モラトリアム人間(7)
大学の前期が終わって休みに入り、僕と蓬川さんはカップル然とした日々を送った。バイトや親族関係の用事がない限りずっと一緒に過ごした。二人してまとまった時間があったときは旅行に出かけた。箱根までドライブして点在する美術館を回ったり、もっと遠くまで行って長野県の阿智村で夏の星空を一緒に見上げた。蓬川さんが楽しんでいる姿を見ているだけで充足感によって満たされていた。
しかし蓬川さんは時々、寂しそうな眼でどこかに焦点を当てるわけでもなく、ただ虚空を見つめるときがあった。僕は「どうしたんだい」と訊ねるけれど、蓬川さんは「ううん、つまんないこと考えてただけ」とはぐらかして僕を不安にさせた。でもそれに触れることは蓬川さんの大事にしている何かを壊しかねないと思ったし、人間の誰もが普遍的に抱える、干渉されたくない劣弱意識みたいなものだと割り切ることにしていた。
そして休みの終わりが近づくにつれて、蓬川さんと遊ぶ日が少なくなっていった。
後期に入る数日前、蓬川さんは僕の下宿先の近くにある公園で話がしたいと言った。
その提案があった時点で僕は何かを察した。
「私たち、別れましょう」
蓬川さんは単純明快な言葉で別れを告げた。
「理由を訊いても良いかな」僕は言った。
「ヒロキくんは何にも悪くないよ。私がわがままなだけ」
「ちっとも理由になってないよ」
「ごめんなさい。そうだよね」
蓬川さんはそう言葉を区切って少し間を空けた後、口を開けた。
「ヒロキくんはずっと私に寄り添ってくれたし、私のわがままも十分に応えてくれた。でもやっぱり、ヒロキくんがいるって実感できなかったの」
蓬川さんは言葉を紡ぐように、ゆっくりと、僕を傷つけないように慎重に言葉を選んで言った。
彼女の言わんとすることは何となく分かっていたし、これ以上はもう聞きたくなかった。
しかし彼女はそんな僕に構わず続けた。
「ヒロキくんのことをもっと知りたかったの。でも、手をつないでも、キスしても、セックスしても、私はヒロキくんの全てを理解できているつもりになれなかった。あなたは私を優しく包み込んでくれるけれど、それ以上はない。まるでずっとあなたの虚像を見ているみたいに」
蓬川さんはそう言い終えると俯いて顔を見せないようにした。しかし、彼女の肩の震えで決意の重さが目に見えた。
「その、ごめんね」
僕は何と答えれば良いか分からず、ただそう言った。
「ヒロキくんは多分私に全てを見せてくれていると思うの。だからあなたは悪くない。ただ、私があなたに対してそれ以上を求めてしまっただけなの」
蓬川さんは震える声を絞って言った。
僕は何も口にしなかった。
「今までありがとう」
蓬川さんは僕の前から去っていった。
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