第11話 ヴィヴァーチェ




 目の前に、真剣に悩んでくれている様子の難しい顔がふたつ。


「あ……あの、大丈夫だからね。少し話してみただけだし、重大なことでもなくて、」


「そんなことない!!」

「そうだよ。せっかく相談してくれたんだもん。一緒に、考えたい」


 午後、自習の時間。

 南先生は想像よりも穏やかな人で、本を持って視聴覚室へ現れた。


『じゃあもう、すぐ自習にしようかな。ふたクラスだから人多いけど、あまり大きい声で騒いだりだけはしないように。各自好きな教科に取り組んでください。

 私は……音楽なら分かりますのでね。音楽であれば聞いてください』


 霞ちゃんが言っていた通り、ほわほわという言葉が似合うような、柔和で不思議な雰囲気を持つ先生だった。

 ぼくは午前の授業で出ていた課題を持ってきていた。さほど難しくはないものの、若干量があったから。けれど自習の時間は話し声も多く聞こえる和やかな雰囲気で、近くに座った彩羅ちゃんも話を始めた。

 そこからぼくの元気がないようだという方向へ話題が流れて、悩みがあるのかと聞かれつい話してしまったのだ。


 恋人と会える時間が少なく、色々な意味で距離を感じてしまって寂しい。だから、恋人の友人にまで嫉妬をしてしまうのだと。


「んー、全部正直に話してみるのは?」

「やっぱりそれがいちばん、なのかな……」

 それがいちばん手っ取り早いことは、理解している。千秋くんもきっと、ぼくが素直に話せばちゃんと聞いてくれるだろう。

 けれど、彼女は何も悪くないのにぼくが色々言うなんて、多分重い。胸の中に渦巻くこのもやもやとした感情を、どこからどう口にしたらいいのかさえも分からないのだ。


 それでもし、意図せず彼女を不快にさせてしまったら?


 この嫉妬心も、不安な感情も、ぼくの中にあるぼくの薄汚い部分だ。自分で努力すればいいだけのことだろう。余計な欲を持って、優しい彼女に感情を押し付けて困らせたくはない。

「お話しにくいことも、あるよね。会える時間がたくさん作れればいいけど、それも難しいんだろうし……」

 霞ちゃんは優しく微笑む。

 むむと考え込んだ彩羅ちゃんが、ふと思いついたように身を乗り出した。


「じゃあ、こっちからたくさんアタックすればいいんじゃない? いっぱいくっついて、話もして、愛情表現しまくるの! 唯春ちんが寂しいってことは、向こうも寂しいでしょ」


「そう、かな……?」

 ぼくが寂しいと、千秋くんも寂しいのだろうか。そう思ってくれているなら、少し嬉しいような気はするけれど。

「もう、『うちの!!』ってアピールしちゃえばいいんだよ! だって、恋人なのに他の奴と距離感近いとか、普通に誰でも嫌だって!」

 そうか。ぼくはおかしいわけではないのか。彩羅ちゃんがくれた言葉に、少し気持ちが軽くなるのを感じる。アピール、というものがどういったことをすればいいのかいまいち分からないけれど、調べたら指南くらいは出てくるかもしれない。

 好きだからそばにいたい。触れたい。そして少しくらいは、嫉妬だってする。だからぼくから、千秋くんに近付いてみる。


 これはきっと、ごくごく自然なことだ。


「唯春ちゃん、恋人さんのこと大好きなんだね」

 霞ちゃんが自分のことみたいに嬉しそうにするから、ぼくもつられて笑ってしまった。

「うん。大好き」

 大好きだ。こうして言葉にすると、どんどん感情があふれてくる。

 こんなの、授業中にする話ではない。けれど先生の方を見やると、教壇の椅子に腰を下ろしながら本を片手に居眠りしているのが見えて、ますますぼくは逃げ場をなくしてしまった。


「ね、聞いてもいい? どんなとこが好きなの? どんな人?」


 わくわくと楽しそうな彩羅ちゃんに、つい恥ずかしくなって俯く。

「格好いいんだ。……ぼくの話、いつも聞いてくれて……優しくて、ぼくが作ったお菓子も、美味しいって食べてくれて、」

「わ……!! 唯春ちん、真っ赤だよ!」

「さらちゃん、そんなにぐいぐい行ったら唯春ちゃん困っちゃうよ」

 こういう話をするのは、本当に慣れない。顔から火が出そうだ。ぱたぱたと教科書で顔に風を送って、深呼吸した。


「……ちゅーは、もうしたの?」


 小さく小さく抑えた声で、彩羅ちゃんが聞いてくる。つい霞ちゃんに助けを求めて視線を向けると、霞ちゃんもじっとぼくを見ていた。

 答えなくては、いけないだろうか。

「…………ん、」

 観念して頷くと、ふたりは表情を一気に緩めて小さくきゃあっと声を上げた。

「もー!! こんな美女捕まえておいて嫉妬させるとか、どんだけ格好いいんだよ!」

 恥ずかしすぎてカッカしてしまう。

 そっと彩羅ちゃんの袖を掴んで止めると、ぼくの顔を見た彩羅ちゃんが楽しそうに笑いながらぽんぽんと肩を叩いてきた。

「ごめんごめん、唯春ちんが可愛くてつい」

「わ、すごく真っ赤。わたしたち、恋人さんに怒られちゃうかも。ごめんね、落ち着いて」

 霞ちゃんが下敷きで扇いでくれて、ふわりと涼しい風が来る。

 誰かと恋愛の話なんてしたことがないから、焦ってしまって汗が吹き出た。深呼吸を1回、2回。だんだん熱が下がってきたのを感じながら、ぼくはこくりと唾を飲んだ。



「ん。……ぼく、頑張って、みるね」



 千秋くんが好きだ。

 そばにいたい。もっと知りたい。

 千秋くんは、ぼくの声を聞いてくれる人だ。頭ごなしに否定するような人ではない。彼女なら、寄り添って一緒に向き合ってくれる。

 大丈夫。

 恋人なのだから、近い距離で触れ合ったり愛情表現したりするのは自然なことだ。

「がんば、唯春ちん!」

「力になれたかは、分からないけど……」

 ふたりから元気をもらった。

 話せて、よかった。

 まだ慣れないぬくもりに、そわそわと心が落ち着かない感覚を覚えてしまう。

 胸に手を当ててみた。心臓がとくとくと高く鳴っているのを感じて、やはりどうにもまだ慣れないなと苦笑してしまう。


「彩羅ちゃん、霞ちゃん、ありがとう」


 そう伝えた時のふたりは、どこか気遣わしげで、けれど優しい表情をしていた。恐らくふたりにも、色々と心配をかけてしまっているのだと思う。ふたりは優しいから。

 午後の自習のために持ってきた課題は、結局初めの数問しか進まなかった。

 けれどどうしてか不快ではなくて、ぼくはいつもよりほんの少しはしゃいだような気持ちを胸に抱えながら、ふたりとお喋りして視聴覚室を出た。



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