第81話 一心不乱の看病


 飲み水を入れたポット。水を溜めた桶。人数分のコップ。そしてタオル。

 それらを大きめのトレイに乗せ、ユウキはヒナタたちの部屋へと戻る。かなりの重さがあったが、不思議ときつくなく、ふらつくこともなく運ぶことができた。


「入るよ」


 一声かけて、部屋の扉を開ける。ふたりからの返事はなかった。

 トレイを床に置き、まず容態を確認する。「大丈夫?」と声をかけるものの、ヒナタは縦に、アオイは横に、かすかに首を振るだけだ。

 あれから楽にはなっていないようだ。

 まずは水分補給をさせないと――そう思って、トレイの前に膝を突く。



 ――少年。ちょっと待ちたまえ。

 ――少しでも彼女らに負担がかからないようにしましょう。



 ふと、転生者の魂たちが声をかけてくる。ユウキは彼らの指示に従って、手を差し出した。


 右手は飲み水を入れたポットに。

 左手は水を溜めた桶に。


 胸の奥から魔力が溢れてくるのを感じる。ユウキは彼らの意志に身を委ねた。

 右手からは温かな光が、左手からは冴え冴えとした光が、それぞれポットと桶に広がっていく。


 ユウキは理解した。確かに、病人にとっては飲み水が冷たいと身体に負担がかかってしまう。常温以上の方が飲みやすいはずだ。

 桶の方は、手をかざすだけでも冷気を感じるほど冷えていた。こちらはタオルを浸すのに使おう。


 ユウキはコップに一人分の飲み水を注ぐと、まずヒナタの枕元に向かった。


「ヒナタ。水を持ってきたよ。さ、起きられる?」

「……ん」


 背中を支えながら状態を起こす。むせないようにゆっくりとコップを口に当てた。ゆっくりとだが、ヒナタはコップの中身を飲み干した。


「……ぬるい」

「水分補給は大事だよ」


 正直な不満が出たことで逆に安心しながら、ユウキはヒナタをベッドに寝かしつけた。

 今度はアオイ。同じように水を飲ませると、彼女の方は「ありがとう」と礼を言ってきた。


 次いで、タオルを水に浸す。指先が桶の水に触れた途端、ユウキは眉をひそめた。冷たさが突き抜ける。

 構わずタオルを冷やし、絞ると、ヒナタとアオイの額にそれぞれ乗せた。これにはふたりとも気持ちよさそうにしていた。


 少し肩の力を抜いたユウキに、転生者の魂が声をかける。



 ――この子たちの様子、もう少し詳しく見せてもらえないかしら。



 ユウキは言われたとおり、ヒナタの様子を観察し始めた。ひとつひとつ声をかけながら、目の様子、口の中、喉の腫れ、手足の発疹の有無を見ていく。

 ひととおり確認した後、転生者の魂が唸るように言った。



 ――主な症状は発疹と発熱。風疹ふうしんかしら。



 風疹ならユウキも聞いたことがある。

 薬があればもっと安心だが、とりあえず安静にして経過観察をしましょう――と転生者の魂が教えてくれた直後である。

 袖をまくって露わになっていたヒナタの腕に、異常が表れた。


 うっすらと見える血管。その一部が、黄金色に輝き始めたのだ。ほぼ同時に、ヒナタの呼吸がわずかに荒くなる。

 ユウキは息を呑んだ。転生者の魂が、今度こそはっきりと唸る。



 ――前言撤回。これは私たちの知る病とはまったく異なる病気だわ。弱ったわね……。



「そんな」


 ユウキはつぶやいた。アオイを振り返る。確認すると、彼女にもまったく同じ症状が表れていた。

 唇を噛む。


 そのとき、部屋の扉がゆっくりと開いた。白銀フェンリルがのっそりと入ってくる。


「チロロ……どうだった。皆の様子は」

『良くないな。同じだ』


 端的に、そして悔しそうにチロロは言った。他の子どもたちも皆、ぐったりと横になっているらしい。さらに聞けば、彼もまた子どもたちの身体の一部が発光する様子を目撃していた。


『ユウキよ。先ほどは言えなかったことがある』


 隣に腰掛け、チロロがおもむろに告げた。


『実は、子どもたちが家族院に来てから今日まで、この子らは一度たりとて体調を崩したことがないのだ』

「それって」

『うむ。天使様の加護が働いていたと考えるべきだろう。しかし、此度の事態は防げなかった。それほどの病なのだ、これは』


 沈黙が降りる。

 いち早く立ち上がったはユウキだった。


「だからって、このままにはしておけないよ。転生者さん、力を貸して」



 ――どうするのだ。



「癒やしの魔法をかける。病気を治せるかはわからないけれど、せめて今のつらさは軽くしてあげたい」


 そう言ってヒナタの枕元に立つ。転生者はなにも言わず、ユウキに力を授けた。

 ベッドに手をかざし、ユウキは目をつむる。イメージするのはソラだ。あの控えめで心優しい少年が癒やしの魔法を使う姿を想像する。

 転生者の魂が力をさらに増幅させる。

 白く温かな光が、ヒナタを照らした。


 しばらく癒やしの魔法をかけ続けていると、血管に滞っていた黄金色の輝きが薄れる。心なしか、ヒナタの表情も柔らかくなった。

 手応えを感じたユウキは、続いてアオイにも魔法をかけた。


 転生者の魂が静かに言う。



 ――効果はあった。だが、あくまで一時的な症状緩和に過ぎないだろう。少年。



「うん。わかってる」


 穏やかな呼吸を取り戻したアオイを見つめながら、ユウキはうなずく。


「でも、なにもしないわけにはいかないよ。僕は、僕のできることをしたい。皆のためなら。なんでも」


 静かな、強い決意を感じさせるつぶやきだった。


 ――それからユウキは、チロロとともに他の子たちの部屋を回った。水分補給をし、水タオルを乗せ、癒やしの魔法を施す。一心不乱に看病を続けた。

 全員の部屋を回り終えたユウキは、一度自室に戻る。

 チロロが後ろでじっと見つめてくる中、ユウキは唇を引き締めた。

 机に向かう。


「決めたよ。僕のできること」


 決意の表情だった。


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