第3話 あたしのこと




 小さい頃のあたしは、中々にやんちゃな子供だったと思う。


 お絵描きや人形遊びよりも外でかけっこしたり戦いごっこをする方が好きだったし、ピンクのフリフリや可愛い柄物よりもごくシンプルなTシャツ短パンの方が好きだった。外で遊び回って怪我をして帰るのも日常茶飯事で、手や足にはよく擦り傷や痣を作っていた。


 遊び相手は、もちろん兄貴だ。テレビでかかる番組も男児向けの物が多く、あたし自身もあまり女児向けのものには興味を持たなかったから特段疑問に思ったことはなかった。


 可愛いものは、まぁ好きだと思う。けど身につけていたいとか、集めたいとか、持ち歩きたいだとかそういった欲求を覚えたことはなかった。見ているだけで充分満足だ。むしろ、押し付けられると違和感を感じる。



 それは”あたし”じゃない、みたいな。



 兄弟以外に友達ができるようになってからも、あたしは比較的外で男子とつるむことの方が多かった。

 女子と折り合いが悪いとか、そういう事情は一切ない。関係性は至って良好で、あたしは彼女らから女子らしい振る舞いを学んだ。


 ”千秋ちゃんて、男の子みたい”。


 その中で何気なく言われた言葉に、あたしはある日、ふと引っ掛かりを覚えてしまった。

 『うちは兄貴と弟がいるから、そのせいかも』。そう返してみると、そっかと納得したような反応が返ってくる。

 でも、本当にそうなんだろうか。分からなかった。

 あたしは別に、男の子になりたいとかそういうことを考えたことはない。あたしは女の子だ。間違いなく、そのはず。

 けど、女の子らしくしなさい、と言われると途端に違和感が勝った。らしくって何。あたしはこのままじゃいけないのか、と。


 あたしは”可愛い”より”格好良い”が好きだ。身につけるものも、あたし自身もそうありたいと思う。


 母さんがあたしに、『千秋は女の子じゃないね』と言った。多分ほとんど冗談だったんだろうその言葉に、けれどあたしの心はわだかまってしまった。あたしは女の子じゃないんだろうか。じゃあ、男の子? でも、男の子になりたいと思ったことはない。あたしは自分を、それでも女の子だと思う。父さんが続けて、『男兄弟だからな』と笑った。あたしはそれにへらへらと笑って、そうだよと返す。




 中学校に上がってバスケ部に入ってから、あたしは部活を口実に髪を短く切った。ベリーショート、と呼ばれるくらいの長さだ。いっそ男っぽくなってみれば、自分の気持ちが分かると思ったから。

 結果は、『まぁ楽かも』。髪を洗う時間も短くなったし、いちいちくくる必要もないし、邪魔くさくない。


 けど、中学生、という年頃は思ったより難しかった。


 小学校以前のように男子に混ざって遊ぶ、という感じではないし、じゃあ女子かというと女子のグループにもそれほど馴染めない。

 だからあたしのポジションは”無所属だけど気安くて楽しいクラスメイト”といった感じで、所在はふわふわと浮いている。

 男子はよくあたしのことをおとこおんなと呼んだ。髪も短いし、オシャレや化粧にはさほど興味がなかったし、胸もそんなにないから。

 けどあたしはそれにうるさいと返して、遊びみたいな取っ組み合いをする。体格も力も既に差が開いているから、小さかった頃のように気安くとはいかない。手加減されているのを感じて、そこであたしは”こっちにも行けないんだ”と実感した。




 高校に上がるのをきっかけに、あたしは髪を結べるくらいの長さまで伸ばした。

 化粧やお洒落はよく分からなかったけど勉強してみるようにして、学校では色つきのリップクリームとクシくらいは持ち歩くようになった。周りにならって少しだけ短くしたスカート。首元を少し開けて着崩した制服。人気の話題を仕入れて、女子に馴染めるように。


 苦ではなかった。


 むしろ今までの極端な思考が中和されたような感覚で、あたしはやっと自分を掴めた気がしていた。

 男になりたかったわけじゃない。

 ただ、あたしはあたしのままでいたかっただけ。らしくないあたしを、許してほしかっただけ。周りが男だ男だと言うから、そうなのかもと思ってしまっただけだった。

 中学の時のあたしは、男っぽくなって男子に馴染もうとした。

 無理な話だ。あたしは別に、男になりたかったわけじゃなかったんだから。



 確かに世間一般的には女らしくない、”格好良い”あたしでいたかったんだから。




「千秋くん……そんなに見られたらぼく、焦げてしまいそうだよ」


 本を膝の上に置いて、先輩が小さく困った声を出した。

 放課後の図書室。

 あたしは何となく適当な本を手に取って、先輩はあたしがあげた本を読んでいた。

 ふたりしかいない貸切状態だから、あたしたちは時々言葉を交わして笑いあったりしながら時間を過ごしている。


「あ……すんませ、」


 視線を先輩から外して、本へ戻した。

 彼女は美人だ。自然と目が吸い寄せられてしまう。その柔らかな曲線も、ほんのり色づいた頬や唇も、花のように艶やかで馨しい。

 先輩があたしを”千秋くん”と呼び始めた時、あたしは割とすんなりそれを受け入れた。何か、そのままのあたしをそのまま受け取ってもらえたような気がしたのだ。らしくないあたしを、許してもらえたような気が。

 表立っては言ったことがないけど、実はあたしはもともとちゃん付けで呼ばれるのもあまり得意ではなかった。だからこれまでは、呼ぶ時はさりげなく呼び捨てしてもらうように友人へは言ったりしていたのだ。



『あたし、男っぽいってよく言われるんですよね。女子らしくないから』



 世間話ついでにそう言ってみた時の彼女の反応は、思ったよりも薄いものだった。


『へぇ。どのあたりが? うーん、ゴミ捨てる時遠くから投げるところ? それとも、ぼくが作ったお菓子をいつもぺろっと完食するところとか? 確かに、言われてみれば……?』


 それはあまりにとんちんかんな返答で、つい笑ってしまったのを覚えている。

 しかもあたしが笑ったのを見て、彼女は正解を求めてさらに違う答えを探し始めた。それを何となく聞きながら、彼女が思ったよりあたしを見てくれていたらしいことに嬉しくなる。


『あ。格好いいからってことかな! 茅岡さんお洒落さんだしね。一度、私服の茅岡さんとお出掛けしてみたいな。楽しそう』


『……いいですね。行きたいです』


 じわりと胸の奥が熱くなった。

 彼女の中のあたしは、あたしが思うあたしのままだ。何ひとつ繕わなくていいのだ。



 だって彼女には、それはほんの些細なことだから。



『ね。なら、ぼくの服を選んでほしいな。お洒落はあまり得意じゃなくてさ』


『んー、どういうのが好きですか? 綺麗めとか? 先輩なら、フェミニンな感じも似合うかなと思うんですけど』


 まだ自分のことがあまり分かっていなかった時に、化粧や服装のことについて自分なりに勉強してみた。それが思いのほか楽しかったりして、以来服装にはこだわるようにしている。

 ファッションや自己表現の形は本当に様々で、あたしは別に無理して女性らしさにこだわり可愛らしいもの纏う必要はなかったのだ。

 そして今あたしは、ナチュラルなメイクとクール系の服装を好んで選ぶようになった。

 先輩をあたし好みに着飾るのは、結構楽しいだろうと思う。彼女は美人だから色々似合いそうだし、どう組み合わせれば映えるか色々考えるのも楽しそうだ。


 そうやってあたしたちはその日、下校時間になるまでふたりで話して、解散した。

 けれどそれから間もなくして、学校は夏休みに突入してしまった。あたしたちはまだ特段連絡先を交換していなかったし、あたしも夏休みの間はバイトを詰めていたので、そのままお出掛けの話は有耶無耶になっていたのだ。



「そういえば……デート、いつにします?」



 思い出して聞いてみると、先輩はぴくりと震えて、それから視線を下げた。

「あ……お出掛けの話かな。うん、うん。ちゃんと覚えてるよ。いつがいいかな。ぼくはいつでも空いてるけど」

「そうなんすね。じゃあ、次の週末とかにしますか?」

「うん、大丈夫。そうしようか」

 話が出たのは夏休み前だったのに、気付けばその夏休みもとっくに明けている。時間が経ってしまって何だかんだでなあなあになっていたなと思いながら切り出したら、彼女は気まずそうに視線を逸らして一瞬言葉に詰まった。

 けど乗り気じゃないのかと思えば、よく見た彼女はほんのり顔を赤くして頬を緩ませている。

 楽しみにしてくれているのか。それとももしかして、緊張しているのかもしれない。

 愛おしくなってつい顔をのぞき込むと、先輩はふいと目を逸らして『なに』と唇をとがらせた。


 先輩と遊びの予定を取り付けたのは、今回が初めてだ。

 それまでは、昼休みを一緒に過ごしたり雑談したりするくらいの距離感だったから。

 服を見る以外にどこへ行こうか、頭の中でスケジュールを組み立ててみる。先輩にもどこに行きたいか聞いておかなくてはいけない。


「楽しみにしてます、唯春先輩」


 そっぽを向いたままの彼女に、そう声を掛ける。少しして『ぼくも、』と小さく返ってきた声に、あたしはまた笑ってしまった。



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