、順番に自己紹介をしていく。
「1年B組、茅岡千秋です。あたしも、部活はやってないです。中学までは一応、バスケ部でした」
どこか緊張した面持ちの千秋くんが、ひと通り話し終えて視線を隣に向けた。
「今日は、快く受け入れて頂きありがとうございます。1年A組、冬野凪雪です。生徒会会計を務めています」
彼女らしい丁寧な挨拶。
けれど彩羅ちゃんが、その名前を聞いた瞬間ぴくりと表情を変えた。
「冬野? もしかして、上に兄弟いる?」
「はい、世代は全くかぶりませんが姉がひとり……冬野
「鶴和さん?! あのね、うち、トランペットやってる!」
「あぁ……!」
こちらには分からないけれど、何か通じ合ったらしい。ひとりピンときた様子の冬野さんに、千秋くんが聞く。
「知り合いなのか?」
「うん。鶴和、吹部でトランペット吹いてたの。それで今も時々、部活に顔出すみたいで」
「へえ」
「凪雪ちゃん、鶴和さん元気?」
「えぇ、色々大変そうではありますけど……。伝えておきます、また近々顔出すって言ってたと思うので」
「ほんと?! よろしく!」
意外な繋がりだ。冬野さんのお姉さんが吹奏楽部のOGで、今も部活を見に来たりするということらしい。
それにしても、彩羅ちゃんの人との距離の詰め方はスムーズですごい。
楽しそうに冬野さんと言葉を交わした彩羅ちゃんが、次の子へ自己紹介を促した。
「1年A組、
きらきらっと無邪気な笑顔を見せて、ポニーテールの女の子が声を上げた。
「あのあの、彩羅せんぱい! 今日はありがとうございます! なゆちゃんに誘ってもらって来ました!! ……それで、」
何だか元気で可愛らしい子だ。
微笑ましい気持ちで眺めていると、ふいにくりんっと顔がこちらへ向いて目が合った。
「唯春せんぱい! わたし、ずっと唯春せんぱいとお話したかったんです! 綺麗で、大人っぽくて……千秋ちゃんとなゆちゃんばっかりずるいと思いませんか?! だから今日、会えると思ったらどきどきして……!!」
「ほの、唯春先輩が困ってるから」
冬野さんにどうどうと宥められてやっと、向夏さんは椅子へ腰を下ろした。
興奮した様子で話す向夏さんに付き合いながら、けれど窘めた冬野さんもどこか嬉しそうに相槌を打っている。それはどことなく、友達よりも近い距離感のように感じられた。
「──凪雪も、恋人いっから」
呆れたようにふたりを見やって、千秋くんが小さな声でぼそっとぼくに言った。
まさか。
ふたりを見て、それからもう一度千秋くんと目を合わせてみると、彼女はその通りだと言うように頷いてひとつ嘆息する。
そうか。そうだったのか。
ではぼくが勝手に抱いていた嫉妬心は、本当に無用な感情だったということになる。
「あの。……霞先輩、この前は、ご心配おかけしました。ありがとうございました」
千秋くんが、ぼくの隣に座る霞ちゃんへ真剣な声色で声を掛けた。
”この前”。ぼくには分からないけれど、霞ちゃんと何かしらあったんだろうか。霞ちゃんは千秋くんの言いたいことが分かったようで、小さく微笑んで首を横に振る。
「ううん。ちゃんと話せたみたいで、よかった。もう大丈夫かな?」
「はい、もう。ありがとうございました」
一向に話が見えない。
胸の内側が一瞬もやりと曇ったのを感じて、誤魔化すためにお水を口に含んだ。
「あー、この前、ふたりで話した日あったじゃん? その日の朝……あたし結構カーッとなっちゃって。自分駄目駄目だなーって思い詰めてたら、霞先輩が」
「そうなの。さらちゃんから連絡もらって、わたしも行こうと思ったら千秋ちゃんと会ったんだ。だから、特別なことが何かあったわけじゃないんだよ。少しだけお話したくらい」
千秋くんが安心させるようにぼくの手を取って、困り顔のまま説明してくれた。
ぼくが勝手に思い詰めて、千秋くんとちゃんと話せなかったあの朝のことだ。
少しだけ分かった気がする。だから霞ちゃんは、もう一度ちゃんと話してみてほしいとぼくに言ったのだ。千秋くんと言葉を交わして、ぼくたちがすれ違っていることに気付いたから。
「あっ彩羅先輩、私やります」
「いいのいいの、うちが誘ったんだから! 何食べる? 食べられないものとかない? 欲しいものは?」
「せんぱい、わたしあれがいいです!」
「お、これね?」
気付けば彩羅ちゃん達の方では既に話が進んでいるようで、3人がメニューを囲み楽しそうに会話しているのが聞こえ始めていた。
「あたしたちも見ますか」
「ん、そうだね」
千秋くんと霞ちゃんが身を乗り出すのを見ながら、ぼくは何だか落ち着かない気分で水が入ったコップを引き寄せて両手で包む。
どこかふわふわと実感がなくて、まるで夢の中にいるみたいだ。だって少し前までは、友人と食事なんて想像さえしていなかったのに。
千秋くんはぼくに、たくさんの”初めて”をくれる。
友人と焼肉に行くと伝えた時の母はどこか驚いた様子で、けれど嬉しそうにぼくを送り出してくれた。お小遣いをぼくに持たせて、楽しんでおいでと。
その時ぼくは、そういえば今まで焼肉どころか友人と外食なんてものも一切したことがなかったのだ、と気付いた。
他人と距離を詰めることを、ずっと恐れていた。
特に、他人に嫌われてしまうことを。常に頭は低く、気に障らないように。迷惑をかけないように。不快にさせないように。見捨てられればぼくは終わりだ。誰かに必要とされなければ、生きている意味さえぼくにはないと。
けれど千秋くんと出会って、霞ちゃんや彩羅ちゃんと出会って、ぼくは変わった。
ぼくが自分を大切にすれば、同じようにぼくを大切にしてくれようとする人はそばにいるのだ。何も、ぼくを嫌うひとのために人生を費やす必要はない。そんなものは到底必要なかった。ぼくから一歩踏み出せば、こうして案外とその先は知らない世界だったりするから。
綺麗なばかりではない、誤魔化すことのないありのままのぼくを、それでも愛してくれる人がひとりでもいさえすれば。
それだけでこんなにも、世界は息がしやすかったのだ。
「唯春せんぱい!! せんぱいは何食べますか? あ、見えますか? これも、これも、……これはもう決まってます!」
「唯春先輩、何がお好きですか?」
ふと明るく名前を呼ばれて、ぼくは現実に引き戻された。
考え込んでしまっていたらしい。千秋くんがどことなく心配そうな顔をしているのが見えて、つい笑ってしまう。
「ええと……」
あまりこういうところに来た経験がないから、何をどう頼めばいいのか分からない。
順番にメニューを流し見て、ひとつ気になるものを見つけたところで手を止めた。
「ん、あった?」
霞ちゃんが、隣から覗き込んでくる。
「えと……これ、」
テーブルから身を乗り出した向夏さんが、ぱあっと表情を明るくした。
「キムチですね!! わたしも好きです、美味しいですよね! せんぱい、辛いものとか結構いける方なんですか?」
「うん、そうだね。結構好きかな」
「へぇ。意外ですね」
「じゃあじゃあ、こういうのはどうですか! ご飯のところの……くっぱ? なゆちゃん、これ辛いやつじゃなかったっけ?」
向夏さんは何だか、ご機嫌で尻尾をぶんぶん振り回している子犬みたいだ。可愛らしい。
隣でフォローしている冬野さんとも恋人というだけあって相当仲がいいようだし、クールで容赦がないような印象だった彼女は、向夏さんの前では柔らかい表情を見せている。
それから皆のオーダーが出揃い、まず最初の注文を終えた。
「おっけ! じゃ、今日は食べるぞー!!」
彩羅ちゃんの号令に、向夏さんが『おー!』と元気よく応えた。霞ちゃんはそれに小さく乗って、冬野さんは向夏さんへ少し音量を下げるよう注意している。
「ふ」
ぼくは千秋くんとふたり顔を見合せて、それから笑った。今日は何だか、いつもより楽しい夜になりそうだ。
「疲れてねえ? 平気?」
「ん、大丈夫。平気」
若干気疲れはしているものの、それも高揚感を纏った心地よいものだから。
きっとこの日を、ぼくはずっと忘れられないと思う。これを口に出して言ったら、きっと大袈裟だと笑われてしまうのだろうけれど。
「──……、」
ぼくを捕らえる、甘やかなダークカラーの双眸。決して触れられないまま視線は絡んで、まるで自分が今彼女に全部脱がされ、暴かれてしまっているような感覚になってくる。
「唯春」
静かに、名前を呼ばれた。
これはストップの合図。身体の芯がじゅわりととろけるのを感じて、ぼくは喉の奥からあふれ出す熱い吐息を懸命に押し殺した。
……ただひとり、ぼくの全てを握るひと。
やっと見つけた、ぼくの存在理由。
千秋くんの生きる場所が、ぼくの生きる場所だ。ぼくは彼女のものだから。余さず全て、ぜんぶ彼女のだけのものだから。──そしていつか、千秋くんの死ぬ時が、ぼくの死ぬ時。
「あきくん、お腹、空いちゃった」
「……あたしも。もうちょい、我慢な」
テーブルの下で、こっそり足を絡めた。
情を交わした先日の出来事を思い出してしまって、またどうしようもなく彼女の温度が恋しくなってしまう。
ぼくの世界を広げてくれたひと。
そして、最後にぼくを眠らせてくれるひと。
千秋くんがくれるなら、ぼくにはどんなぬくもりだってとろけるほどに喜ばしく、どんな痛みだって甘やかで愛おしいのだ。
それが世界でただひとり、ぼくだけのために向けられたものならば。
いつか世界が終わるまで、ふたりで一緒にいられるのならば。
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