第82話 聖域の外へ
「できた」
ペンを置く。短くしたためた手紙を、ユウキは窓から見える場所に広げて置いた。文面を上に。外から中身が見えるように。
ミオから教わった、天使様へコンタクトを取る方法だ。
手紙には、もふもふ家族院の子どもたちに降りかかっている窮状をまとめた。体調のこと、症状のこと、転生者の魂でさえ病気の特定ができなかったこと。
そしてもうひとつ。ユウキの確固たる決意を書いた。
僕は、聖域の外へ出ます――と。
リュックを背負い、家族院の玄関扉を開く。建物を振り返った。
手紙に書いた自らの決意を、改めて胸に刻む。
聖域の外へ出て、ヴァスリオさんたちに会いに行く。
あの人たちなら、もふもふ家族院の皆を救う手立てをなにか知っているかもしれない。
「行ってきます」
『待て、ユウキ』
踵を返そうとしたところで、チロロに呼び止められる。大柄な保護者フェンリルが横に並んだ。
『余も行こう』
「それはありがたいけど……僕はチロロが残ってくれた方が安心だよ。皆のこと、頼みたいし」
仲間たちが眠っている部屋を見上げる。
するとチロロは、おもむろに遠吠えを上げた。声量を抑えた声が細く、長く森に広がっていく。
それほど間を置かず、家族院の周囲に狼たちが集まってきた。保護者フェンリルの仲間たちである。
『こやつらに様子を見させよう。身体を支えることぐらいは可能だろう。そこそこ
「チロロ……」
『ふん。それと忘れているようだが、余の方がお前より足は速い』
フェンリルの瞳がユウキを見つめる。
『もうひとつ。これもお前は忘れている。院長とはいえ、ユウキもまた家族院の子どもなのだ』
頼れ――そう言外に言われ、ユウキは瞑目した。
ヴァスリオさんの言ってたこと、身に染みるな。
「わかった。行こう。一刻も早く皆を救うんだ。一緒に」
『うむ。では乗れ』
伏せたフェンリルの背中にまたぐと、チロロは一気に速度を上げた。木々の間を凄まじいスピードで縫っていく。
激突すればただでは済まない速度の中でも、ユウキはまったく怖れていなかった。チロロを信頼している証だった。
――困ったことがあったら頼るといい。
ヴァスリオの言葉を実行するのは、今だ。
彼ならきっと力を貸してくれる。
「皆、待ってて。必ず助けをもらってくるから」
枝が、葉っぱが、風切り音を残して背後に次々と流れていく。ユウキは振り落とされずに姿勢を保っていた。乗りこなしている。チロロもそれを察し、多少荒々しい動きになっても一直線に進むことを優先し始めた。
騎乗技術。これもまた、転生者の魂がもたらしたユウキの可能性である。
ピクニック会場としていた丘を越えた。
ヴァスリオたちが去っていった方向へ、さらに疾駆する。
すると不意に、周囲が薄い霧に包まれてきた。
聖域の端が近づいているとユウキは直感する。
チロロが速度を緩めた。
前方に、誰かがいる。大きく翼を広げたシルエットから、ユウキはすぐに誰なのか悟った。
「天使様!」
霧の奥から天使マリアが現れる。相変わらずの気品と魔力。しかし、今日の表情はいつもと違い、険しかった。
家族院で起こったことを話そうするユウキを、天使は遮る。
『事情は把握しています。苦労をかけましたね、ユウキ』
少年院長を労う。
『実は、あの冒険者パーティを外へ送り出したとき、私は気づいていたのです。クラウディアとベリウスが体調を崩していることに。それなのに、有効な手立てを打てなかった。今回の事態、管理者たる天使として責任を感じています』
天使マリアが告げる。
『私は事態の打開に動かなければなりません。ユウキ、私もあなたと共に参りましょう』
「天使様の来てくれるのですか?」
『はい。聖域の出入りには、私の力が必要でしょう』
「あっ、ありがとうございます! よかった。よかった……!」
目尻に涙を浮かべながら礼を言う少年院長。
表情を変えず鷹揚にうなずく天使を見て、チロロはつぶやいた。
『ユウキを前にしてこの態度。いつもと違うな、天使様は』
マリアはユウキの側に歩み寄ると、彼の目元を拭った。
『家族院のことは安心してください。私が聖域を出ている間、信頼できる別の天使が家族院の子どもたちを守護しています。チロロの眷属とあわせ、万事、うまく計らってくれます』
そう言うと、彼女はくるりと背を向けた。霧の奥に向けて両手を掲げる。天使の翼が大きく左右に開き、同時に膨大な魔力が溢れ始めた。
霧が晴れていく。
聖域の結界が解除されているのだ。
『ユウキ、ひとつだけ覚えておいてください』
視界が良好になっていく中、天使の翼をフッと消したマリアが言った。
『家族院の子どもたちだけでなく、市井の人間たちにとっても私の魔力は影響が大きい。いざというときまで、私は力の一部を封印します』
「わかりました」
霧が完全に晴れた。
外にまっすぐ続く道が見える。
『行きましょう』
「はい」
絶対に皆を救う。
その強い気持ちを持って、ユウキは一歩を踏み出した。
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