第9話彼氏の記憶

 こんな夜遅くに誰からの電話だ?。

「ああ、おれ。」

「またつけられてみたいなの。」

「そんなに怖いならどうしてこんなに遅くまで仕事するんだ?。」

「後輩がミスして。私が手伝わないと明日の商談に間に合わないから。」

「今どこにいる?」

「駅から10分のところ。あと5分で家に着くわ。」

「じゃあオレ、そっちに行くよ。10分以上かかるけど、由里亜、大丈夫?。」

「うん、大丈夫。ごめんね、疲れてるのに。」

由里亜の話を信じるべきかどうか解らなかった。

気のせいってこともある。

由里亜の友人がこの間ストーカー被害にあっていた、そのせいで由里亜が神経質になっているだけではないかと、内心思っている。

無言電話は何度かあったが、単なるいたずらの域をでない。

不審なメールも『いつも見ているぞ』の一言だけ。

だがそれらのせいで、由里亜が神経質になっているのは事実だ。

どにかく、家まで行ってやれば彼女ぼ落ち着くだろう。

こちらも、残業続きで疲れているが、そんなことも言ってられない。

彼女のマンションに着くと、パトカーが何台も止まっている。

警官がマンションの前に立ち、由里亜の部屋に向かわせてもらえない。

エレベーターの周りを何人もの鑑識が囲んで作業していた。

シートをかけられている何かが、チラッと見えた。

由里亜に電話をしたが、通じない。

少し離れた場所で、刑事らしい人物が管理人に質問しているのが見えた。

「被害者は、唐沢由里亜24歳、こちらの住人で間違いないですね。」

「由里亜!。」

彼氏の悲痛な叫びが、星のない夜空を切り裂いた。


「由里亜!。」

自分の叫び声で、飛び起きた。

夢か。

自分が由里亜を殺したも同然だ。

彼女の話を真剣にきき、何らかの手を打つべきだった。

「しばらくここから会社に通えばいい。」

という申し出を、

「電車の乗り継ぎが大変になるから、ちょっと無理かな。」

と由里亜が断った時も、無理強いしなかったし、警察に届けたくないという彼女を説得もしなかった。

今夜だって、もっと早くに駆け付ければ、殺人を防げたかもしれなかったんだ。

「おれが由里亜を見殺しにしたんだ。」

ちょっと待て?。

これは、自分?、いや、前世の自分だ。

いまの、自分は高杉ピカソ。

ヒラメと自分は、前世で恋人同士だったのか。

前世の自分は由里亜を守れず、後悔と自責の念でボロボロになって、人生を終えた。

前世の自分と、今の自分がまったく違う考え方、生き方、性格をしていることに驚いていた。

魂が同じでも、育った環境や、教育でこんなに異なった人間になるのか。

自分はきっと、ヒラメを守ってみせる。

やっと解った、自分は彼女を愛している。

前世での自分の人生についてや、彼女の事を考えてしまって、高杉はなかなか寝付かれなかった。

自分は、前世に恋人だったからヒラメを愛しているのではなく、今の彼女が好きなのだ。

ヒラメには自分が前世で恋人だったことはまだ打ち明けないようにしよう。

彼女は前世の自分をいまだに悔いている、前世の事を思い出させるようなことは、なるべく避けたい。

彼女が前世の出来事について、自分で消化できてから打ち明けよう。

それにしても、戻るはずのない前世の記憶が一体なぜ、戻るのだろう。

バグとか偶然にしては、おかしい。

何者かの意図を感じる。


次の日の昼休み、高杉は白木課長を訪ねて、ひらめき課を訪れた。

「白木課長、少しお時間よろしいですか?。」

「ああ、高杉君。一時半から会議が入っているが、今は大丈夫だ。それより、顔色が悪いようだけど、どうかしたのかい?。」

「昨晩考え事をして、寝不足なだけです。問題ありません。前世の記憶が戻った件について、いくつか質問があるのですが、よろしいでしょうか。」

「ああ、もちろん。」

「前世の記憶が戻る前に、何か予兆のようなものがありませんでしたか?。」

「そうだな、図書館が廃止されそうだと、部長から聞かされた時、ひどい頭痛がしたし、何か大切なものを忘れているという強迫観念のようなものがあった。」

「前世の記憶が戻る前の自分と、戻った後の自分が別人のようだと思いますか?。」

「思わないな。前世の記憶が戻った時、今の自分の不甲斐なさが情けなくなって、前世の自分のように振る舞おうとしただけだ。前世だったら、こうしていただろうと、物まねをしているのさ。」

「前世の記憶は、何者かが意図的に蘇らせたとおもいますか?。」

「そう言われると、何者かの意図は感じるな。あまりにもタイミングが良すぎる。ただ、誰が、どうやってと言われると、まったくお手上げだけれど。」

「記憶の抹消は、人事部の管轄でしたよね?。」

「ああ、技術開発課が作った装置とプログラムを使って、人事部の管理のもとに、前世の記憶は抹消される。」

「そうですか、それなら技術開発課と、人事部に話を聞いてみますよ。」

「気を付けたまえ、誰がなにを企んでいるのか全く分からない。疑われないようにしないと。何がおこるか見当もつかない。」

「全くです。気を引き締めて行動します。」

白木課長は前世の記憶が戻る前に、ひどい頭痛がしたといった。

自分も体調が悪かったし、頭痛がした。

それに、最近いろいろありすぎて、疲れていた。

これが、なにか関係しているのだろうか?。


高杉は技術開発課を訪ねてみた。

技術開発課は相変わらず、おもちゃ箱をひっくり返したように散らかっていて、サーカスのように大騒ぎをしていた。

「すみません。前世の記憶を抹消する装置を設計した方に、お話を伺いたいのですが。」

高杉の声に一人の技術者が近寄ってきた。

「あなたが、あの装置の設計者ですか?。その割にはずいぶんとお若いですね。」

高杉の不審そうな声に、彼は慌てて答えた。

「いえ、前世の記憶抹消装置の設計者も開発者もみな、定年で退職されて、それぞれ地元に戻られています。僕は、メンテナンスを任されているだけで。何か問題でもありましたか?」

「前世の記憶が戻ったという何人かの噂を耳にしたので、最近あの装置に何か改良がされなかったかと考えて、ここに来ました。」

「あなたは、幸福の女神課の方でしたよね、ああ、隣の課のひらめき課の課長の変身に驚いて、そんな疑問をもたれたんですね。」

「ええ、まあそんなところです。」

「あの装置には指一本触れていません。メンテナンスもここ数年行っていないんです。僕も不思議でならないんですが、設計図を見ても、前世の記憶が蘇る理由がまったく判らないんです。」

「設計者はいつ退職に?。」

「12年前です。僕が入社した年に、引継ぎのうえ退職されました。」

高杉は礼を言って、技術開発課を後にした。

人事部にあたるしかないが、就業中に人事部に行ってこの件を聞きこむのは、無謀に感じた。

ー人脈を使って、単なる興味本位という形で、人事部に尋ねたほうがいいな。そういえば、麗華の兄は人事課長だ、彼にあたってみるか。ー


その日帰宅すると、麗華が応接室でお茶を飲みながら高杉の帰りを待っていた。

「仕事が忙しくて、いつもお待たせしてしまって、申し訳ない。」

「どうせ、今日私が訪問する予定なのを、お忘れだったのでしょう。」

と、麗華が図星を刺した。

「最近、詰まらないことが気になってしまい、どうも調子がでないのです。」

ーそうだ麗華から麗華の兄に聞いてもらおう。自分が目立たないほうがいいかもしれない。ー

「あなたが、気になることとは、どんなことなのでしょう?。」

「何人かが、抹消されたはずの前世の記憶が戻ったのです。それが、不思議で、気になって仕方ありません。」

「あら、天の事業(株)の前世の記憶の抹消は、人事部の担当でしたわね。人事部の課長であるお兄様は、なにも話してくださいませんけれど。」

「そうでしょう、仕事に支障があるわけでわないのです、だだ、隣のひらめき課の課長までが、前世の記憶後戻ったので、気になるのです。単なる知的好奇心なのですが。」

「そうですの?、お兄様に伺ってあげてもよろしいですわ。明日、お電話差し上げますから、楽しみにしておいてくださいませ。

「そうですか、それは楽しみですね。」


「お兄様、入ってもよろしいかしら?。」

帰宅するとすぐに、麗華は兄の部屋をノックした。

ピカソの役に立ちたくて、うずうずして一刻の我慢もできないのだった。

「どうぞ、珍しいな、麗華が僕の部屋を訪ねるなんて、子供の頃以来じゃあないか?。何かピカソ君と問題でも?、いや、遂にプロポーズされたのかな?。」

麗華の兄は麗華と同じブロンドヘアをしており、不思議な色の目の色も麗華そっくり、麗華を男装させ肩幅などをごつくしたような、美しい男性だった。

「いやですわ、お兄様。ただの世間話に参りましたの。ピカソ様が、天の事業(株)で抹消したはずの過去の記憶が戻った方が、何人か現れたとおっしゃっていらしたものですから。人事課長のお兄様ならなにかご存じかと考えまして。」

「ああ、その件については皆、不思議がっているよ。記憶抹消装置のバグではないかと、言っているものもある。しかし、今のところ業務に支障が出た案件がないので、とくに対処はしていないんだ。」

「ひらめき課の課長までが、記憶が戻ったそうですわね?。」

「ああ、彼など記憶が戻ってから、仕事ぶりも、男ぶりも上がったのだから、不思議だよ。」

「それにしても、原因が解らないと、困るのではないですか?。」

「それはそうだが、十年以上前に退職した人間に、バグが出たかもしれないがどうしようと、聞くわけにもいかないからな。当分は様子をみるだけだな。」

「記憶抹消装置の、操作ミスという話は出ていないんですのね。」

「もちろんさ、岸人事部長が直々に操作されているからな。岸人事部長はこの装置の操作を数千年まえからなさっている、プロだ。」

「数千年前から?。」

「そうだ、岸人事部長は相談役たちと同様、天の事業(株)を起こした、創立メンバーのお一人だ。あまりに、人が良すぎて、今でも、人事部長どまりだという話だが、装置の操作を誤るはずがない。」

「そうですの、それでしたら、バグということで間違いないようですわ。記憶を取り戻す方が、これ以上現れないとよろしいですね。」


次の日、麗華はピカソに電話して、兄との会話を事細かく説明した。

一秒でも長く、ピカソの声を聴いていたいという女心の現れだったが、肝心のピカソはヒラメと自分の事で精一杯で、麗華の気持ちに気づく余裕などなかった。

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