第83話 守護者の集落
結界を抜けた先も、周辺は変わらず森の中。
だが、聖域内にはなかった道がある。わずかに人が踏み固めたと思われる粗末なものではあるが。
なにより、空気の匂いが違った。
もっと雑多とした――重苦しさを感じる空気だ。例えば真夏の外気を取り込んだような、決して快適とは言えないけれど、実際に生きて動いている外の世界を強く感じる空気。
細い道沿いをチロロに乗ったユウキたちは進む。保護者フェンリルの鼻は、この道の先に人の気配を捉えていた。
『守護者の集落は……この先、です……』
ユウキのすぐ後ろでチロロの背に乗った天使マリアが、前方を指差しながら言う。
少年院長は眉を下げながら振り返った。
「あの。天使様、大丈夫ですか?」
『ええ。平気、です……』
にっこり――と笑いたかったのだろうが、やや引きつった顔ではそれもままならない。
どうやらユウキと違い、騎乗に慣れずに軽く酔ってしまったらしい。チロロが呆れていた。
翼をしまうとほとんど人と見た目が変わらない天使。ユウキは彼女を気遣いながら、「力を封印すると、本当に人間に近くなってしまうんだな」と思った。当の天使マリアは、恥ずかしさと情けなさで言葉にならない様子である。
『これだけ揺れていても、ユウキは平気なのですね』
しばらく経ってようやく落ち着いてきたのだろう。感嘆混じりに天使様が言う。ユウキは答えた。
「転生者の皆のおかげです」
『なるほど。どうやら聖域の外でも転生者としての力は健在のようですね』
天使マリアは背筋を伸ばす。
『あなたからは私たちとはまた違う、強い魔力の波動を感じます。聖域の外に出て、より研ぎ澄まされたようです。見る者が見れば、あなたの存在の希少さを感じ取るでしょう』
「希少……」
『堂々としていなさい。あなたは子どもたちのリーダーとして、ふさわしい精神と力を持っているのです』
――集落が見えてきた。
森との境、周辺を堀と木柵でぐるりと囲っている。道の先は集落の入り口に繋がっていた。
入り口の両脇に、軽武装の衛兵たちが立っている。すでにこちらに気づいているようだ。
ユウキたちはチロロから降り、集落へ歩み寄った。
途端、男性衛兵たちが鋭く制止してくる。
「止まれ! この先は部外者立ち入り禁止だ」
「あの、僕たちは――」
「それ以上動くな! その出で立ち、とてもただの旅行者とは思えん。お前たち、なぜ聖なる土地に土足で踏み込んだ。返答次第ではただではおかないぞ!」
強い詰問である。向けられた槍、そしてなにより険しい表情が、警告が本物であることを如実に語っていた。
ユウキにとって、これほど警戒心を剥き出しにされるのは初めての経験である。自分よりも大人で、身体も声も大きく、しかも武装した相手。十歳の少年には荷が勝ちすぎる。
だが、今のユウキには引き下がれない理由があった。
衛兵たちの前に進み出る。
「僕はもふもふ家族院の院長、ユウキです。この集落にいるヴァスリオさんたちへ会いに来ました。どうか通してください」
毅然として言い返した。
まさか子どもが最初に名乗ってくるとは思わなかったのだろう。衛兵二人はわずかに躊躇った。
だが、態度は変わらない。槍を下げない。
ここは神聖な場所。たとえ子どもであろうと怪しい者をおいそれと通すわけにはいかない。お前たちが人間に化けた魔物でないと誰が証明できるか――それが彼らの言い分だった。
絶対引き下がるものか、とユウキは気持ちを奮い立たせる。辛抱強く説得を続けようとしたとき――。
周囲に、白く眩い光が溢れた。
振り返った先で、天使マリアが翼を大きく広げ、封印していたはずの魔力を解放していた。
『私の名は天使マリア』
厳かに名乗る。
『私の名にかけて保証します。この子の言葉は真実。火急の用です。道をあけなさい』
天使の魔力は市井の人間にも強い影響を与える。
マリアが話していたとおり、天使の姿と魔力と声に触れた衛兵たちは愕然として後退った。
そして次の瞬間には、武器を置いてその場にひざまずく。
天使マリアは鷹揚にうなずき、魔力を再び抑えた。
『ご苦労様です。さあ、行きましょう』
悠然と歩き出すマリアに促され、チロロとともに集落の中へと入る。
衛兵たちの横を通り過ぎるとき、ユウキは彼らから驚きと畏怖の視線を感じた。
「あれが天使の子か」とつぶやく声を耳にする。
居たたまれなさを心の中に押し込み、ユウキは彼らに尋ねた。
「すみません。ヴァスリオさんたちがどこにいるか、知っていますか?」
「あ、ああ。いえ……はい。その、集落の中央から北に進んだ民家に滞在しているはず。いえ、滞在しています」
動揺が収まっていないのか、彼らは普段の口調か敬語かで大いに混乱していた。
ユウキは衛兵たちにぺこりと頭を下げ、天使マリアとチロロを追いかける。
チロロが小声で天使様に言った。
『外界にいる間は天使の力を封印するはずだったのでは?』
『推しの緊急事態です。致し方ありません』
天使マリアは力を込めて、そう答えた。
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