第2話 ディスオーダーが好き
僕たちはともに近所にある私立中学校に通っていた。陽三が学校に来るときは一緒に帰ったりした。陽三は気が向いたら登校し気が向かないと休んだ。朝5時頃から陽三がlineしてくることもあった、そんな日は近所の公園でおちあってから一緒に登校していた。学校8時開門である、約3時間僕たちは語りあうことになる。
僕は定型発達児だが、陽三はASDかADHDではないかと僕は見立てていた。僕は将来は精神科医かセラピストになりたいと思っていた。小学5年のときに母の本棚にあった「夜と霧」を読み人間の精神、具体的に言うと「精神医学」や「心理学」にカテゴライズされるものに興味を持った、以降日本語に翻訳されている精神や心理の本はたいてい読んだ。
スピリチャル、自己啓発、占いに分類される本も多く、「何か一つが真実である」と思っていた中学2年の僕の精神は霧の夜が続いていた。僕は「disorde」という言葉が大好きだ。
そして人は中学2年あたりで個性が固まってしまう。それ以降は歳を重ねても人格の基礎部分は変わらないと思っている。陽三はそんな僕が一方的に興味を持った対象で、親友という名のクランケである。
陽三だけでもエピソードにはことかかないのに、彼には優秀な弟がいたんだ。
弟の名前はシゲンかシーゲだったと思う、「シゲルではない」と大きな声ではっきりしゃべる子だった。
陽三の弟は2歳の時には、初めて聞いた音楽をピアノで演奏できた、小学1年で中学生の数学が理解できていた。
数学オリンピックに出してみたいと教師からオファーが続いているそうだ。
親戚やちょっとした知り合いも「天才児の身内」であると喧伝するため陽三の弟は狭いこの地域ではちょっと有名人だ。たまたま優秀な子がいるだけで、地域や教師にとって名誉のような感じってなに?自己顕示欲が満たされるのだろうか?教育者の自己表現の代替なのか?とにかく熱心に「数学オリンピック」だの「IQコンクール」など賞レースに駆り出されているようだった。また本人も大人の期待に素直に反応し、期待どおりのふるまいが出来ていたようだ。かたや陽三は、興味を持たないことに時間を費やすことを嫌った、慣れない人には緘黙を貫く。この兄弟の優秀な両親は「好きなことが出来る子であれば良い」と子の自主性を認める超の付く個性派だった。公立の中学では子供たちがやりたいことはできないだろうと考えたため近所にある僕と同じ私立中学に来たわけだ。
好きなことがやれて親も認める個性のある陽三ではあったが、弟のシゲルではないシーゲかシゲンの存在は妬ましくて仕方ないそうだ。陽三曰く「弟とは毎日ほぼ同じ食事をし、ほぼ同量の日光を浴びて育った」と。日当たりの良い場所で育った子とそうでない子には歴然とした差があって当然だと思っているそうだ。生まれつき肌が色黒い陽三こそは効率よく日光を吸収でき、青白い顔をしている弟は劣っているはずだと不憫に思ったりもしていたそうなのだが、成長するにしたがって弟の持つ能力は素晴らしいと社会が評価するようになった。陽三はそばで見ていて悔しく思っていたが個性を大事にする親、父母ともに、陽三のはらわたの煮えくり返るような嫉妬心には気が付かない。
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