第8話 魔王を討伐せよ

「ははっ、一介の宮廷魔道士と王宮騎士団ごときが、この俺に適うとでも思ってんのかよ? えぇっ!?」


 ヴァルガリアスが、にぃ、と、八重歯を剥き出すようにして兇悪に笑う。不敵に言い放った彼の手には、先程魔物たちを一瞬にして焼き払ったときと同じく、再び細く輝く魔力の糸が集まりはじめていた。


 それは男の節ばった長い指に絡むようにまとわりつき、彼が練りねるように指を動かした途端、小さな球体へと収斂しゅうれんする。球体の表面では、光と闇とが、複雑に変化し続けるまだら模様をえがいていた。


 ヴァルガリアスが、魔道士の女や王宮騎士たちがいる方向に向けて、わずかに体勢を低くした。


 女魔道士は応戦のために杖を構える。その後ろの王宮騎士たちもまた、それぞれに剣のつかを握る手に力を籠めたようだった。


「ははっ、無駄だな!」


 ヴァルガリアスが豪放に笑う。いまにも攻撃を繰り出しそうな男の気配に、エスティアは堪らない気持ちになった。


「っ、やめてください、ヴァルガリアス様……!」


 居ても立ってもいられずに、気づくと、叫ぶような声を上げている。誰であっても、傷つけ合うのを見ていたくはなかった。


「お願い、やめて……っ!」


 エスティアが再び懇願するように口にしたそのときだった。ふいに、ヴァルガリアスの表情が変わる。まるでひどい頭痛にでも襲われたかのように、彼は、ぐぅ、と、顔をしかめた。


 ほんの数瞬前まで、ヴァルガリアスは間違いなく、己に対して敵意を隠そうともしない魔道士たちに向けて、兇暴な力を解き放とうとしていた。けれども、いまや、彼は動こうともしない。


 否、動くことができないのだ。男はきつく眉をひそめていたが、その逞しい腕には、いま再び、白銀に輝く細い鎖が――それは、塔の上で彼を戒めていたものとまったく同じだ――絡みついていた。


「ちっ……クソ女め!」


 ヴァルガリアスは自由の利かなくなった己の手を見下ろして、いかにも憎々しげに、ぎりぎりと歯ぎしりした。


 どうやら男を縛り付けていた封呪は、まだ完全に解けたわけではなかったようだ。ヴァルガリアスの手の中にいったんは蓄えられていた魔力も、ほどけるようにほころんで霧散してしまった。


 多くの人が無惨にも吹き飛ばされてしまうかもしれないという一触即発の事態は、ヴァルガリアスの思わぬ失力によって、どうやらひとまず脱することができたようだ。対峙し合う彼らの様子をはらはらと見守っていたエスティアは、無意識に、ほ、と、息をついていた。


 けれども、安堵など一瞬のことだった。


 次に危険に曝されることになったのは、反転して、ヴァルガリアスのほうだ。男と真正面から対峙していた女魔道士は、ヴァルガリアスが力を自在には操れないのだとわかるや、これを好機と、男への反撃を開始した。


 物理的な攻撃を防ぐためか、騎士たちが魔道士の前に展開する。おのおの、ヴァルガリアスを牽制するように、鋭く尖った剣先を一斉に彼へと向けた。


 騎士たちに護衛されながら、魔道士の女は杖を掲げ、詠唱をはじめている。


 虚空に精緻せいちな魔法陣が浮かび上がった。


 女魔道士が視線をあげる。その目は真っ直ぐにヴァルガリアスへと向けられていた。


 彼女の鋭い眼差しには、一片の躊躇ためらいもない。攻撃するつもりだ。


(だめ……っ!)


 エスティアは弾かれたように駆け出していた。そのまま、ヴァルガリアスと女魔道士との間に割って入ると、背後の男を魔道士からかばい立てするような恰好で、両腕を大きく広げて立ちふさがった。


 さぁあぁん、と、風が吹いて、エスティアの淡いピンクブロンドをなぶっていく。


「娘……なんのつもりだ」


 魔道士がエスティアに低く問うた。


 低められた声に、一瞬、ひるんでしまいそうになりながらも、エスティアは視線を鋭くし、きゅっとくちびるを引き結んで、一歩も動かずその場に踏みとどまった。


 森閑に眠る泉のようなフォレストグリーンの眸で、き、と、強く相手を見据える。


「この方が……いったい、何をしたというのですか?」


 ゆっくりと問いを返した。


「そなたも見たのではないかえ? それは、我らを攻撃しようとした」


 女魔道士はヴァルガリアスに冷たい視線を向けながら言った。


「でも、最初にこの方に敵意を向けたのは、あなた方のほうです。彼はそれに応じただけだわ」


 ヴァルガリアスのほうから積極的に攻撃を仕掛けようとしたわけではない、と、エスティアはそう反論した。


「娘よ。そなたは、自らがいま後ろに庇う者を、いったい何者だと思っているのだ」


 女が言って、エスティアは一瞬、言葉に窮する。


 けれどもすぐに意を決して、また真っ直ぐに魔道士を見返した。


「カエルムの塔の上の、〈力ある御方〉です。――いまも、魔物を退け、わたしたちをお救いくださいました」


 エスティアが答えた途端、魔道士は、あははは、と、高らかに笑った。


「たしかに間違いなく、その男の力は絶大だろう。――なにしろ、魔王なのだからな!」


 女は再びヴァルガリアスを魔王と呼んだ。


(たしかに、そうなのかもしれない……でも、ヴァルガリアス様は、わたしたちを助けてくれたわ)


 エスティアは、きゅ、と、くちびるを引き結んだ。


「娘よ」


 女魔道士が、おもむろにエスティアに語りかけてくる。


「我々宮廷魔道士の間では、こう伝承されてきておるのだ。カエルムの塔には、偉大なる建国の聖乙女のしゅによって、おぞましき魔王が封じられている、とな……そなたの後ろにいるその男こそ、その、魔王だ。この地に間違いなく災厄をもたらす者。――封呪を破って外へ出てきた以上、いまここで始末しておかねばならぬ」


 噛んで含めるようにエスティアに言うと、魔道士は杖を構え直した。彼女の前の空間に浮かんでいる魔法陣が、きらきら、と、輝きを増し、ひとまわり大きくなる。


「でも……」


 エスティアはそれでもひるまず言い募った。


「でも彼は、わたしたちの村を救ってくれました! フィニスを襲おうとしていた魔物を退治してくれたわ」


「だから何だ? たとえそれが事実でも、単なる気まぐれでなかったと言い切れるのか?」


 そう言われてしまえば、エスティアは黙るしかない。実際にヴァルガリアスは、塔の上で一度、村への救援を拒んでいた。その後で、なぜかエスティアの涙にほだされてくれただけのことなのだ。


(それでも、わたしが泣いただけであんなにおろおろして、結局は力を貸してくれて……悪い人じゃないって、思いたいの)


 すくなくとも、いまここで問答無用でヴァルガリアスが滅ぼされてしまうようなことは、エスティアは嫌だった。まがりなりにも恩人である人を簡単に見捨てることなどできない。彼を封呪から解き放った身としても、彼が傷つけられるのを、黙って見過ごすわけにはいかなかった。


「どけ」


 魔道士に脅すように言われたけれども、エスティアはその場から動かず、そのままヴァルガリアスを背に庇い続けた。


「どかぬなら、魔王にたぶらかされた者とみなすぞぇ? ――そして、そなたごと、始末する」


 だんだん苛立ってきたのか、女魔道士は眉をしかめてそう告げた。けれどもエスティアはやはり、ふるふる、と、首を横に振って、諾わなかった。退しりぞく気は、ない。


「この方が、ほんとうに魔王だと……あなた様のおっしゃる塔の伝承が、たしかに真実だという証拠は、あるのですか?」


 エスティアはひとつ深呼吸をすると、真っ直ぐに訊ねた。


「そなたは、何が言いたいのだぇ?」


 女は不快そうに眉を寄せた。


「だって、わたしたちの村では、カエルムの塔にいらっしゃるのは精霊王の眷属だと伝わっていたのです」


「はっ! なにを莫迦な……娘よ、そなたには、いまそなたの後ろにある、いかにも邪悪な気配を纏ったその男が、精霊王に連なる者に見えるとでもいうのか? だとすれば、そなたのその目は、ずいぶんな節穴のようだの」


 相手はあざけるように言う。そのすぐ後で、御託はいいから退け、と、不快そうに顔をしかめた。


 エスティアはまた、ふう、と、ひとつ息を吸って、吐いた。


「たしかに……この方は、精霊王の眷属には、とても見えません」


 そう、認めてしまう。事実エスティアだって、塔の上でヴァルガリアスをひと目見た瞬間には、彼が精霊王に連なる者ではないだろう、と、直感的な判断を下してしまっていた。


「でも……いま、わたしが言いたいのはそういうことではありません、魔道士様。――いえ、むしろ、彼が精霊王の眷属に見えないからこそ、ご再考いただきたいのです」


「……どういうことだ?」


 相手は怪訝そうにエスティアを見る。


 エスティアは、ひとつ、深呼吸をした。


「わたしたちの知る言い伝えでは、塔にいるのは精霊王の眷属……でも、事実は、その伝承の通りとは思われないものでした」


「そう……なにしろその男は魔王なのだからな」


「そうでしょうか?」


「なんだと?」


「わたしたちの聴き知っていた伝説と真実とが異なっていたとするなら、魔道士様がおっしゃる、塔の上にいるのは魔王だという伝承もまた、もしかしたら、真実ではない可能性だってあるのではありませんか?」


 エスティアが凛と背筋を伸ばして言った。


 いま口にしているのはぜんぶ、もしかしたら屁理屈なのかもしれない。ヴァルガリアス自身だって、塔の上のエスティアとの会話では、魔王と呼ばれる存在であることを否定しはしなかった。


 それでも、なんとかして女魔道士の考えに揺さぶりをかけなければ、このままヴァルガリアスは魔王として退治されてしまうだろう。そう思うから、エスティアは無茶苦茶な論理かもしれないと思いつつも、必死に言い募った。


 精霊王の眷属だとか、そうでないだとか、魔王だとか違うとか、そういうこととは関係なく――たとえ真実、ヴァルガリアスは魔王なのだとしても――自分たちをたしかに救ってくれた者を、簡単に悪と決めつけたくはない。それは、ちがう気がする。


「そなた……我ら宮廷魔道士の伝承と、このような辺境の民間に伝わる伝承とを、同列で語るのかぇ?」


 女魔道士はエスティアの言葉に気色ばんだ。


「もうよい、娘。――そなたとは、話すだけ無駄なようだ」


 ついに我慢も限界を迎えたのか、彼女は杖を振り上げた。


 魔法陣がぐるぐると回転を始める。それは大きく膨らんだかと思うと、女が杖を振るのに合わせて、エスティアとヴァルガリアスのいる方へと飛んできた。


「っ」


 エスティアは反射的にぎゅっと目を瞑った。それでも――まるで必死に意地を張り通すように――その場から動かず、ヴァルガリアスを庇うように両腕を広げ、身をていしたままでいた。


 目を閉じていてすら、目前の空間がひどくまぶしい気がする。


 否、これは、熱、だろうか。


 エスティアが痛みを覚悟した瞬間だった。けれどもエスティアの身体は、誰かの逞しい腕に抱き込まれることによって、魔法の直撃を逃れていた。


「お前は……身の程もわきまえず、に出しゃばるんじゃねぇよ!」


 ち、と、舌打ちする音が、気づけば耳許に聴こえる。


「ヴァルガリアス、様」


 エスティアは男の腕の中から、相手の顔を見上げた。ヴァルガリアスは、いかにも不快げに眉を顰めていた。


「余計な手間をかけさせやがって」


 そう言う男は、どうやらいま、間一髪のところでエスティアの身を抱き取って、女魔道士の攻撃の届かない位置まで飛び退すさってくれたらしい。横抱きにかかえるようにしていたエスティアの身体をその場に下ろすと、改めて魔道士や騎士たちのほうを紅玉の眸でにらみ据えた。


 魔道士の攻撃が外れたとわかった刹那、次に動いたのは王宮騎士たちだった。剣を掲げ、ヴァルガリアスに向けて斬りかかってくる。ヴァルガリアスは、邪魔だ、どいてろ、と、邪険にも聞こえる短い言葉でエスティアを下がらせると、自らは向かってくる騎士たちに対して低く身構えた。


 一人目の剣撃をかわし、身をひねって、手刀を喰らわせる。二人目は腕を掴んで、そのまま軽々と投げ飛ばした。その男が取り落とした剣をいっそ無造作に拾い上げると、同時に斬りかかってきた三人目と四人目の刃を受けとめ、弾き返す。


(なんて、強さ……)


 騎士の中の騎士、精鋭揃いであるはずの王宮騎士たちの攻撃を、男はいとも簡単にいなしていく。そんなヴァルガリアスの姿に、エスティアは目をぱちぱちさせた。


 けれども、多勢に無勢の状況であるのも、間違いない。ふとした瞬間、ヴァルガリアスがひとりの騎士の剣を受けとめている隙に、背後から斬りかかってくる者があった。


「っ、あぶない」


 エスティアはまたしても、ヴァルガリアスを庇うように、彼の前に身を投げ出していた。


 エスティアの突然の行動に、騎士が、はっと息を呑む。ヴァルガリアスへと振り下ろそうとしていた剣を、相手は慌てて止めようとした。


 が、一瞬、間に合わない。剣撃の勢いこそ削がれはしたものの、やいばは、ヴァルガリアスの背後に立ったエスティアの二の腕をかすめていた。


「あ、っ」


 エスティアは思わず声をあげる。肌が裂けて血がこぼれ、はしった痛みに顔をしかめていた。


「なにしてんだっ、お前はまたっ!」


 ヴァルガリアスが苛立たしげに言う。


「だ、だいじょうぶです……すみません」


 エスティアは痛みをこらえつつ、無理をして笑った。その刹那、エスティアのフォレストグリーンの眸は、目の前の男の二の腕の、ちょうどエスティアがいま怪我を負ったのとまるでおなじ箇所が――何がふれたわけでもないのに、唐突に――鋭く裂けて、血をあふれさせるのを目撃していた。


「え……?」


「ちっ」


 ヴァルガリアスは舌打ちすると、逞しくしなやかな腕を伸ばして、またエスティアを抱え込んだ。どうやらいったんその場を退く決意をしたようだ。こちらの身を抱いたままで軽々と駆けて、女魔道士や騎士たちと十分に距離を取ったところで、エスティアをやわらかな草の生えた地面に座らせた。


「あ、の……」


 エスティアが戸惑う間もなく、男の両手はエスティアの服の襟許へと伸びてくる。


 なんだろう、と、はたはたと瞬きながら、ぼう、と、相手を見詰めているうちに、節ばった指がこちらのブラウスの襟にかかり、そのまま、がば、と、無造作に左右に割り開いた。


「な、なにをなさるのですか……っ!?」


 エスティアは慌てて胸元を隠すように我が身を抱くと、ヴァルガリアスから身を背けた。


「こっちを向け」


 男はそんなエスティアに、低く命令する。


(く、口付けだけでは封呪が完全に解けなかったからって、まさか、今度は身体まで捧げさせようと……?)


 紅い眸に見据えられ、心臓がいやな感じにどきどき鳴るのを感じながら、エスティアは身を縮めた。

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