ある音楽家の祈り
水車
ある音楽家の祈り
神の御使いであり、国を亡ぼす悪魔である。
私のことを、皆はそう言う。
なぜなら、この国には二つの歴史があるからだ。
大多数の国民は、私のことを悪魔だという。学校で皆そろって教えられている歴史には、楽器を奏でる人間は、悪神の血に触れて、国全体を巻き込んだ大きな戦いを引き起こしたのだと記されているから。
私の家族や親戚たちは、私のことを神の御使いという。時の権力者によって燃やされた歴史を受け継ぐこの一族は、楽器を奏でる人間は、この国の最高神によって力を与えられたのだと、生まれる子供に教えているから。
私はタイムスリップができないから、どちらが正しいかなんてわからない。
どちらが正しいかなんて、興味ない。
神の御使いなんかじゃなくていい。特別な能力なんて必要ない。
音楽がしたい。それだけが私の望み。
この国では、音楽が禁じられている。音楽をつかさどる神様がこの国を滅ぼそうとしたと言われているからだ。
私は、その音楽神に仕える神官の一族に生まれた。小さいころから地下で神様を賛美し、加護と平和を祈ってきた。
「この部屋から出たら、誰とも、お母さんやお父さんとも音楽神様や楽器のことを話してはいけないよ。怖い人たちに連れていかれて、二度と戻ってこられないからね」
私も姉も、大人たちから何度もそう言い聞かされてきた。なんでもしゃべってしまう口が軽い私でも、このことだけは誰にも言わなかった。友達が音楽神のことについて話していても、神様のことを悪く言っていても、一度たりとも知っていることを話したりはしなかった。
楽器使いが王国兵士に捕らえられたという話を、毎週のように耳にしていたからだと思う。楽器使いは、楽器を演奏すると不思議な力が使える人たち。一族の人たちは彼らを「神様に見初められた人」とうらやましそうに言っていたけど、外だと犯罪者と同じかそれ以上。死刑になったり死ぬまで牢獄に入れられたりと、恐ろしい話ばかり聞いている。
密かに、誰にも知られず、見えないところに隠れて。そうしたら、隠れたところにいる神様がちゃんと見つけてくださる。私たちが忘れず、祈りを捧げ続ければ、きっと神様は私たちを守ってくださる。
神官長さんはそう言って、いつも祭壇に向かっていた。
八歳になったとき、礼拝で歌う讃美歌の伴奏に使われる「神の楽器」を吹く役割をもらった。正式名称、トロンボーン。声のように自由自在に音を出せる楽器に夢中になって、学校が終わってから何時間も礼拝堂にこもって吹いていた。そのおかげで、同じ役割をもらった子供たちの中ではダントツに上手くなり、難しい曲でも大人に混じって吹かせてもらえるようになった。
「ロナミはすごいわ。私たちの誇りよ」
母はそう言ってほめてくれたけど、それを素直に喜べなかった。
私の演奏は、まだまだ上手くなんかない。なのにほめてくれるってことは、これ以上上手くならないって言われているんだ。そう感じてしまっていたからだ。
毎日毎日練習した。大人のトロンボーン吹きの人たちを捕まえて、演奏を聴いてもらい、アドバイスをもらってまた練習する。本体から抜いた吹き口をこっそり持ち出して、自分の部屋で口の形を研究した。
無理を言って、神官長さんに昔の資料がしまわれている書庫の鍵を貸してもらった。焚書から逃れた貴重な書物には、過去の楽譜がたくさん記されている。どのような奏法があったのか、どのような練習法があったのか、音楽にはどのようなルールや仕組みが存在しているのか。ランプの油を何回も取り換えて、むさぼるように勉強した。
私の目指す音に届くように、理想の音楽ができるように。何年も練習し続けた、ある日のことだった。
「ごめんね、ロナミ。本当にごめんね」
母は私に謝りながら、それでも隠せない喜びを口元に浮かべている.
神官長さんは祭壇に向かい、感謝の祈りをずっと述べている。
姉は目を輝かせて、いとこたちに私のことを自慢している。
大人の人たちは、やれめでたいとパーティの準備を始めている。
私一人が、茫然とその場に立っていた。
いつも使っていた愛器は取り上げられ、代わりに他と輝きの違う吹き口が握らされた。
礼拝の時に座る奏楽隊の椅子には、私の次にうまいと言われていた子が座っていた。
楽譜に触ることはできなくなった。練習のための部屋には入れてもらえなくなった。
すべてが、あの一瞬で変わってしまった。
この日私は神に見初められ、同時に人生のすべてだったトロンボーンを吹くことを永久に禁じられた。
夜の八時。大人から子供まで、一族みんなが集まって、一緒に礼拝をおこなう時間。
神官長さんが述べる神様の言葉を、扉の向こうで一人聞いていた。
本当は赤ちゃんとその母親以外、全員が参加しなくてはいけない決まりだけど、私は「神の御使い」になったから、多少のわがままは許されている。「御使い」だから礼拝しなくていいってのは、どこかおかしな言い分だけど。
トロンボーンの音がかすかに聞こえ、讃美歌が始まった。もう楽譜を見ずに演奏できるほど、たくさんたくさん練習したこの曲。
目を閉じれば、奏楽隊の席から見える、いつもの景色が浮かんでくる。
楽器使いにさえならなければ、私の居場所はあそこのままだった。
楽器使いにさえならなければ、もっとうまくなったこの曲を、みんなや神様に聞かせることができた。
楽器使いにさえならなければ・・・今もずっと幸せなままだった。
トロンボーンを吹きたい。
演奏がしたい。
私は音楽神に見初められたのに、なんで音楽を禁じられなきゃいけないの?
何のために、神様は私に力を与えたの?
あなたのつかさどる音楽を、私はこれほどまでに愛しているのに。
どうしてあなたは私から音楽を奪ったの?
町はずれの丘の上で、私はトロンボーンのケースを抱え、大きく深呼吸をした。
草木さえも眠りにつく真夜中。町の灯は消え、誰一人私の存在に気付かない。
もう限界だった。何か月も会えていない、私の相棒、私の人生。
このまま一生演奏を禁じられて生きるなんて、たまったもんじゃない。
家族が全員寝静まったのを確認して、こっそり楽器を持ち出した。
見上げれば、空には満天の星。涼しい風が頬を撫でる。
こんな気持ちのいい場所で思いっきり楽器を吹けるなんて、なんて幸せなんだろう。
ケースを開けて構えると、楽器はすっと私の体になじんだ。
ああ、ようやく、ただのトロンボーン吹きに戻れるんだ。
悪魔でも神の使いでもない、ただのロナミに。
新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込み、最高の音を響かせようとした瞬間。
「お前・・・」
体がこわばった。
ぎぎぎと音が鳴りそうな調子で振り返ると、木の陰から男の子が出てきた。
バレた。
しかも、町の人間だ。
早く逃げないと。王国兵士に通報されてしまう。
そう思ったけれど、足が動かなかった。
楽器使いとバレる恐怖よりも、演奏を邪魔されたことへの怒りが勝っていたからだ。
楽器を草の上に下ろし、ポケットから取り出した金色の吹き口を口に当てた。
楽器使いとしての「楽器」を鳴らすために。
神様が私に授けたのは、人を麻痺させる能力。私の音を浴びた人間はみんな体がしびれ、気を失って倒れてしまう。
右手を伸ばすと、それに沿って金の半透明のトロンボーンが現れる。音の出口を男の子に向け、力を込めて吹こうとした。
しかし、私は演奏できなかった。
気が付いたら、私は吹き口を奪われ、男の子と並んで草の上に座っていた。
「俺はイレスタ、楽器使いだ」
男の子はそう名乗って、私に話をした。
彼は楽器使いの王国を作るために、この国を乗っ取ろうと考えていると言った。私もそれに協力してほしいと。
なんて無謀な子だと思った。そんな危険にさらされるなんてまっぴらごめん、そう答えた。
彼はいった。
「俺には、人を洗脳する能力がある。それにとても有能な親友がいる。お前も加われば、ただの人間である王など、簡単に玉座から引き落とせる」
彼はさらに言った。
「楽器使いの王国ができれば、音楽禁止令は廃止になる。こんな風に隠れてこそこそしなくたって、皆の前で堂々と楽器が吹けるんだぞ」
こんな子供だけで、そんな大層なことしでかせるわけがない。すぐに兵士に捕まって、一生牢獄生活になる未来が見えた。
けど、もしうまくいけば、もうこっそり楽器を持ち出さなくてもよくなる。
今まで以上に、思いっきり音楽を楽しむことができる。
そう、思ってしまった。
このまま何もせずに、家でも外でも演奏を禁じられた生活を続けるか、わずかな希望を抱いて、この子とともに世界を変えようとするか。
悩む私の目に、草の上のトロンボーンの金の光が飛び込んできた。それを見たとき、心は決まった。
私は、音楽がしたい。トロンボーンが吹きたい。
私の目指すもの、理想の音を追い求めたい。
神様も、それを望んでおられるはずだ。
私は、彼の手を取った。
「楽器使いを捕らえ、王宮に連れてこい!」
「使えない能力を持つ楽器使いは、全員兵士に仕立て上げろ!」
イレスタの声が頭上から降ってくる。
かりそめの王は、ぼうっと視線を泳がせ、玉座に座っている。
私の隣で跪く兵団長からは、何の感情も読み取れない。
本当にこれでいいのか、私にはわからない。
だけど、これが望みへとつながる唯一の方法であるのなら、私は彼に従う。
私は今日も、同胞を捕らえに町へ繰り出す。
ああ、どこで間違えたんだろう。
半壊した王宮の床に倒れた私は、そう思った。
私たちは自由でいたかった。誰にも押し込められることなく、生きたかった。
そんな世界を夢見て、自分たちの力を出し切った結果、私は同じ楽器使いに倒されている。
「この人もきっと、宰相に操られていたんだよ」
私を倒した楽器使いの一人が、そう言った。
違う。
私は操られてなんかない。
私は自分の意志でイレスタについていったんだ。
「・・・トロンボーンが、大好きだった」
玉座を目指す彼らが、足を止めた。
「演奏するのが、大好きだった。音楽を学ぶのが、大好きだった」
「思う存分音楽ができる、そんな世界を作りたかった」
「神の御使いなんかじゃなくていい。特別な能力なんていらない」
「楽器使いになんて、なりたくなかった」
情けない。声が震える。敵に涙を見せるなんて。
でも、こらえきれなかった。
今まで私が押し込めてきたものが、堰を切ってあふれ出した。
「音楽がしたい。音楽がしたい。音楽さえできれば、他に何もいらない・・・!」
神様。神様。音楽神様。
私は、決してあなたを愛する忠実な信徒ではありませんでした。
だけど、あなたのつかさどる音楽だけは、生まれてから今まで、誰よりも何よりも愛していました。
ですから、かみさま。どうか。
私に音楽をさせてください。
ある音楽家の祈り 水車 @micro_water
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