モラトリアム人間(4)

 優奈さんは幼い頃に家が隣でよく面倒を見てくれる、一人っ子の僕にとっては実のお姉さんのような存在だった。僕は困ったことがあればいつも優奈さんに相談した。

人間関係、部活動の入部先、志望校の選定についても全て彼女に委ね、その度に「私だったらこうするな、もちろん君の中で咀嚼してほしいのだけれど」と最後に添えて答えをくれた。そして僕はいつもそれを実行していた。つまり決断の大部分は優奈さんの思想に染まりきっており優奈さんは僕のバイブルであった。その結果、僕は自分で判断することが億劫になり、優奈さんの助言なしでは生きていけない身体になってしまった。


 優奈さんは、強い女性を体現した切れ長な目と滑らかな女性らしい輪郭が共存したその美貌によって数多くの男性を虜にし、中学高校大学のうちは必ず誰かと付き合っていた。しかし優奈さんの彼氏たちは男性としての威厳を誇示できなかったのか、取っ替え引っ替えで一、二か月もしないうちに別れていった。また彼女は落ち着いた化粧よりかは派手なメイクを好んでいたし、それにマッチしたフェロモンを漂わせる魅惑的なファッションによってすれ違う男どもの目を釘付けにすることが少なくなかった。先日優奈さんと大衆居酒屋で飲んだ際、僕が少しだけ席を外している間にIQ30しかなさそうな男どもに口説かれていた。本来男である僕が何かしらの防衛に回らなければならないのだが、それを見た僕は腰が引けてしまって離れたところからじっと見守ることしかできなかった。しかし優奈さんは物怖じせずに突っぱねた物言いで「私、こんな見た目だけど猿とは交尾する趣味はないの」と彼らに投げかけた。男たちは自分の矜持を傷つけられたようで優奈さんに掴みかかろうとしたがそれを見ていた他の客たちに羽交い絞めにされた挙句、店員によって店から追い出された。僕は彼女の凄さを改めて思い知らされた。きっと優奈さんはこのような具合で会社でも上司を突っぱねたのだろうと容易に想像できた。


 優奈さんは肝が据わっているし、それは自分に自信があるからで、その自信というのは彼女がこれだと思った目標を適切に定めて、それに向かって適切に実行してきた結果なんだろう。僕はたとえ何度生まれ変わったとしても僕という魂が同じである以上、優奈さんのような賢くて逞しい人間にはなれないだろう。


 正直に言うと、僕もまた優奈さんに魅かれる男の一人であったが、彼女に相談する度に優奈さんの絶大さに圧倒されて、僕が優奈さんを愛することはあまりにも烏滸がましい愚行だと実感するばかりであった。僕は彼女と比べて明らかに人間としての価値が低いし、もっと言うとごく一般的な人間よりも劣ると自負している。僕は優奈さんに縋りつくことで何とか普通の人間としての尊厳を保てているのに過ぎないのだ。



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