第61話 満天の空の下で


 もふもふ家族院の周りを少し歩く。それとあわせて、周囲の見回りもする。

 最初は、そのくらいの感覚だった。身体を動かすことで、いずれ眠気が戻ってくるのを期待する程度の試み。

 だが数分歩いて、ユウキはすっかり夜の世界に魅せられてしまった。


「わあ……!」


 空を見上げながら、歩きやすい草地の地面をゆっくりと進む。

 満天の夜空は、まさしく圧倒的。

 窓から見上げたときも、外へ出て最初に見たときも、インパクトはすごかった。ものすごくワクワクして、ドキドキした。

 夜なのに星空のおかげでほのかに明るい森の中。

 テレビや動画だったら、きっとちょくちょく別の画面に移り変わっていただろう。新しい刺激、別の驚きを提供するために。

 けれど、歩いても歩いてもずっと変わらない圧巻の景色、それを視界に映し続けることは、テレビや動画では決して味わえない感動を長く、深くもたらしてくれる。


 同時に、ユウキは改めて強く、実感した。

 ここは異世界。まったく新しい世界に来たのだ――と。


「この世界に転生できて……よかったな」


 無意識のうちに、ユウキはつぶやいていた。


 ――しばらく歩いていると、足下の感触が少し変わった。草の茂みから、土の地面がのぞく平地にたどり着いたのだ。

 もふもふ家族院からも、そう離れていない。見晴らしの良い場所だなとユウキは思った。


「あれ?」


 辺りを見回したユウキは、眉を寄せた。平地の片隅に、人影を見たのだ。

 月光の下で静かに佇むひとりの少女。ひとつ結びにした長い髪と、一心に夜空を見上げる横顔。眼鏡のレンズが、月の光をきらりと反射する。


「ミオ? どうしてこんなところに」


 皆、とっくに寝静まっている時間だ。特にミオのような真面目な子がひとりで出歩くなんて、ユウキには考えづらい。

 なにかあったのではないか――ユウキは院長としての責任感から、彼女に声をかけた。


「ミオ!」

「……ユウキ?」


 振り返った彼女は、驚き半分、戸惑い半分の顔をしていた。

 ユウキは真剣な表情で、彼女の前に立った。


「ミオ、なにかあったのかい? こんな時間に、君が出歩くなんて」

「ユウキこそ、こんなところまで来て、どうしたのよ」


 質問に質問を返される。

 ユウキは一呼吸、置いた。


「僕は、ちょっと眠れなくて。きっと今日一日、刺激的な出来事ばかりだったから。興奮しちゃって」

「……ふうん」


 ミオは眼鏡の奥で目力を強めた。ユウキは眉をひそめる。心配しているのはこちらなのに、まるでユウキの方が詮索されているみたいだ。

 ミオはたずねた。


「その割には、あまり興奮しているようには見えないけど」

「それは途中でミオを見つけたからだよ。なにか大変なことが起きているんじゃないかって、心配したんだ」

「……」


 ミオは視線を外し、髪先をいじった。ややあって、「ごめんなさい」と言ってくる。


「私、天体観測をしているの」

「……天体、観測?」

「そ。ここは家族院から近くて、空も開けて、観測に適した場所だから。この時間、よくここに来るの」

「はぁ……なあんだ……」


 ユウキは脱力してその場にへたり込んだ。ミオがムッとした顔をする。


「なに? そこまで私が信用ならなかったの?」

「そうじゃないよ。ホッとしただけ。でもさ、こんな時間にひとりで黙って出歩くのは危ないよ」

「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」


 いつもどおりのキッパリとした物言い。ユウキは肩をすくめ、彼女の隣に立った。

 ふたり揃って、空を見上げる。


「すごいでしょう。この空」


 ふいに、ミオがつぶやいた。


「蔵書の中には星に関する本もあった。ものすごく分厚い書物。けどそれも納得。とてもひとつひとつ確認しきれないほど、たくさんの星がある」

「うん……それは僕も思った」

「あなたが元いた世界と比べて、どう?」

「ぜんぜん違うよ。この世界の方が、すっごくすっごく、星が綺麗でたくさんだ」


 元の世界は地上の灯りが強かったから、あまり星が見えなかったんだ――とユウキは付け加える。ミオは「そう。それはとても残念なことね」と応えた。

 なんだか、日中と少し様子が違う。

 ユウキは眼鏡少女の横顔を見た。

 天体観測をするミオは、満天の星空に興奮しているようにも、星の輝きを身体に浴びてうっとりしているようにも見えた。


「ミオは、天体観測が好きなんだ」

「まあ、ね」

「僕が隣にいてもよかったの? ミオのことだから、ひとりで静かに観察するのが好きだと思ったけど」

「間違いじゃない。けど」


 彼女は大人がするように肩をすくめた。


「なんだかんだ、夜中にひとりで見続けるのは寂しいものよ。だから、ユウキがそこにいるのは構わない。そうだ。なんならこの場で、星の授業でもしてあげましょうか」


 ちょっとだけ笑みまで浮かべている。

 やっぱり、これまで話してきた彼女とは違う。


 ユウキが不安をにじませた表情で見つめてくるのに気づき、ミオもまた、表情を改めた。


「ねえユウキ。ひとつ、聞いてもいいかしら」

「なに?」

「あなた……?」


 

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