第2話 手を伸ばす
次の昼休みのこと。
最近何か欲しいものとかあります? と率直に聞いてみると、彼女は思ったより考え込んでしまった。
適当に聞いてみたものも全て反応が曖昧で、コスメや服、靴、アクセ、もしくは食べ物、日用品、文具、思いついたものを並べてみたけれど、全て彼女は頷かなかった。
あたしはー……、新しいイヤホンですかね。最近音悪くて。──ハードルを下げるつもりでそう言ってみると、彼女は音楽が好きなのかと聞いてきた。だからあたしは、好きですよ、少しギターも触るんですと返す。そのまま気付けばあたしの事へ話が広がっていて、はっと気付いて議題を戻した。
思えばいつもそうやって、自然に話題があたしのことばかりになっている。彼女がわざとそうなるように誘導してるのかもしれないけど、こんな風に気付いたらあたしばっかりが話しているということが珍しくないのだ。
でも、今回ばかりはあたしも譲れない。
『────……本、かな』
やがて小さく、小さく彼女は言った。
好きな作家の気になる作品があって、でも文庫本ではなく単行本の少しお高めのやつだから、なかなか手が伸びないんだと。
調べてみたらそこそこ有名な作品のようで、ジャンルとしては青春SFというものにあたると出てきた。
そういうのが好きなのか。そういえば彼女は図書委員だし、インドア派を自称しよく本を読むと言っていたような気もする。
決まりだ。
さりげなくその作家のことへ話を移して、好きなんですね、とか面白いんですか、とか話しながら昼休みを終え、その場は解散した。
そして後日。
「──……、」
差し出した本を見た彼女は、初め目を見開いて、あたしの顔を見、それからくしゃりと表情を崩して笑った。
「これで合ってますよね? 作品名も、作家も、一応聞いた通りだと思いますけど」
「うん。これだよ。これ」
始めて見る表情だった。
いつもの気取ったそれではなくて、心の底から湧き上がって止められないような、そんな素の表情。驚きと、喜びと、それからどこか泣きそうな色を含んだ笑み。
「どうしたの? 高かったでしょう」
「まぁ……でもあたしバイトしてるし、いつも美味しいもの食べさせてもらってるんでその食費っていうか、お礼っていうか……」
「ふふ、そう」
彼女が本の表紙を撫でて、ページをめくる。
それからまるで詩でも諳んじるように、彼女が目を伏せて呟いた。
「みんな、隠し事をしてるんだ。それを大事に、大事にしまってる。表に出すにはあまりに不確かで、薄汚いから。…………知られて嫌われてしまうのが、怖いから」
隠し事。誰にだって大なり小なり、隠していることはある。それは明かすも秘めるも本人次第だ。少なくともあたしは、それをこじ開けたいとは思わない。
あたしだってもう、先輩のことは大切になっていた。
それはささやかな、友人としての感情だ。会うと楽しいし、お菓子は美味しいし、こうして喜んで貰えたのも、嬉しい。
「まぁ、言いたくないなら言わなくていいと思いますよ、あたしは。隠し事だって悪いことじゃありませんし。ただ……それをあたしに打ち明けてもらえたとしたら、その時はちゃんと大切にしたいって、思いますけど」
聞けばこの本はずっと欲しかったものだったらしいし、作品自体そこそこの有名作みたいだから、読んでいなくてもあらすじは知っているんだろう。青春SFというジャンルだし、作中に何か秘密を抱えるキャラクターが出てくるのかもしれない。
「ん、うま」
紅茶のクッキーを口に入れて、咀嚼した。柑橘系の香りだ。何かお洒落な感じ。さく、さくりと噛み砕いて、飲み込む。
何だか牛乳が欲しくなってしまった。自販機とかにあっただろうか、と考えたところで、彼女がパックの牛乳を渡してくれたのでありがたく頂くことにする。
「茅岡さんは、優しいね。本当に……一緒にいると、楽しい」
「そうすか? ありがとうございます」
一緒にいる時間が楽しいと思ってもらえるのは、素直に嬉しい。
そうして気付けば包みの中のクッキーは最後の一枚になっていて、あたしは少し考えたあとそれを手に取った。
「先輩、あーん」
「え? ……っもご、」
反射で口を開けた先輩の口に、クッキーを入れる。喉が渇くだろうかと飲み物を探したものの、あたしの方は口をつけた緑茶と、これまた口をつけた牛乳しかなかった。
先輩の方には、水筒。……持ち上げてみた。多分カラだ。
「美味いでしょ。あたしの先輩が作ったんです。こんな手の込んだもんいつも作ってきてくれるなんて、いい人だと思いません?」
仕方なく手渡してみたパックの牛乳を、彼女は少し躊躇いながらも受け取った。ストローへ口をつけて、少しだけ飲んで、置く。
「あたしもう、先輩のお菓子がないと生きていけないかも」
「ふふ、大袈裟だよ」
「本当ですって。今日もご馳走様でした。実はプロ目指してたりします?」
「いいや。ただの趣味」
先輩の表情がふわりと明るくなったのを見て、あたしも笑った。
──先輩が笑ってくれるのが、好きだ。
今気付いたけど。
だって普段は綺麗な微笑を浮かべながら黙っているような人なのに、彼女はあたしの前になるといつもより少しだけ饒舌になって、くしゃりと嬉しそうに笑うのだ。これは、あたしだけの”特別”じゃないだろうか。
そう気付けば、何だか心の中でじわじわと優越感が湧き上がってきた。
「あー、もうすぐ昼休み終わる。午後サボりません? 眠くなってきた」
「駄目だよ。授業は出ないと」
困ったように笑って、先輩がお弁当箱を片付け始めた。空になったお菓子の包みも回収し、あたしがあげた本を大切そうに抱える。
「ありがとう。本当に、嬉しい」
本を胸にぎゅっと抱き締めて微笑む彼女を見ていると、何だか大したことはしていないはずなのにあたしまで嬉しくなってきてしまった。
「よかったです」
あたしは本とかあまり読まないけど、先輩がそうやって表情を明るくするなら読んでみたいような気もしてくる。
「気が向いたらでいいんで、それ、あたしにも貸してくれませんか」
言ってみると、彼女は楽しそうに表情を緩めて頷いた。
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