第3話
「どうかな、似合っているかい?」
「うむ、普通の町娘といった感じじゃの。儂も着替えてみたが、どうじゃろうか?」
「うん、着物じゃなくてもしっくり来るものだね。似合ってるよ」
彼女たちは一通り強奪を終えてさっさ逃走した後、一旦馬の脚を止めて彼女たちは着替えていた。遠目からでしか視認できていないが、先程彼女たちがビビって逃げ出した相手は恐らくは龍であろう。彼らは神々の被造物ではない純粋なる自然の化身であり、天災のような存在。強く純粋な魔力を好む生物であるため、グレースとルナの魔力を食いに現れたのだろう。馬も必死で走ったのか今は休憩しており、その間に着替えてしまうことにしたのだ。
因みに、二人は普通の町娘のような恰好と言っているが、実際は貴族の子女が着るような服であり、豪華な刺繍が施されている十分に高級な服だ。
「ところで、金はどれくらいあるのじゃ? せめて風呂のある宿に泊まれるくらいはあると良いのじゃが」
金の入った袋を開いて見つつ、ルナは首をかしげていた。
「下界の貨幣価値は分からないからね・・・。金貨はざっと千枚くらいはあるけど、まあ足りるかなぁ?」
グレースも疑問形で言っていたが、実際は二人なら百年くらい豪遊してもなお余るくらいの金額だ。風呂付きの旅館どころか高級旅館のスイートにすら余裕で泊まれるだろう。
「昔聞いた話じゃと、確か金貨一枚で銀貨千枚分じゃった気がするぞ。まあ、それなら行けそうじゃの」
2枚あれば王都の一等地に一軒家が建つくらいの金額はあり、銀貨1枚でも市民権などを異邦人でも買えるのだが、まだそこまでは知らない二人。まあ、仕方ない事ではある。
彼女たちが辿り着いたのは、セレスティア教国辺境の街ケセヌス。これと言って特徴のない街だが交通の要所にあるため馬車などでも立ち寄りやすくなっており、宿などが栄えている。その代わり治安はお世辞にも良い物とは言い難く、宿代をかなりぼったくられるのは序の口であり、強盗・誘拐・人身売買なども横行している街である。そんなことも知らずに彼女たちは街の門を潜ってしまった。
「あー、これは騙されたかもね。周りの気配が一気に変わった」
苦い顔をしてげんなりとしているグレース。
「うむ、明らかに下卑た輩が増えたのう。じゃが、近寄っては来ぬようじゃ」
ルナは変わりない様子だが、少々周囲に警戒はしているようだ。
しかし、明らかにガラの悪そうな人間が街を闊歩している割には全く二人に近寄って来ない。このような所に来る世間知らずな娘二人は普通は恰好のカモのはずなのだが、皆二人を避けて歩いていた。
「多分、服装じゃないかな。周りよりも私たちの着ている服の方が質も見た目も数段高そうに見える。これ、多分それなりに身分が上の人が着るものだったんだろうね」
そこでグレースはそう推論をたてた。得意げに言っている様子は可愛らしいが実は少し違う。
「ふむ。それなら合点がいくの。なれば、儂等は遊興にでも来ておると思われておると考える方が自然か」
「まあ、それなら堂々と振舞っておこうか。それで、これからどうする?」
「うーむ。ここにおってもこれ以上の収穫は多分無い。早うでて別の街を目指すべきじゃろうな」
今は貴族の衣装で誤魔化せているが、調べられればいくらでもボロは出る上に身分証を要求された時点で終わり。彼女たちの身分は実のところ貴族の子女の恰好をした身分不詳のやたら金は持っている不審人物なのだが、話しかけられない以上ボロは出ないだろう。
補足しておくと、彼女たちが避けられる理由は単純明快。貴族の子女は高い魔力を持ち強い魔術を使えるので絡んだところで撃退されて社会的にも抹殺されるのが見えているので近寄りたがらないのだ。遺族を襲うような賊は余程のやり手かとんでもない阿呆である。
「ふーむ。悩ましいのう。来ていきなり帰るのも怪しまれるが、泊まるにせよ身分を確かめられればどうにもならん。どうしたもんかのう」
引き続き腕を組んで思考を巡らせているルナ。
「とりあえず、屋台が結構出てるからそこで何か食べよう。ついでに物価もある程度相場が見れそうだからさ」
一方のグレースは辺りに立ち並ぶ露店や屋台を見て目を輝かせていた。彼女の腹もくぅと鳴っており、とりあえず何か食べたいと何も言わなくとも伝わってくる。
「うむ、そうするか。儂も腹は空いて居るしちょうどいいわい」
一旦どうするか等と考えることはやめ、腹ごしらえをすることに決めた二人。手始めに肉を串に刺して焼いたものを買った。値段は一本銅貨一枚。店主は金貨なんて貰っても返せる釣りが無いと泣いていたので、二十本買って釣りは全額あげた。
「うん、これはさっさとこの街を出たほうがよさそうだね。金貨、めちゃくちゃ高価だ」
どれくらいのレートかはわからないが、とりあえずとんでもない価値である事は理解したグレース。
「うむ、その方が良さそうじゃ。下手すれば家も余裕で買えるじゃろうな・・・」
同じく理解したルナもこの金が盗まれたりすることが無いようにと、早いところ馬車に戻って先程買っておいた地図を参考にしてどこかに行くべきだと言っている。
そんなこんなでさっさと退散する事になった。まあ、腹ごしらえだけはできたから良かった。しかし、もしかしたら馬車は意外と普通に置いてあるのかもしれないので一旦元来た場所に戻ることにした。
確かにそこに男たちはおり、半ば馬車を占拠しているように見えていた。だが、馬車を返すように話し少しのお金を払えば普通に返してくれた。これはラッキーだと二人で安心していると、ふと騒ぎが目に留まった。
「すまぬ、何が起こっておるのじゃ?」
興味を持ってとりあえず近くで見ていた男に話しかけるルナ。
「ん? ああ、貴族のお嬢ちゃんたちには見慣れない光景かな? アレは奴隷売買。今回は低級淫魔とはいえ悪魔種が売られているんだ。まあ、俺には買えるもんじゃねえけどな」
男ははじめは嫌そうな顔をしていたが、こちらの服装を見るや否やコロッと態度を変えて気前よく説明してくれた。
「そうなんだ。ありがとう」
笑顔を張り付けてグレースは応対し、素直に表面上はお礼を言った。貴族っぽく優雅な礼をすることも忘れずに。
「おう、じゃあなお嬢ちゃん。また縁があったら会おうぜ」
男は名乗ることは無かったが、気を悪くすることもこれ以上興味をもつ事も無くスタコラと去っていった。
「せわしない男じゃのう。まあ、そのうち会うやもしれぬし覚えておいてやるか」
二人が改めて牢を見ると、その中には全身を鞭で打たれ体は傷だらけ、手足を鎖で拘束されて牢内に繋がれている少女がいた。頭にはヤギのような左右一対の角が生えており、背中には蝙蝠の翼、そして背骨の付け根辺りから尻尾が生えている。頭に生えている角は片側が折れ、翼も穴だらけとズタボロにされている。だが、それでも顔立ちは整っているのが見て取れるため、美しい淫魔だというのは間違いでは無いのだろう。
「ねえ、ルナ。あの子、凄い痛めつけてられてる…様に見えるけど、どうする?」
哀れみもあるが若干の魔力の揺らぎを感じ幻術の可能性も感じたため、やや怪しむグレース。
「金貨3枚か。ふむ、アヤツが何処から来たのかはわからぬがこの辺りの地理や地上の事情に詳しいやもしれんな、買っても良いのではないか?」
ルナも同じものを感じていたが、こちらは概ね肯定的なようだ。
彼女達が買おうと言っている淫魔は生傷が多く、床に倒れ伏しているのを見るとマトモな治療もナシ、痩せこけているので食料もマトモに与えられていないという最悪の状態だ。
だが、よく魔力の流れを観察すると淫魔の体内の魔力は満ちており、全身をくまなく巡っている。傷ノ回復くらいたやすく行えるだろうが…。
怪しんでも話は進まないと、ルナは袋から金貨3枚を取り出しグレースに手渡した。
「あやつ、おそらく高度の幻惑使いじゃよ。くれぐれも気をつけるのじゃぞ」
大気中の魔力の流れからは薄っすらとは察せたが、彼女達でもそれ以外だと判別つかないレベルでとんでもない幻惑だ。
「わかってる、それじゃあ行ってくるよ」
ルナから忠告と金を貰い、グレースは奴隷を積んだキャラバンのオーナーらしき仮面をつけた長身の人物に近寄り、金を渡してあの淫魔を買うと伝えた。
「ほう、まあ貴族の道楽でしょうが…。一つだけ、忠告がございます」
この時点で怪しさ全開だが、既に種は割れているので気にせずに接するグレース。
「なんだい? 聞かせてほしいな」
まあ金が更にかかるわけじゃないし別に良いかとその時のグレースは思っていた。ルナもまた、同じ事を考えていた。実際出費は少なく済んでいるので、金銭面の余裕も凄くある。なので一人くらい同行者が構わぬなとも心変わりしてきていたのだ。
そして、オーナーが言葉を続けた。仮面の下の表情は見えず何を考えているのかわからないが、仕事には真摯そうに見える。
「ソレは生き物の精気を食らう悪魔。人間の食事でも大丈夫のようでそうではなく、それでも定期的に彼女に精気を渡さねば、干からびて死んでしまうのでその点は約束してください」
もうこの時点でこいつも悪魔か幻だろうなと感づいていたが、あえて無視してそのまま乗る。
「わかった。約束する」
そして無事に取引が終わり、グレースが契約書を書いた後、その淫魔を檻から出した。しかし、彼女はプルプルと震えていた。まるで今にも笑い出しそうな感じで。
「はははははは! この度はこのリリスのお買い上げありがとうね! これにて契約はなされたから、未来永劫末永くお付き合いしてもらうわよ? まあ、契約と言っても私に魔力と精力を供給するだけなんだけど」
檻から出された瞬間、ボロボロだった肌や髪は一気に美しいものになり、口調もハッキリとしだした淫魔。さっきまであったはずのキャラバンや、奴隷商まで霧のように消え失せている。つまりこれは最初から彼女の作り出した幻だったという訳だ。
「あー、やっぱり幻惑か」
このレベルの幻惑は想定外だが、幻惑自体は想定内。最悪実力で叩き潰せるから恐れることは無いとグレース判断した。
「うむ。まさか、実態を持たせれるレベルの幻惑とは思いはせんかったがのう」
ルナもまた、油断はしない方針だが警戒はやや緩めたようだ。
「コレは今でも得意なのよ。まさかデミゴッドに通用するとは思ってなかったけど」
そう、本来なら下級淫魔の幻惑などデミゴッドに通用するわけがないのだが…、なぜか今回は通用しているようだ。リリスは少々戸惑っているようだが、ルナは無視して話を進めることにした。
「して、何故お主は斯様な真似を? それほどの幻惑を使えるのならば普通に人を襲えば良かろうに」
「それも考えたけど、貴女達みたいな最高に美味しそうな魔力を持った相手が偶々いたんだもの。そりゃあ契約結んで独占したいし、そのためにちょっと本気で茶番を打っただけよ。ああ、そういえば貴女達の名前は聞いていなかったわね」
本気、という割には余裕そうなそぶりを見せるリリス。優雅に妖艶に微笑んでいる。
「私はグレース、そっちはルナ。色々訳あって行く当てもなく旅をしてるんだ。これからよろしく」
リリスは馬車を取りに行っているためグレースがルナの紹介まで済ませた。
「そう、じゃあ改めてよろしくね?」
なにはともあれ、旅の仲間が一人増えたわけだ。しかし、リリスの幻惑は疑似神すら騙すレベルなのに弱いとはにわかに信じがたいが、契約中は敵対はしないとのことなので問題ないと思う事にした。仮に敵対されても倒せばいいだけの事だ。
その後、グレースは馬車に乗り込み一眠り。ルナは素知らぬ顔をして御者をしに行った。リリスはグレースの隣に座っている。
と、硬い木の上で寝ると体が痛くなるのでシーツ代わりの布を敷いて、枕を使おうとしたグレースだが、さっきまで窓の外を見ていたリリスが頭と床の下に膝を差し入れてきた。俗に言う膝枕と言うやつだ。
「一応買われた身だから、これくらいはしてあげるわよ?」
なんてことの無いようにリリスは言っている。種族柄こういった事には相当慣れっこのようだ。表情は相変わらず余裕の微笑み。
「いいのかい? じゃあお言葉に甘えるけど、変な事はしないでね」
逆にそう言っているグレースの声は少し上擦っており、顔もほんのり紅潮していた。意外な事にこういった事にはあまり耐性が無いようだ。
「今はね。こんな固いところでシたら、痣だらけになっちゃうでしょ?」
リリスは紫の髪を腰まで伸ばしており、かなりの長髪だ。身長はグレースとルナより低いが、ルナよりは出る所はちゃんと出ており、グレースより少し小さいくらいだ。グレースとルナの見た目は人間にして十六歳相当なので、リリスはそれより少し幼いくらい。大体十四歳相当と言ったところだろうか。年齢不相応に物凄く蠱惑的なのだが、それは種族柄しょうがないのかもしれない。
「おい、グレース。次はどこに行くのじゃ?」
御者をやってくれているルナ。背後は見えていないが、仮に見られたら中々愉快なことになって言うだろう。
「そうだね、確か今いる国がセレスティア教国の領内だから、そこの首都に行かないかい? 金に物を言わせれるなら戸籍と家を買って拠点にしよう」
引き続き膝枕されたままだが、グレースはそう答えた。上向きに地図を構えたいがリリスの大きな乳房が邪魔で見れないが元々行く場所に関しては考えておいて良かったようだ。
「ふーん、ルイバルに行くのね。銀貨三枚もあれば三人分の戸籍は買えるし、滞在するにはちょうどいいんじゃない?」
グレースの髪を梳きつつルナにも魔術で飲み物を浮かせて手渡すリリス。ルナは一瞬ためらったが受け取って飲んでいた。
そうして三人を載せた馬車は首都を目指すことになった。リリスはまだ完全に信用できる存在では無いのだが、契約している限りはきっと大丈夫だろう。
冒険のはずがいつの間にやら定住できる場所探しになってきているが、何時までもフラフラしているわけにはいかないのでこれもまたしょうがない事、という事にしておこう。
黎明開きしウィッチクラフト @Saint-Germain
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